米中覇権争いの構造と展望

はじめに

 21世紀に入り、米国の総合国力の低下と中国の台頭によって、世界の覇権構造(「国際秩序」)に大きな変動が生じつつある。米国の政治学者グレアム・アリソンは、新興国が覇権国に挑戦するとき、危険な緊張、衝突が生じうることを「トウキディデスの罠」と捉え、米中戦争の可能性を示唆した(グレアム・アリソン『米中戦争前夜―新旧大国を衝突させる歴史の法則と回復のシナリオ』ダイヤモンド社、2017年)。米国の軍幹部、CIA長官などからは、2027年あたりで中国が台湾に武力侵攻するとの予測が流され、米中軍事衝突の危機が煽られている。

 ロシアがウクライナ侵攻を続けるなかで、米中覇権争いは深刻化する一方にみえる。しかし、一部のハイテク分野を除けば、貿易や投資の双方向の動きは維持され、断絶とはほど遠い状況だ。対立と相互依存の両面をどう統一的に理解すればよいのか。以下では、米中覇権争いの複合的な構造について、米中両国の国力・覇権意思、貿易の動向、ハイテク分野の攻防などを検討したうえで、今後の展望を試みたい。

 

1.米中の総合国力の接近

 覇権国になるには、能力(総合国力)と意思の両要件が揃う必要がある。そこでまず、総合国力のいくつかの要素を比較してみよう。

 GDPをみると、2000年に米国は10兆ドルを上回り、世界GDPの30%超のシェアを誇っていた。WTO加盟直前の中国は1兆ドルを超えた程度、世界の3.5%、米国の12%ほどにすぎなかった。その後、中国は高度成長を続け、2010年に日本を抜いて世界第2位になり、2021年には18兆ドル(世界シェア18.3%)に達した。米国は23兆ドル(23.7%)だったので、中国は米国の77%まで迫ってきた。この勢いが続けば、2030年代には追い抜くという予測が成り立つ。 物価水準を評価した購買力平価基準ではすでに2010年代半ばに追い越しているとの指摘もある。

 貿易規模はどうか。中国の輸出の伸びは目覚ましく、2009年に世界第1位になり、2021年には34兆ドル(世界シェア15%)に達し、米国の2倍近い大きさになった。輸入では2009年以降、米国に続く世界2位の位置にあり、2021年は27兆ドル(世界シェア12%)、米国の92%の規模に到達した。中国は輸出超過、米国は輸入超過が続いていて、これが米中貿易戦争の一因をなしている。2021年の世界貿易収支ランキングをみると、中国は6752億ドルの黒字で世界第1位、米国は1兆1810億ドルの赤字で世界最下位にある。

 このように貿易面では中国が米国よりはるかに強力になっているが、米国はドルが基軸通貨の地位を維持している点で強みをもつ。国際決済でのドルのシェア44.2%に対して人民元は3.5%にすぎない(2021年)。各国政府が保有する外貨準備では、ドル59.5%、人民元2.4%と大差がついている。対外直接投資でも、2021年の残高ベースで米国は世界全体の23%を占め、中国(6%)を引き離している。

 次に軍事力を比較してみる。軍事費は米中ともに増大を続けていて、2022年の米国は7666億ドルで世界第1位、中国は2424億ドルで第2位を占めている。総額でみる限り、その差はなお大きい。核弾頭保有数は米国5425発に対して中国は350発と開きがある。ただし、2035年までに1500発程度に増強する見通しという。各種兵器数もまた総数では米国が中国をかなり上回っている。しかし、米軍をインド太平洋軍に限定するならば、戦闘機、戦闘艦艇、潜水艦それぞれで中国軍は米軍の5倍の規模を備えている。またサイバー空間、宇宙空間などの新領域では、中国が米国に匹敵あるいは一部優勢にあるかもしれない。

 全体として総合国力は米国が中国を上回っているが、その差はかなり縮まりつつあり、米国は危機感を高めている。

 

2.中国の覇権戦略と米国の対抗策

中国は、総合国力の増大とともに、地域覇権(帝国の形成)への意思を示しはじめる。2000年代初めまでは「韜光養晦」路線のもと、大国主義的態度は抑制されてきたが、2000年代中ごろから「平和的台頭論」、さらに「新型大国関係論」などの表現が用いられていく。そして2012年末に成立した習近平政権は、「中華民族の偉大な復興」を掲げ、経済力と軍事力を駆使した大国主義政策を展開することになる。

地域覇権を目指す対外戦略としては「一帯一路」構想があげられる。これは2015年に公式に打ち出された重要政策であり、中国の資金、資材を周辺国に投入し、インフラ建設を通じて中国を軸とする巨大経済圏を構築しようという壮大な構想である。その範囲は中央アジア、南アジアから欧州、アフリカに及び、何らかの協定を結んだ国は150カ国以上とされる。この構想に沿って、アジアインフラ投資銀行(AIIB)が設立された(本店・北京)。

「一帯一路」構想を補完する地域協力機構として、2001年設立の上海協力機構(SCO)がある。SCOの前身は1996年発足の上海ファイブ(中国、ロシア、カザフスタン、タジキスタン、キルギス)であり、当初は国境地帯の信頼醸成を図る機構だったが、2001年にウズベキスタンを加えて地域協力機構に格上げし、その後、インド、パキスタン、イラン等が正式加盟するとともに、南アジア、中東諸国が対話パートナー、オブザーバーとなるなど、欧州以外のユーラシア諸国が参加する安全保障機構へと拡大を遂げている(本部・北京)。

さらに中国が覇権国家になる意思を明確に表明したのが、2015年に打ち出された「中国製造2025」という国家戦略だった。これは2025年、さらに2035年、2049年を目標にハイテク分野を中心にして産業技術力を先進国水準に引き上げる行動計画であり、海洋、宇宙、サイバーなど軍事分野の飛躍的強化を意図した戦略といえる。

