日銀の財政ファイナンスの行き着く先は?

日銀の財政ファイナンスの行き着く先は?

                          POLITICAL ECONOMY 38号

                          2016年1月2日                       

 2015年12月18日、黒田日銀総裁は大規模な金融緩和の補完策(QQE2.5)を発表した。日銀が購入する国債の残存期間の延長、株価指数連動の上場投資信託(ETF)買入れ枠(年間3兆円)に3千億円の追加などが主な内容であり、2%の物価上昇目標達成が見通せないまま、打てる手段が限界にきているといえる。日銀の保有する国債は2012年末には110兆円程度だったが、15年末には320兆円を突破し、この調子でいけば2017年末には500兆円に迫るだろう。GDPに等しいほどの規模に膨れ上がる。

一方、2016年度の政府予算では、新規国債発行額はやや減少とはいえ、34兆4300億円を見込んでおり、累積債務は一段と積み上がることになる。日銀が国債を買い集め、長期金利が低水準に張り付いているため金利負担は軽くてすむが、日銀による財政ファイナンスの現実は隠すべくもない。

利上げに踏み切ったアメリカFRBと日銀の資産規模を比べてみよう。FRBの資産規模はリーマンショック時から2倍以上に膨らんだが、それでもGDPの4分の1程度、その半ばが米国債である。ただし米国債は世界中で保有されているため、FRB保有高はせいぜい15%ぐらいだろう。日銀の資産規模は直近の2年間で3倍に膨張し、GDPの4分の3に迫る。日銀資産の大半は国債であり、国の債務残高の3分の1を引き受けている。このような赤字国債の大量発行、日銀による大量購入がいつまで続けられるだろうか。また、日銀が国債購入を減少させた場合、長期金利上昇、財政運営の不安定化が避けられないのではないか。

 

  • 戦前・戦時を上回る公債依存度

財政運営に責任をもつ財務省は、累積債務の解消方法をどう考えているのか。2015年9月の財政制度等審議会財政制度分科会に提出された資料「戦後の我が国財政の変遷と今後の課題」は、興味深い事実を明らかにしている。この資料は財政規模、国債発行額、公債依存度、新規公債発行額の対GDP比、政府債務残高の対GDP比などについて、戦前・戦後の長期的推移を示している。

戦後の一般会計歳出規模は一貫して拡大し、2000年代に入って横ばいになったものの、リーマンショック以後再び増大して100兆円に近づいている。これに対して税収は1990年までは並行して増加していたが、以後は減少過程に入り、いわゆる「ワニの口」状態になった。そのギャップを埋める新規国債発行額は1990年代に30兆円台になり、リーマンショック以後は50兆円を越えた。その結果、歳入の公債依存度は40~50%に跳ね上がり、新規国債発行額の対GDP比は10%を突破した。政府債務残高は1990年度200兆円、2000年度500兆円と増加し、2015年度には1167兆円に達した。2015年度の対GDP比は231.1%となった。

こうした数値を戦前のデータと比較してみよう。戦前の公債依存度は満州事変後の1932~34年度に30%を越えたがその後は減少し、1944年度に42.0%に急上昇した。また同じ時期に新規国債発行額の対GDP比も急増しているが、1944年度でも7.2%である。政府債務残高の対GDP比は204.0%であった。つまり近年の公債依存状況は戦前・戦時期をはるかに上回る規模に達している。最近の事態について同資料は「歴史的にも、国際的にも、例をみない水準にまで債務残高は累増」と語っている。

さらにこの資料は、戦後混乱期に政府債務残高がいかに圧縮されたかを明らかにしている。1944年度の債務残高は1520億円で名目GDPの204%に達していたが、46年度56%、47年度28%、48年度20%と急減を記録した。この間、卸売物価上昇率は、46年度433%、47年度196%、48年度166%といった激しいものであった。戦後の非常事態として、預金封鎖、新円切替、1回限りの財産税、戦時補償特別税などの危機対策が打たれるなかで、結局はハイパーインフレによって債務残高の対GDP比が圧縮されたわけである。

現在の日本でハイパーインフレを起こすことはまずできないだろう。といって経済成長率を上げて税収の自然増を見込むことも無理だろう。そうとすれば、残された手段は、一方で一定水準のインフレを進め、他方で消費税などのさらなる増税を図るぐらいしかないのではないだろうか。