MMT(現代貨幣理論)は日本経済に適用できるのか

MMT(現代貨幣理論)をめぐる議論が活発だ。以前は「トンデモ理論」として一蹴される傾向があったが、ここにきて翻訳や解説本が出回るようになり、ようやく落ち着いた議論ができる環境が整ってきたようだ。ランダル・レイ『MMT 現代貨幣理論入門』(東洋経済新報社)が翻訳刊行され、その監訳者の島倉原氏は論点を簡潔に整理した『MMTとは何か』(角川新書)を出版した。また、中野剛志『奇跡の経済教室 基礎知識編』(KKベストセラーズ)も挑発的な書き方をしていておもしろい。

確かにMMTの理論的内容は興味深い。貨幣の本質については、物々交換から説く商品貨幣論よりも、管理通貨制下では信用貨幣論(信用取引に伴う貨幣創造)の方が妥当性をもつように思われる。そこからさらに政府をマクロ経済の主体とする機能的財政論が展開される。その延長上に、「自国通貨建てであれば政府の支払能力には制限はない」とする独特の主張がなされる。

この主張は、健全財政の呪縛にとらわれ、大胆な財政出動にブレーキがかかる資本主義先進国の現状に対する問題提起としては一定の有効性を認めることができる。アメリカやヨーロッパでMMTに関心が寄せられるのも、緊縮財政批判の意義をもつからだろう。しかし、それが固有の困難(人口減少と巨額の政府債務累積)をかかえる現在の日本経済に適切な政策を提起しているのか、となると大いに疑問がある。この疑問は三つの部分からなる。

第一に、MTT派は1990年代以降の日本経済(デフレ経済)の原因を財政政策のあり方に求めている。1997年を起点とする消費税増税、歳出削減という緊縮財政路線がデフレの最大の原因だというのだ。私見をいえば、1990年代のデフレは、バブル崩壊による信用縮小という循環的要因と、グローバル化、IT革命、人口(生産年齢人口)減少という構造的要因が重なったためだと考える。MTT派は、総需要と総供給のバランス変化からインフレ、デフレを把握しており、循環的要因にしか目を向けていない。デフレに対して金融緩和政策は効果がないとして(このリフレ派に対する批判は当たっている)、拡張的財政政策を主張する。日本と主要国のGDP成長率と財政支出伸び率を比較し、そこに正の相関関係を見出し、日本の成長率が低いのは財政支出伸び率が低いためであると論じる。逆ではないか。成長率が低いから財政支出が伸びないのではないか。

 第二に、対策として拡張的財政政策の有効性を主張しているが、どこまで妥当性をもつか。そもそも日本が一貫して緊縮政策をとってきたわけではない。消費税増税の裏面では、所得税・法人税の減税を行ってきた。歳出も一方的に削減してきたわけではない。そうでなければ、どうしてあれだけの債務累積が生じたことになるのか。おそらくMMT派は、財政政策が中途半端であり、もっと大胆に拡張せよというのだろう。財政ファイナンスを気にせず、インフレにならない限り、いくらでも国債発行ができるという。しかし、それによって日本経済は期待される成長軌道に乗るのだろうか。デフレの要因は、循環的なものでなく、構造的なものであるとすれば、構造政策をとらなければ現状を変えることはできないのではないか。(構造政策は、新自由主義的成長戦略でなく、脱成長・脱工業化・環境重視・地域自立型のものになるだろうが、ここでは立ち入らない。)

 第三に、いずれは到来するインフレに対する対策に疑問がある。財政ファイナンスを気にしないMMT派の国債増発策が続くとすれば、日本経済の「低温状態」から推測すると、政府債務はGDPの3倍、4倍になってもおかしくない。MMT派はハイパーインフレの可能性はない、4~5%程度のインフレ率になったとき、増税や歳出削減をすれば安定するというが、楽観的にすぎるのではないか。まず、インフレが発生したとして、その認識・判断、政策の決定・実施には相当のタイムラグがある。タイムラグがあるなかで、インフレの程度と増税・歳出削減の程度をいかに調整するかは至難の技である。いかなる税をどれだけ増税するのか、歳出のどの費目をどれだけ削るのか、政治的困難は計り知れず、内閣がいくつあっても足りないだろう。デフレに金融政策が効かないのと同様に、インフレに財政政策は効きにくいのではないか。インフレによる金利上昇、国債価格の暴落を契機に、株価の下落、円相場の暴落、大規模な資本逃避が生じるかもしれない。一連の混乱ののち、新たな安定状態が訪れるとしても、その間の犠牲があまりにも大きいといわなければならない。この点を考えると、MMT派の拡張的財政政策は、リスクが大きすぎるように思われる。

(Political Economy 156号、2020年1月15日)