米国は、中国の大国化に対して、当初は支援・関与策をとっていたが、2010年代前半に警戒・対抗策へと大きく転換していく。中国の東シナ海・南シナ海への進出、「一帯一路」、「中国製造2025」の発出がその契機と考えられる。中国の躍進を抑制するべく、オバマ政権はTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)を通じた中国封じ込めを画策するが、協定成立直後にトランプ政権が脱退して、この試みは変質した。トランプ政権は「アメリカ第一主義」を掲げ、米国の貿易赤字の主因である対中国貿易を規制し、赤字解消を図る米中関税戦争を仕掛けていく。4段階に及ぶ中国からの輸入品に対する関税引上げは、中国側の対抗的関税引上げを招き、米中間の貿易は大きく混乱した。

次に米国は、安全保障へのリスクを理由にして、中国の通信機器メーカーを標的に、製品購入、半導体供給等を規制し、経営基盤・技術開発力を押さえ込む政策を発動していく。そして対象企業、対象品目を拡大するとともに、米国の友好国にもこれに同調するように誘導していく。

バイデン政権は、「国家安全保障戦略指針」のなかで中国を、「国際秩序を塗り替える意図と能力を持つ唯一の競争相手」と規定し、米中間の貿易・投資活動への規制を強めるとともに、中国包囲網として、軍事面ではAUKUS(米英豪の軍事同盟)、総合安全保障面ではQUAD(日米豪印の戦略対話)、通商面ではIPEF(インド太平洋経済枠組み)などを組織していく。これらはすべて、中国の覇権国家化を容認しないとする米国の国家意思の発動にほかならない。

 

3.米中貿易戦争の帰趨

トランプ政権は2018年7月以降、中国からの輸入品に対して総額3700億ドル相当の物品に関税を上乗せし、貿易戦争の火蓋を切った。この金額は対中輸入全体の7割以上を占めるもので、中国も対抗して米国からの輸入品に同等に近い規模の関税引き上げを行った。トランプ政権の貿易戦争発動の理由は、中国に知的財産権侵害等の不公正行為に是正を迫ることだったが、同時に米国の国内産業を保護し、過大な貿易赤字の縮小を図る狙いももっていた。

2022年にバイデン政権は、インフレ対策を意図して対中制裁関税の引下げを検討したが、国内の対中国強硬派の意向を無視できず、政策変更を見送った。

貿易戦争を経るなかで、米中間貿易はどう変化したのか、表1,2からうかがってみる。

第一に、米国の中国からの輸入は2019~20年に減少したものの、21年以降は元にもどっている。この変化はコロナ禍による経済の縮小と回復の影響を受けていると考えられる。この間、米国の輸入に占める中国のシェアは確かに減少を続けていて、ベトナム、タイ、インドなどのアジア諸国やメキシコがシェアを伸ばしたとみられる。中国側からみても、輸出に占める米国のシェアは一定の減少を示した。

第二に、米国の対中国貿易収支赤字は、金額ではそれほど変化がみられないが、割合は着実に低下した。中国の貿易収支黒字に占める米国の比率も一定の低下を示した。

こうした変化を認めるとしても、米国の中国からの輸入(中国の米国への輸出)がきわめて大きいことに変わりはない。中国のシェアを奪ったベトナムなどの対米輸出品のなかには中国製部品がかなり含まれている可能性がある。今後、米国は戦略的に重要な品目(ハイテク関連の電池・医薬品原料等)の調達については、過度の中国依存を回避していくと予想されるが、対中輸入規制が一般的な電子機器、プラスチック製品などまで波及していくとは考えにくい。

 

表1 米国の対中国貿易の推移                                                                                                             

                                                                                                   (単位:億ドル、%)                

                 輸出                         輸入                                          貿易収支                

                 金額        シェア    金額        シェア    金額        シェア    総額

2017        1,299       8               5,055       22            -3,756     47            -7,957

2018        1,201       7               5,397       21            -4,196     48            -8,748

2019        1,064       7               4,517       18            -3,453     40            -8,543

2020        1,245       9               4,347       19            -3,102     34            -9,111

2021        1,514       9               5,049       18            -3,535     33            -10,768

2022        1,400                        5,000                        -3,600                     

出所:JETRO「世界貿易投資動向シリーズ」各年版                                                                     2022年は「日本経済新聞」2023年2月8日(1~11月のデータ)                                                                             

表2 中国の対米国貿易の推移                                                                                                             

                                                                                                   (単位:億ドル、%)                

                 輸出                         輸入                                          貿易収支                

                 金額        シェア    金額        シェア    金額        シェア    総額

2017        4,298       19            1,539       8               2,758       65            4,225

2018        4,784       19            1,551       7               3,233       92            3,518

2019        4,187       17            1,227       6               2,960       70            4,219

2020        4,518       17            1,349       7               3,169       59            5,350

2021        5,761       17            1,795       7               3,966       59            6,765

出所:JETRO「世界貿易投資動向シリーズ」各年版                                                                                                       

また、米国から中国への直接投資(企業進出)に大きくブレーキがかかっているとは認めがたい。世界の対中国直接投資は2016年の1260億ドルから2021年の1735億ドルまで、コロナ禍にもかかわらず5年連続で過去最高を更新し続けている。むろん一部ハイテク分野の中国企業の対米投資、また米国企業の対中国投資には規制が厳しくなっており、米国企業の対中国投資は減少している。とはいえ、電気自動車のテスラをはじめとして、中国を生産拠点とする企業の多くが撤退するといった状況ではない。追加投資を中国からインドなどに移すなどの対応がみられる程度だ。

全体として米中間の貿易面、投資面における双方向の流れは、なお継続しているとみることができる。政治的対立が経済的断絶(デカップリング)をもたらすわけではない。政治と経済の分裂とみるべきだ。

 

4.ハイテク覇権の攻防

 米中間で全般的な貿易・投資活動が継続している半面、ハイテク分野は安全保障への影響が大きいため、対立が先鋭化している。米国が中国のハイテク企業、とりわけ通信機器メーカーのファーウエイを標的にしたのは、サイバー空間における覇権の奪取を危惧したからだろう。ファーウエイは2015年に通信設備売上高で世界第1位になり、高速通信規格「5G」開発の先頭に立っていた。スマホ出荷台数でも、2020年には一時的に世界のトップに位置した。しかし米国の圧力により、一方では先進国市場から締め出され、他方では高機能半導体の調達が不可能となり、国内部品調達、国内販売へとシフトせざるをえなくなった。

