【概説】日本のODA―歴史と特徴

【概説】日本のODA―歴史と特徴                

                                                                  2017年9月

 ODA(政府開発援助)とは、先進国が発展途上国に対して、経済開発や福祉の向上を目的として資金や技術を提供することである。先進国グループのOECD(経済協力開発機構)のもとにあるDAC(開発援助委員会)が枠組みを決めており、ODAの形態には2国間の贈与(無償資金協力、技術協力)と貸付、国際機関(世界銀行、アジア開発銀行等)への出資・拠出などがある。

 ODAの目的は、建前としては貧困国に対する人道的な支援であるが、実際には先進国の国益追求の手段という性格が強い。日本の場合、友好・協力国の拡大という外交的目的と、輸出振興を通じた経済成長の促進という経済的目的があり、経済大国として国際的発言力を高めるというねらいをもっている。

 日本のODAは、第二次大戦後の東南アジア諸国に対する戦争賠償からはじまった。賠償は本来、敗戦国が戦勝国に支払う補償金であったはずだが、日本の賠償は無償資金・技術協力の意味をもち、その後のODAにつながっていった。日本の高度成長を通じた経済大国化とともにODAの規模は増大し、1990年代にはアメリカを抜いて世界最大の供与国の地位についた(ODA大国)。しかし、その後は経済成長の停滞、財政赤字の拡大のためODA予算は縮小し、世界第5位に後退している。

 日本のODAの特徴は第一に、アジアへの集中である。2国間ODAの地域別分布をみると、1960年代はアジアが90%以上を占め、その後徐々に比率を下げたものの、2000年代半ばまで50%以上に達していた。アジアのリーダーになろうとする外交的目的、また企業進出、貿易などを通じたアジアとの経済関係強化を果たす目的で、ODAが利用されたためである。アジアのなかではインドネシア、タイ、フィリピン等が中心であったが、1990年代には中国、2000年代に入るとベトナム、インドの割合が高くなっていく。

 第二に、分野の経済インフラづくりへの集中である。医療、教育等の社会インフラづくりの割合は低く、道路、鉄道、港湾、空港、発電所、通信施設など、経済活動の基盤づくりが優先された。それを前提にして外国企業の進出が促進され、工業化と経済成長が達成されていくことになった。

 第三に、貸付が多いことである。ODA供与国の大部分は、貸付ではなく贈与を中心としており、日本は例外的に貸付が多かった。貸付の場合、いずれ利子をつけて返済されるため、少ない資金で多くのODAを提供できる。途上国からみれば債務が生じるわけで、負担が重くなる。日本のODA拡大は貸付中心であったため、アメリカを抜く規模に達することができた。しかし、贈与比率を高めるべきだというDACの方針に従い、1990年代半ば以降、贈与が貸付を上回るようになった。その背景には、返済期限の到来とともに、新規貸付から返済分を差し引いた正味の資金供給が減少するという事態があった。実際、2000年代に入ると、タイ、インドネシア、フィリピン、中国など、かつて最も多くのODAを受け取っていた諸国は、いずれも返済が新規受取を上回る状態に転じている。