ポストコロナはインフレ、そしてスタグフレーションの時代か?

ポストコロナはインフレ、そしてスタグフレーションの時代か?

                                2022年2月27日

◆世界はインフレに突入

 日本の物価上昇が止まらない。ハム、マヨネーズ、食パン、カップ麺等の食料品、ティッシュペーパー等の日用品、そしてガソリンなど、多くの商品の小売価格が値上げまたは値上げ予定となっている。消費者物価指数(生鮮食品を除く総合指数、コアCPI)は、2021年12月に前年同月比0.5%、22年1月0.2%上昇し、5カ月連続のプラスとなった。通信料(携帯電話料金)の大幅値下げの影響が消える4月には、日銀が目標とする2%を超えるかもしれない。

 消費者物価指数の上昇に先立って、企業物価指数が歴史的高水準を記録している。2021年を通じて上昇率は過去最大の4.8%、3月以降は11カ月連続プラス、11月は前年同月比9.2%(41年ぶり)、12月8.5%、2022年1月8.6%と高止まりとなっている。これに対して企業はこれまでは、仕入れ費用の上昇を小売価格に転嫁すると売上が落ちることを危惧し、利益を削って内部で吸収してきたが、それも限界にきたということだろう。

企業物価指数の高騰は輸入物価指数の急上昇の反映である。輸入物価指数の上昇率は、2021年を通じて22.7%、年末の11月、12月とも40%以上、22年1月37.5%ときわめて高い水準を続けている。

 現在のところ、日本の消費者物価指数は目標の2%に届かず、世界的にみれば依然として低い水準にあるが、米国は40年ぶりの激しいインフレに見舞われつつある。2021年初頭からの物価上昇は、当初はコロナ禍の需給不均衡による一時的な現象とみられていたところ、消費者物価指数(総合)は目標の2%を超えて上がり続け、12月に7.0%、2022年1月に7.5%に達した。

 欧州もまた米国から遅れながらも後を追う動きを示しており、2022年1月には過去最高の5.1%に達した。イギリスのCPIは2022年1月に5.5%に上昇し、30年ぶりの高さに達した。OECD加盟国平均でみても30年ぶりとなる歴史的なインフレの到来といえる。

 

◆インフレ要因は複合的

 世界的な物価上昇の要因はコロナ禍に起因する需給不均衡と、より長期的な気候変動の影響との複合であり、一時的な現象にとどまらない。したがって、ワクチンの普及によってコロナの流行が下火になったとしても、単純に元に戻るとは思われない。

確かにきっかけはコロナによる供給不足(物流の停滞、サプライチェーンの分断など)だった。影響は原油、金属、穀物等の国際商品にも及び、19品目総合指数は2021年の1年間で5割近く上昇し1995年以降で最大の上げ幅となった。

なかでも原油価格の上昇は目立っており、2021年1月に1バレル50ドル(WTI原油先物)だったのが、ウクライナ危機の影響も加わって2022年2月末には100ドルを突破するほどに跳ね上がった。コロナによる需要減少を見込んで産油国が協調減産を行って供給量を絞った結果だが、需要回復に見合った産出量の回復が生じていない。そこには長期的な脱炭素潮流を見込んで、産油国が開発投資に消極的になることが影響している。

 穀物等の農産物価格の上昇も、コロナ禍の労働者不足による減産と、気候危機による不作が重なったものだ。たとえば、ブラジルは90年ぶりの少雨によってトウモロコシの減産に見舞われた。米国とカナダは夏の熱波(高温乾燥)によって小麦の減産を余儀なくされた。さらに、脱炭素に向けたバイオ燃料需要の増加も大豆や砂糖の価格を押し上げている。

 こうした世界的なインフレ要因に加えて、特に米国では労働力供給の逼迫による賃金上昇が注目される。米国の失業率は2020年の7%台から2021年12月3.9%へと低下した。2022年1月の平均時給上昇率は前年同月比5.7%上昇、これはデータが残る2006年以降で最高に近い数字だという。景気回復を見越して、高賃金を求める自発的離職者が400万人を超え、求人と採用のギャップが拡大している。こうした高インフレ要因が、FRBの金利引上げへの圧力となっている。

 一方日本では、円安が輸入物価の上昇を招き、重要なインフレ要因となっている。円相場は2021年1月に104円前後であったのが、2022年1月には115円まで下落、さらに下がるかもしれない。輸入物価の上昇は輸入企業によって吸収される傾向があるが、さすがにそれにも限度があり、次第に消費者物価に反映するようになっていく。

 

◆米国金融政策の転換とその衝撃

 インフレを放置すると政治危機を招く可能性がある。FRB(連邦準備制度理事会)の2021年夏ごろの認識は、インフレは一過性のものであって、いずれ供給サイドが回復して落ち着くというものだった。ところが、21年末になるとFRBの認識に変化が生じ、供給制約、労働力不足は長期化し、物価と賃金が並行して上昇する本格的なインフレモードに入ったと判断するようになった。2022年1月、FRBは金融政策の大転換を表明、70年代末のボルカー議長時代以来40年ぶりのインフレ抑制政策の導入に踏み切った。

 政策金利は2022年3月から連続して引き上げる予定という。政策金利はリーマンショック後のゼロ金利政策が2015年に終了し、小刻みに2.5%まで引き上げられてきたが、コロナ禍で再びゼロ金利(0~0.25%)に回帰していた。3月から段階的に利上げを繰り返し、2022年中に5回、1.25%程度引き上げると予想されている。