米国の攻撃対象はその他のハイテク機器メーカーへと拡大し、監視カメラのハイクビジョン、ダーファなど、さらにはドローン、太陽光パネル、遺伝子(バイオ)へと広がり、2022年末には633企業・団体が輸出禁止リスト入りすることになった。米国は、中国ハイテク企業に対して、部品だけでなく人材やソフトウエアの供給も止めにかかっている。2023年に入ると、ITサービス企業バイトダンスの動画投稿アプリ「ティックトック」が標的とされ、データの流出を理由として事業売却あるいは一般利用禁止の動きとなった。米国の友好国も同調を要請され、日本やオランダの半導体製造装置メーカーは輸出規制に取り組みつつあり、サプライチェーンの分断が進行している。

中国は最終製品の製造では世界首位が多いとはいえ、半導体などの基盤技術では遅れをとっている。開発のためには先進的な技術、人材が必要だが、その供給も制約されている。

高機能の半導体、半導体製造装置、ソフトウエアなどの利用が止められるならば、中国はハイテク覇権争いで遅れをとることは避けられず、半導体国産化率の上昇は計画どおりには進まないだろう。

 しかし、中国のハイテク開発の潜在力は大きい。人材面では、中国の理工系大学を卒業する学生数は年間400万人で、米欧日インドの合計よりも多いという。科学技術分野の研究者数は米国をはるかに上回る。これを反映して科学技術論文の国別ランキングでは、量的にも質的にも世界のトップに立っている。オーストラリアのシンクタンクASPIの調査によれば、先端技術の影響力ある論文数(2018~22年)で、44分野のうち37分野で中国が第1位を占めた(朝日新聞2023年3月3日)。日本経済新聞の調査では、人工知能関連論文数は2021年に米国の2倍、注目論文数(引用数上位10%)は米国の1.7倍に達した(日経新聞2023年1月16日)。半導体の国際学会の論文数でも2023年に中国が初めて米国を抜いた(日経新聞2023年3月7日)。

この結果、国際特許出願件数では中国が2019~22年、4年連続世界第1位となっている(日経新聞2023年3月3日夕刊)。次世代エネルギー技術の核融合でも中国が特許競争力の首位に位置する(日経新聞2023年2月23日)。高機能半導体は技術覇権争いのすべてではない。たとえば、人工知能分野で中国が世界を主導し、ルール形成を主導する可能性も否定しきれない。

 

5.覇権構造の転換―2極化から複合型へ

 世界は新冷戦を深化させていくのだろうか。米中はそれを見据えて覇権構築策を進めている。ウクライナ戦争はその決定的な契機となった。

 米国はロシアを押さえ込むべくNATOを強化し、インド太平洋では中国を包囲する軍事ネットワークを編成しつつある。また情報通信技術分野では中国を封じ込め、世界を分断しようとしている。

中国はロシアを抱き込む一方、グローバルサウスへの影響力拡大を図っている。一帯一路構想は、「債務の罠」などの悪評が生じたため手直しを図り、「グローバル開発イニシアチブ(GDI)」、「グローバル文明イニシアチブ(GCI)」といった新たな概念を打ち出して目先を変えようとしている。サウジとイランの外交正常化に仲介役となったことは、中国外交の成果といえる。また、米国によるロシア制裁に、ドル決済システム(SWIFT)が威力を発揮したとみて、別の決済システム(CHIPS)の整備を進め、人民元決済圏の拡大を企図している。

しかし、こうした米中の覇権争いは、軍事面では先鋭化する一方、世界が2大覇権国並立の状況には至らないと予想される。その理由の第一は、米中ともに総合国力が低下していくことである。米国はアフガン・イラク戦争の失敗以降、国際的権威を低下させ、国内的には政治的分断が修復不能な状況に陥った。中国は自国中心主義が各国の警戒・反発を招く一方、人口減少・少子高齢化社会に向かい、経済成長が減速し、社会保障負担が重くなり、共産党統治体制は不安定化していく。

第二に、グローバルサウスが台頭し、米中に続く第三勢力を形成、米中の覇権を相対化する。その代表格のインドは、中国が主導するSCOに参加する一方、米国主導のQUADにも加わり、両陣営のいずれにも深入りしないしたたかなスタンスをとっている。インド、ブラジル、南アフリカ、トルコ等とそれに続く新興国・途上国は、特定の1国でなく国家連携によって国際政治に発言力を増す。国連でロシア批判票が意外に伸びなかったのは、2大陣営のいずれにも属さないとするグローバルサウスの国家意思の現れだろう。

加えて、グローバル経済に利益を見出すグローバル資本は、2大陣営への世界の分断を受け入れず、隠然と抵抗するだろう。また、気候危機などのグローバル課題に取り組むグローバル市民社会運動も、世界の分裂を認めないだろう。

それでは今後の世界覇権構造はどうなっていくのか。イアン・ブレマーは、米国1国覇権後退後の世界について、G2(米中協調)、米中新冷戦、G20(多国間協調)、地域分裂世界の4つのシナリオを提示している(『「Gゼロ」後の世界―主導国なき時代の勝者はだれか』日本経済新聞出版社、2012年)。またインド出身の国際政治学者アミタフ・アチャリアは、パワーバランスの変化だけに注目する見方を否定し、中心軸が存在しないなかで、様々な部分が互いに複雑に依存しあう「マルチプレックス(複合型)世界」というイメージを提唱している(『アメリカ世界秩序の終焉―マルチプレックス世界のはじまり』ミネルヴァ書房、2022年)。

おそらくは、単なる多極化ではなく、相対的に国力の大きい米国、次いで中国、さらにEU、インド、その他諸国が階層構造をもって複合的に並存し、そのなかで非国家主体であるグローバル資本、市民社会組織が存在感を増していき、様々な対立と依存の組み合わせが生じる世界へと至るのだろう。それが安定的なものになるのか、混乱を繰り返すものになるのか、そのカギは国益、私的利益を超えて持続可能で公正な社会を求める世界の社会運動が握っているのではないだろうか。

(2023年4月5日、ピープルズ・プラン研究所ウエブサイト:https://www.peoples-plan.org

米中覇権争いと日本の隘路

中国共産党第20回党大会において習近平総書記は、「中国の特色ある大国外交を推し進め、覇権主義と強権政治に反対」すると述べた。覇権主義は米国を指すと思われるが、「中国の特色ある大国外交」もまさに覇権主義に相当するだろう。習近平報告の数日前、バイデン米政権は「国家安全保障戦略」を発表し、中国を「国際秩序を塗り替える意図と能力を持つ唯一の競争相手」と規定した。

 トランプ政権期に表面化した米中覇権争いは、今後長期に渡って継続すると考えられるが、グローバル経済下の「米中新冷戦」はかつての米ソ冷戦とは性格を異にしている。以下では米中経済関係の対立と依存の入り組んだ構造を概観し、その狭間で埋没しつつある日本経済の位置を明らかにしたい。

 

◆米中新冷戦の陣形

 中国の勢力圏づくりは、安全保障面では上海協力機構、経済面では「一帯一路」構想に即して進行してきた。中国、ロシア、中央アジア諸国で2001年に結成された上海協力機構は、その後インド、パキスタンをメンバーに加え、最近はイラン、トルコ、さらにエジプト、サウジアラビアなどへの拡大を志向し、総じてユーラシアにおける非米国家連合の趣きを呈してきている。

 一方、中国中心の経済圏構築を目指す「一帯一路」構想は、中国の資金、資材、労働力等を用いて各地にインフラを建設するプロジェクトとして展開しつつあり、その範囲は東欧、アフリカにも及んでいる。中国が2000~2017年に世界各国に供与した開発協力資金は8000億ドルを超え、米国を凌いだと推計されている。こうした融資によって、GDPの10%以上の対中国債務を抱えた国が44カ国に達したという調査もある(日経新聞10月13日、11月5日)。

 ただし、高利の過剰な融資によって返済が滞るケースが相次ぎ、「債務の罠」の悪評が生じるとともに、中国側の資金事情も悪化したため、近年は規模を縮小させている。習近平の報告で「「一帯一路」建設の質の高い発展を進める」と述べたのも、そうした事情の反映と思われる。

 この他、東アジアについては、RCEP(東アジア地域包括的経済連携)が15カ国によって2022年に発効しているが、経済・貿易規模の点で、中国が中核に位置することは明らかだ。日本はインドを加えて中国を牽制する狙いであったが、インドは参加を見送っている。

 こうした中国の対外拡張政策に対して、米国は「自由で開かれたインド太平洋」構想を対置し、中国の影響力拡大の抑制を試みている。その表れが、軍事面ではAUKUS(米英豪)、外交・経済安全保障面ではQuad(日米豪印)、経済面ではIPEF(インド太平洋経済枠組み)14カ国の組織化だ。IPEFに先立って、TPP(環太平洋パートナーシップ)が結成され、当初は米国主導のもと、中国を牽制する狙いであった。しかし、トランプ政権が離脱を決定し、バイデン政権もこれを継承する一方、中国が加盟の意向を表明するなど、性格が変わってきている。

 以上のような中国と米国の陣形配置は、かつての米ソ2大陣営の対立構造とはかなり異なっている。第一に、イデオロギーに基づく結集というよりは、国益に基づく集合であり、それぞれの凝縮力はそれほど強固でない。民主主義と権威主義の対立という図式もあるが、境界線は曖昧だ。第二に、グローバル経済の時代を反映して、経済活動では貿易と投資の相互乗り入れが活発に行われている。デカップリング、ブロック化を過大にみるべきではない。

 

◆米中経済分断の進行と限界

 トランプ政権が発動した米中関税合戦は、バイデン政権下でも継続しているが、ここにきて高インフレ対策として見直しに着手する動きが出ている。ただし中間選挙等の政治情勢に規定され、具体化には至っていない。

 他方、軍事利用に直結する情報通信関連のハイテク覇権争いは一段と激化しつつある。トランプ政権は、中国最大の通信機器メーカーであるファーウエイを標的とし、米国からの半導体など中核部品の供給と完成品の調達を厳しく規制した。中国側は半導体の自給化を進めたが、高機能品の代替は進まず、ファーウエイは事業基盤を海外から国内にシフトせざるをえなくなった。

さらにバイデン政権は、人工知能やスーパーコンピューターなどの開発に要する先端半導体、製造装置、技術者等が中国へ流出しないように全般的に規制を強化した。日本、オランダなど、半導体製造装置の有力メーカーを擁する国家にも同調を要請している。

こうした措置によって中国の先端半導体開発は遅れをとるであろうが、それが中国の「製造強国」化を大きく制約するとは考えられない。中国が技術開発を推進する潜在力は非常に大きい。たとえば、文部科学省科学技術・学術政策研究所が最近公表した国別科学技術指標によれば、中国の科学技術論文は量的にも質的にも米国を抜いて首位に立っている(ちなみに日本は10位以下に沈んでいる、日経新聞8月10日)。毎年卒業する理工系学生数は400万人規模という。

中国が米国と鎬を削る分野はいくつもある。宇宙開発では中国独自の宇宙ステーションが完成に近づきつつあり、次世代高速通信(6G)の中核技術の特許出願数では中国が米国を上回っている。自動運転技術では米国が中国を一歩リードしているが、その差はわずかだ。

中国の経済力の大きさが、米国による中国抑制策を限界づけている。中国の貿易規模は2013年以降、米国を抜いて世界最大であり、各国とも中国への依存度は高い。米国にしても、関税合戦にもかかわらず、中国からの輸入は2018年1~9月と2022年1~9月を比較すると、国別比率では21%から17%へと低下したものの、絶対額では増加しており、依然として最大の輸入相手国であることに変わりはない。中国の比率低下の穴を埋めたのはベトナムをはじめとする東南アジア諸国であるが、そこへは中国の輸出が伸びており、東南アジア経由で対米輸出ルートを築いた可能性もある。中国への対抗を意図したIPEFにしても、そのメンバー国のすべてで中国は米国を凌ぐ貿易相手国となっている。

覇権争いの主戦場である半導体をみても、米国企業が中国市場から撤退するわけではない。11月に上海で開催された中国国際輸入博覧会には、クアルコム、AMD、インテル、TI等の有力メーカーが規制対象外の半導体売り込みを狙って参加をしている。製造装置メーカー、ソフトウエア大手も同様だ。

 

◆日本経済の中国依存度の深化

 2021年、中国のGDPは日本の3.6倍、貿易規模は4倍に達している。米中対立の狭間にあって、軍事的に米国に依存する日本は、経済的には長期的に中国への依存度を深めている(以下は拙稿「2010年代における日中経済関係の深化」『中央学院大学現代教養論叢』4巻1号による)。2000年から2019年にかけて、日本の貿易相手国として米国と中国の比率がどう変化したかをたどってみると、輸出では米国が29.7%から19.8%へと減少する一方、中国は6.3%から19.1%へと大きく上昇した。香港を含めると23.8%となり、米国を上回る。輸入では米国が19.0%から11.0%へと低下する一方、中国は14.5%から23.5%へと増加した。

 注目すべきは中国からみた日本の比率の変化だ。同じ期間に輸出では16.7%から5.7%へ、輸入では18.4%から8.3%へと日本の地位は低下している。かつては中国の対日依存度が大きかったが、今や日本の対中依存度が上昇する反面、中国からみた日本の存在感は大幅に下がっているのだ。

 品目別にみると、中国依存度の上昇はさらに明らかになる。輸出品の中分類上位10品目では、中国比率30%以上は2010年の2品目が2019年に4品目(半導体等製造装置、プラスチック等)へと増加した。輸入品では2019年の中分類計38品目のうち中国比率70%以上が2品目(通信機、電算機類)、50~69%が7品目もある。食料品輸入に占める中国の割合もきわめて高い。野菜、加工魚の50%以上が中国産だ。肥料も50%以上を中国から輸入しており、コメの生産に欠かせないリン酸アンモニウムはほぼ全量中国が供給している(日経新聞10月20日)。仮に台湾有事などで日中貿易が途絶するとすれば、その打撃は計り知れない。2022年の中国のゼロコロナ政策程度でも日本が受けた影響は大きかった。

 日本企業の進出先としての中国の位置もきわめて重要だ。製造業の直接投資残高を国別にみると、2019年時点で全世界80兆円のうち、米国20兆円、中国9兆円であり、米国が中国の2倍以上ある。しかし、投資収益をみると2019年の場合、中国1.6兆円、米国0.9兆円となり、中国が米国を上回る。自動車と電気機器産業がその主要部分を占めている。

 このような日本経済の中国依存度の深まりをみるならば、米中対立の構図のなかで米国側につき、中国との軍事的緊張を高め、経済的に断絶する選択(ゼロチャイナ)は考えられない。中国が対日牽制策として、日本が不可欠とする品目の供給を規制してきた場合、日本側が負うべきコストは甚大なものとなる。経済安全保障政策(サプライチェーンの貼替え)ですべてをカバーできるべくもない。そうである以上、長期に渡る米中覇権争いのなかで、中国との軍拡競争に陥ることなく外交力を発揮し、東アジア規模での総合安全保障構想を打ち出していくことが求められているといえよう。    (『現代の理論』2023年冬号)

高金利への移行が経済破綻を招く

  • 金利引上げの連鎖 

 新型コロナによる経済難への対策として各国が財政・金融政策を通じて救済資金を潤沢に供給した結果、世界中に過剰資金が形成され、株価・不動産価格が上昇する一方、政府・民間の債務が膨張することになった。過剰資金の存在を背景に、コロナからの回復過程における需要と供給の不均衡、エネルギー資源と食料の価格高騰、それにロシアのウクライナ侵攻が加わり、インフレの波が世界を襲っている。

 迫りくるインフレに対して、米国FRBを先頭に、各国中央銀行は相次ぐ金利引上げで対処しており、引上げ回数は2022年9月までにのべ160回に達したという。金利引上げの影響で、4月から9月にかけて、世界の株式時価総額は24兆ドル(減少率22%)、債券残高は20兆ドル(14%)、合計44兆ドル減少した。これは世界GDPの半分に達する空前の規模だ(日経新聞10月2日)。

 低金利から高金利への転換は、過剰な債務を抱えた国家、企業、家計の破綻を招かざるをえない。その本格的発現は2023年になってからと見込まれるが、9月から11月にかけて発生した二つのショックはその先駆けといえる。

 

  • 二つのショック

 一つは9月にイギリスで生じたトラスショックだ。ジョンソン政権から交代したトラス政権は、エネルギー高対策として半年で600億ポンド(9.3兆円)の財政出動、総額450億ポンド(7兆円)と推計される50年ぶりの大型減税を打ち出した。その財源は国債発行しかない。しかし、イングランド銀行はインフレ対策として金利引上げ、国債売却を進めており、これに逆行する財政膨張は金融市場の混乱を招き、長期金利の高騰(国債価格急落)、ポンド暴落を引き起こした。緊急事態に直面してイングランド銀行は売却方針から一転して国債の無制限買入れに踏み切り、ひとまず混乱は収束したが、トラス政権は史上最短の

在任期間で崩壊した。危機の要因には、年金基金の破綻懸念があった。年金基金は低金利下で利益を出すためにリスクのある資産運用を行っており、金利急騰・国債暴落で資金繰りがつかなくなるという事態が進行した。MMT(現代貨幣理論)の破綻がここに現れたといえる。

 もう一つは、11月に発生した米国のFTXショックだ。仮想通貨(暗号資産)交換業大手のFTXトレーディングは、杜撰な経営実態が明らかになり、資金繰りに行き詰まって破産に至った。負債総額は現時点で不明だが 100~500億ドル規模と推定されている。これは

仮想通貨業界で過去最大の経営破綻という。担当弁護士は「米国の企業経営史上、最も突然で困難な破綻」と称した(日経新聞11月24日)。FTXには有力なベンチャーキャピタルが出資しており、ソフトバンクもその一つだ。全世界に100万人以上の顧客がいるとされ、影響は仮想通貨業界にとどまらず、金融市場全体に拡大する可能性がある。これも、低金利下で膨らんだバブルが、高金利への移行に伴って崩壊した一例だろう。

 

  • 日銀金融政策の転換が危機の端緒

 日本はどうなのか。日銀はイールドカーブ・コントロール(YCC)という低金利政策を2016年9月から6年も続けているが、すでに消費者物価は今秋連続して目標の2%を超え、10月には3.6%に達した。エネルギー、食料等の輸入品の高騰と日米の金利差拡大による円安が物価上昇の二大要因であり、この対策としての利上げ圧力はかつてなく高まっている。すでに住宅ローン金利は上がり始めている。

 日銀は、金利を引き上げた場合、新規国債発行の困難、既発国債の価格下落による日銀・民間銀行・保険会社・年金基金等の財務内容の悪化が生じることを懸念して、政策転換ができない。出るに出られない袋小路に追い込まれている。しかしいつまでも動かないわけにはいかず、近い将来、YCCを少し手直しして、若干の金利引上げに踏み切らざるをえないだろう。そのタイミングは最も早ければ2023年4月、黒田総裁が次の総裁に交代する時点と考えられる。

その時何が起きるのか。よほどうまく切り替えなければ、投機的な円・国債の売り浴びせが生じ、債券と為替の急落、さらには株式市場の混乱が起こりうる。日銀には当座預金付利が保有国債からの受取利子を上回る逆ザヤが生じうる。また国債価格の下落は日銀・民間銀行・保険会社の資産構成を悪化させるだろう。日本財政と円への信認が低下し、資本の海外逃避によって円安が一段と進行、輸入インフレが激化する可能性がある。

 円安の度合いは、経常収支の見通しにかかっている。経常収支黒字の存在が、巨額債務を抱える日本財政と日本円に対する信頼をこれまでつなぎ止めてきた。しかし、日本経済の輸出力は低下しつつあり、この先貿易赤字の拡大が所得収支の黒字(海外投資収益の還流)をもってしてもカバーしきれなくなれば、実力の低下した日本経済に厳しい試練が訪れるかもしれない。経常収支黒字を維持するために、長期的にエネルギーと食料の自給度を高めていくことが必要だろう。             (Political Economy, No.226、2022年12月1日)

 

ポストコロナはインフレ、そしてスタグフレーションの時代か?

ポストコロナはインフレ、そしてスタグフレーションの時代か?

                                2022年2月27日

◆世界はインフレに突入

 日本の物価上昇が止まらない。ハム、マヨネーズ、食パン、カップ麺等の食料品、ティッシュペーパー等の日用品、そしてガソリンなど、多くの商品の小売価格が値上げまたは値上げ予定となっている。消費者物価指数(生鮮食品を除く総合指数、コアCPI)は、2021年12月に前年同月比0.5%、22年1月0.2%上昇し、5カ月連続のプラスとなった。通信料(携帯電話料金)の大幅値下げの影響が消える4月には、日銀が目標とする2%を超えるかもしれない。

 消費者物価指数の上昇に先立って、企業物価指数が歴史的高水準を記録している。2021年を通じて上昇率は過去最大の4.8%、3月以降は11カ月連続プラス、11月は前年同月比9.2%(41年ぶり)、12月8.5%、2022年1月8.6%と高止まりとなっている。これに対して企業はこれまでは、仕入れ費用の上昇を小売価格に転嫁すると売上が落ちることを危惧し、利益を削って内部で吸収してきたが、それも限界にきたということだろう。

企業物価指数の高騰は輸入物価指数の急上昇の反映である。輸入物価指数の上昇率は、2021年を通じて22.7%、年末の11月、12月とも40%以上、22年1月37.5%ときわめて高い水準を続けている。

 現在のところ、日本の消費者物価指数は目標の2%に届かず、世界的にみれば依然として低い水準にあるが、米国は40年ぶりの激しいインフレに見舞われつつある。2021年初頭からの物価上昇は、当初はコロナ禍の需給不均衡による一時的な現象とみられていたところ、消費者物価指数(総合)は目標の2%を超えて上がり続け、12月に7.0%、2022年1月に7.5%に達した。

 欧州もまた米国から遅れながらも後を追う動きを示しており、2022年1月には過去最高の5.1%に達した。イギリスのCPIは2022年1月に5.5%に上昇し、30年ぶりの高さに達した。OECD加盟国平均でみても30年ぶりとなる歴史的なインフレの到来といえる。

 

◆インフレ要因は複合的

 世界的な物価上昇の要因はコロナ禍に起因する需給不均衡と、より長期的な気候変動の影響との複合であり、一時的な現象にとどまらない。したがって、ワクチンの普及によってコロナの流行が下火になったとしても、単純に元に戻るとは思われない。

確かにきっかけはコロナによる供給不足(物流の停滞、サプライチェーンの分断など)だった。影響は原油、金属、穀物等の国際商品にも及び、19品目総合指数は2021年の1年間で5割近く上昇し1995年以降で最大の上げ幅となった。

なかでも原油価格の上昇は目立っており、2021年1月に1バレル50ドル(WTI原油先物)だったのが、ウクライナ危機の影響も加わって2022年2月末には100ドルを突破するほどに跳ね上がった。コロナによる需要減少を見込んで産油国が協調減産を行って供給量を絞った結果だが、需要回復に見合った産出量の回復が生じていない。そこには長期的な脱炭素潮流を見込んで、産油国が開発投資に消極的になることが影響している。

 穀物等の農産物価格の上昇も、コロナ禍の労働者不足による減産と、気候危機による不作が重なったものだ。たとえば、ブラジルは90年ぶりの少雨によってトウモロコシの減産に見舞われた。米国とカナダは夏の熱波(高温乾燥)によって小麦の減産を余儀なくされた。さらに、脱炭素に向けたバイオ燃料需要の増加も大豆や砂糖の価格を押し上げている。

 こうした世界的なインフレ要因に加えて、特に米国では労働力供給の逼迫による賃金上昇が注目される。米国の失業率は2020年の7%台から2021年12月3.9%へと低下した。2022年1月の平均時給上昇率は前年同月比5.7%上昇、これはデータが残る2006年以降で最高に近い数字だという。景気回復を見越して、高賃金を求める自発的離職者が400万人を超え、求人と採用のギャップが拡大している。こうした高インフレ要因が、FRBの金利引上げへの圧力となっている。

 一方日本では、円安が輸入物価の上昇を招き、重要なインフレ要因となっている。円相場は2021年1月に104円前後であったのが、2022年1月には115円まで下落、さらに下がるかもしれない。輸入物価の上昇は輸入企業によって吸収される傾向があるが、さすがにそれにも限度があり、次第に消費者物価に反映するようになっていく。

 

◆米国金融政策の転換とその衝撃

 インフレを放置すると政治危機を招く可能性がある。FRB(連邦準備制度理事会)の2021年夏ごろの認識は、インフレは一過性のものであって、いずれ供給サイドが回復して落ち着くというものだった。ところが、21年末になるとFRBの認識に変化が生じ、供給制約、労働力不足は長期化し、物価と賃金が並行して上昇する本格的なインフレモードに入ったと判断するようになった。2022年1月、FRBは金融政策の大転換を表明、70年代末のボルカー議長時代以来40年ぶりのインフレ抑制政策の導入に踏み切った。

 政策金利は2022年3月から連続して引き上げる予定という。政策金利はリーマンショック後のゼロ金利政策が2015年に終了し、小刻みに2.5%まで引き上げられてきたが、コロナ禍で再びゼロ金利(0~0.25%)に回帰していた。3月から段階的に利上げを繰り返し、2022年中に5回、1.25%程度引き上げると予想されている。

一方、国債や住宅ローン担保証券を買い上げる量的緩和政策は、リーマン危機後に導入され、2017年にようやく資産縮小に向かったが、2020年3月に再び量的緩和に進み、FRBの 総資産は19年末4兆ドルが22年1月には9兆ドルへと膨脹した。資産購入量は21年11月から削減に着手し、22年3月終了したのち、7月からは資産の圧縮に取り組むとされている。

インフレ抑制政策は、強すぎれば景気を落ち込ませ、バブル状態の金融市場を攪乱させる。しかし、弱すぎればインフレを阻止できず、政治の側から強い圧力がかかってくる。景気を持続させつつインフレを抑制することは至難の業といえる。

金融引締め政策の影響は多方面に及ぶ。第一に、長期金利の上昇(債券価格の下落)を招き、債券市場を冷え込ませる。特に低金利下の米国では、低格付け社債の発行が、2020年5700億ドル、2021年6700億ドルと過去最高の規模に達し、バブル状況になっている。金利が引き上げられれば、数年後に訪れる借換が困難になるし、変動金利が組み込まれている場合は債務不履行になるリスクがある。

第二に、株式市場が暴落するリスクがある。将来の株価上昇に過剰に期待してバブルになっていたハイテク株は、すでに値下がりを開始している。株式市場の混乱は実体経済に波及していくだろう。世界的にみてもコロナによる財政出動、金融緩和によって株式市場は水ぶくれし、株式時価総額はコロナ前の80億ドル台が2021年末には119億ドルまで膨脹しており、下落は避けられそうもない。

第三に、米国の金利上昇は、ドル債務を抱える新興国の利払負担を増やすとともに、資金流出を招き、通貨安、輸入物価上昇を通じてインフレを増幅する。新興国の抱える債務は、前回FRBが利上げした2015年に54.2兆ドルだったが、21年9月には92.6兆ドルに膨張している。資金流出を抑制するため、すでにブラジル、ロシア、メキシコ、インドネシア、南アフリカなどは金利の引き上げに踏み切っているが、これは国内経済を冷え込ませるだろう。

 欧州もまた金融政策の転換に踏み切りつつある。イギリスは消費者物価指数が21年12月5.4%、22年1月5.5%と30年ぶりの高水準を記録し、イングランド銀行は21年12月に政策金利を0.15%、続いて2月に0.25%引き上げた。景気回復が鈍いユーロ圏でも物価上昇率が21年12月5.0%、22年1月、5.1%とユーロ発足以来最高の水準に達した。欧州中央銀行はFRBよりも慎重な構えだが、債券の緊急買取政策を3月で打切り、以後は購入量を段階的に減らしていく。政策金利の引き上げも2022年中に開始となる見通しだ。

 

◆日銀はどうするのか

 日銀は物価目標2%を掲げ、2016年9月から長短金利操作付き量的・質的緩和政策を導入し、短期金利はマイナス0.1%、長期金利(10年物国債)は0%近辺(変動幅は上下0.25%)、資産購入は国債年間80兆円、ETF(上場投資信託)12兆円と設定してきた。しかし、一向に効果が現れないなかで、副作用が目立つようになってきている。

 量的緩和政策はその限界を露呈させており、2021年末の国債保有残高は前年比14兆円減少(2008年以来13年ぶり)、ETF買入額は前年の8分の1に縮小した。政策の軸足は金利操作に移っているが、そこにインフレ、金利上昇圧力が押し寄せ、金融緩和政策の転換を迫られている。

ただし黒田日銀総裁は、物価目標2%の達成はまだ遠い先のこととして、緩和政策の転換を強く否定している。長期金利上昇の圧力に対しては、10年物国債を利回り0.25%で無制限に購入する(指値オペ)という強硬な金利抑圧策を繰り出した(2月14日)。中央銀行が長期金利をどこまで制御できるのか、未知の領域である。日銀は10年物以外の国債に同様の策をとるわけではないので、債券市場全体がどのように動いていくのか、きわめて不透明な状況になりつつある。

もしこの先、物価水準が2%に達したとして、日銀はどうするのだろうか。おそらく金利引上げにはきわめて消極的だろう。金利上昇は、低金利状態に慣れてしまった政府、金融機関に衝撃を与える。金利1%上昇により政府の国債費は3.8兆円増加、金融機関保有債券は9兆円の評価損をもたらすという推計もある(日経21年12月25日)。日銀自身も400兆円を上回る国債価格下落によってバランスシートの悪化が不可避となる。株価も当然大幅に下落し、景気は冷え込むだろう。

とはいえ、金融政策を変えないままでは、米欧の高金利への転換のため、金利差が拡大し、日本からの資金流出、円安の加速が生じる可能性がある。そうなれば輸入物価は一段と上昇し、国内のインフレを増幅させる。今後、一定の名目賃金上昇があるとしても、それが物価上昇に追いつかないならば、実質賃金の下落をもたらし、日本経済は不況下のインフレ、スタグフレーションに陥るかもしれない。

仮想通貨リブラが変える世界

  • リブラの登場

 6月18日にフェイスブックが新しい仮想通貨リブラの構想を公表し、2020年前半の運用開始を宣言して以来、その成り行きに注目が集まっている。2009年に登場したビットコイン以降、世界では2000種類以上(時価総額3000億ドル)の仮想通貨が発行されたというが、大半は狭い範囲での流通であり、既存の金融システムへの影響は限られていた。

 しかし、リブラ(古代ローマ帝国の通貨名称)は従来の仮想通貨とは決定的に異なる性格をもっている。第一に、発行主体が巨大企業の集合であり、多数の利用者が見込まれる。世界27億人のユーザーをもつフェイスブックを中心に、決済業界最大手のビザ、マスターカード、ペイパル、さらにライドシェアのウーバーテクノロジーズ、音楽配信のスポティファイ等が参加するという。ビットコインなどは不特定多数の分散型ネットワーク(パブリック・ブロックチェーン)で送金コストを下げているが、リブラは加盟社のネットワーク(プライベート・ブロックチェーン)を用いる。

 第二に、通貨価値の安定を図るために、ドル、ユーロなどの準備金に裏づけられた発行をする(ステープルコイン)。これによって、投機的商品となっていたビットコインとは異なり、流通範囲が広がる。金融庁は、価値の裏づけのない仮想通貨を法定通貨(または法定通貨建て資産)でない一種の金融資産とみていたが(従って暗号資産と命名)、法定通貨とのリンクが確認できれば、仮想通貨とは異なるデジタル通貨として扱われることになろう。

 

  • 通貨当局の猛反発

 リブラ構想の発表に対する通貨当局の反応は迅速だった。米下院金融サービス委員会の委員長は直ちに、議会・当局の審査が必要であり、開発停止を求めるとの声明を発した。イングランド銀行のカーニー総裁は高度の規制が必要と述べ、FRBのパウエル議長は、審査には1年以上かかると発言した。金融安定理事会(FSB)の議長は、6月のG20サミット参加の各国首脳に、高い基準の規制の検討を要請した。国際決済銀行(BIS)の報告書は、巨大IT企業の金融業進出に対する包括的検討の必要性を指摘した。G20、G7の財務相・中央銀行総裁会議でも問題が提起され、IMFは7月半ばにデジタル通貨に関する報告書を作成した。

 このような当局のすばやい反応は、リブラのインパクトの大きさを物語っている。提起されている懸念は多岐に渡るが、整理すると次の4点になる。

 第一に、匿名取引の問題である。資金洗浄、脱税等の不正防止には、取引の本人確認が必要だが、リブラではそこに抜け道が生じるとする。

 第二に、個人情報保護への懸念である。フェイスブックは大量の個人情報を流出させた「前科」があるだけに、資金移動に関する情報流出の懸念が拭えない。

 第三に、金融業界の送金、決済業務が奪われ、やがては預金、融資なども侵食される可能性、またリブラが通貨発行益を得るとすれば、中央銀行の通貨発行益が侵食されてしまう。

 第四に、金融システムへの影響である。無利子のリブラの流通量が増大すれば、通貨当局の金融政策の有効性が損なわれ、またインフレの進行が予測される国から大規模な資本逃避が生じる可能性もある。

 

  • 通貨システムの大転換

 今後、各国政府・通貨当局は連携してリブラ発行への規制策を策定していく。フェイスブックはこれへの協力を表明している。規制と効率・コストとは両立しないが、いずれ妥協が成立するだろう。

 その先の世界を考える場合、二つの点に注目しておきたい。第一は、IT業界と金融業界にまたがるデジタル通貨競争の激化である。そのなかでリブラが勝ち進んでいくならば、まずは国境を越える小口の送金、決済の分野で支配的シェアをとる。それは既存の金融業務の一部への進出にすぎないが、そこで優位に立てば、次に預金・貸出業務にも進出し、中央銀行の統制が及ばない存在になりうる。そうなると金融政策が機能しなくなり、中央銀行の歴史的役割が終わる世界が到来するという事態も、あながち夢物語とはいえなくなるだろう(岩村允『中央銀行が終わる日』)。

第二は、ドル基軸体制からSDR基軸体制への転換である。リブラ構想が注目されるのは、その価値を維持するために、主要通貨のバスケット、つまりSDRを想定している点である。ドルに代わり、SDRを国際通貨システムの基軸にすえるべきだとする意見は、リーマンショック後に、IMF、中国などが唱えてきた。それに加えて、イングランド銀行のカーニー総裁も、8月のジャクソンホール会議(各国中央銀行総裁が参加)において同趣旨の提起を行った。ドルの過剰発行による世界的な金融不安、株価の乱高下、金価格上昇が続く中、リブラはドル体制からSDR体制への転轍機の役割を果たすかもしれない。トランプはリブラについて「支持や信頼性はほとんど得られないだろう」として、ドルが一番と発言したが、ドル体制の終焉を直感したからではないだろうか。

(Political Economy 148号、2019年8月8日)