一方、国債や住宅ローン担保証券を買い上げる量的緩和政策は、リーマン危機後に導入され、2017年にようやく資産縮小に向かったが、2020年3月に再び量的緩和に進み、FRBの 総資産は19年末4兆ドルが22年1月には9兆ドルへと膨脹した。資産購入量は21年11月から削減に着手し、22年3月終了したのち、7月からは資産の圧縮に取り組むとされている。

インフレ抑制政策は、強すぎれば景気を落ち込ませ、バブル状態の金融市場を攪乱させる。しかし、弱すぎればインフレを阻止できず、政治の側から強い圧力がかかってくる。景気を持続させつつインフレを抑制することは至難の業といえる。

金融引締め政策の影響は多方面に及ぶ。第一に、長期金利の上昇(債券価格の下落)を招き、債券市場を冷え込ませる。特に低金利下の米国では、低格付け社債の発行が、2020年5700億ドル、2021年6700億ドルと過去最高の規模に達し、バブル状況になっている。金利が引き上げられれば、数年後に訪れる借換が困難になるし、変動金利が組み込まれている場合は債務不履行になるリスクがある。

第二に、株式市場が暴落するリスクがある。将来の株価上昇に過剰に期待してバブルになっていたハイテク株は、すでに値下がりを開始している。株式市場の混乱は実体経済に波及していくだろう。世界的にみてもコロナによる財政出動、金融緩和によって株式市場は水ぶくれし、株式時価総額はコロナ前の80億ドル台が2021年末には119億ドルまで膨脹しており、下落は避けられそうもない。

第三に、米国の金利上昇は、ドル債務を抱える新興国の利払負担を増やすとともに、資金流出を招き、通貨安、輸入物価上昇を通じてインフレを増幅する。新興国の抱える債務は、前回FRBが利上げした2015年に54.2兆ドルだったが、21年9月には92.6兆ドルに膨張している。資金流出を抑制するため、すでにブラジル、ロシア、メキシコ、インドネシア、南アフリカなどは金利の引き上げに踏み切っているが、これは国内経済を冷え込ませるだろう。

 欧州もまた金融政策の転換に踏み切りつつある。イギリスは消費者物価指数が21年12月5.4%、22年1月5.5%と30年ぶりの高水準を記録し、イングランド銀行は21年12月に政策金利を0.15%、続いて2月に0.25%引き上げた。景気回復が鈍いユーロ圏でも物価上昇率が21年12月5.0%、22年1月、5.1%とユーロ発足以来最高の水準に達した。欧州中央銀行はFRBよりも慎重な構えだが、債券の緊急買取政策を3月で打切り、以後は購入量を段階的に減らしていく。政策金利の引き上げも2022年中に開始となる見通しだ。

 

◆日銀はどうするのか

 日銀は物価目標2%を掲げ、2016年9月から長短金利操作付き量的・質的緩和政策を導入し、短期金利はマイナス0.1%、長期金利(10年物国債)は0%近辺(変動幅は上下0.25%)、資産購入は国債年間80兆円、ETF(上場投資信託)12兆円と設定してきた。しかし、一向に効果が現れないなかで、副作用が目立つようになってきている。

 量的緩和政策はその限界を露呈させており、2021年末の国債保有残高は前年比14兆円減少(2008年以来13年ぶり)、ETF買入額は前年の8分の1に縮小した。政策の軸足は金利操作に移っているが、そこにインフレ、金利上昇圧力が押し寄せ、金融緩和政策の転換を迫られている。

ただし黒田日銀総裁は、物価目標2%の達成はまだ遠い先のこととして、緩和政策の転換を強く否定している。長期金利上昇の圧力に対しては、10年物国債を利回り0.25%で無制限に購入する(指値オペ)という強硬な金利抑圧策を繰り出した(2月14日)。中央銀行が長期金利をどこまで制御できるのか、未知の領域である。日銀は10年物以外の国債に同様の策をとるわけではないので、債券市場全体がどのように動いていくのか、きわめて不透明な状況になりつつある。

もしこの先、物価水準が2%に達したとして、日銀はどうするのだろうか。おそらく金利引上げにはきわめて消極的だろう。金利上昇は、低金利状態に慣れてしまった政府、金融機関に衝撃を与える。金利1%上昇により政府の国債費は3.8兆円増加、金融機関保有債券は9兆円の評価損をもたらすという推計もある(日経21年12月25日)。日銀自身も400兆円を上回る国債価格下落によってバランスシートの悪化が不可避となる。株価も当然大幅に下落し、景気は冷え込むだろう。

とはいえ、金融政策を変えないままでは、米欧の高金利への転換のため、金利差が拡大し、日本からの資金流出、円安の加速が生じる可能性がある。そうなれば輸入物価は一段と上昇し、国内のインフレを増幅させる。今後、一定の名目賃金上昇があるとしても、それが物価上昇に追いつかないならば、実質賃金の下落をもたらし、日本経済は不況下のインフレ、スタグフレーションに陥るかもしれない。

仮想通貨リブラが変える世界

  • リブラの登場

 6月18日にフェイスブックが新しい仮想通貨リブラの構想を公表し、2020年前半の運用開始を宣言して以来、その成り行きに注目が集まっている。2009年に登場したビットコイン以降、世界では2000種類以上(時価総額3000億ドル)の仮想通貨が発行されたというが、大半は狭い範囲での流通であり、既存の金融システムへの影響は限られていた。

 しかし、リブラ(古代ローマ帝国の通貨名称)は従来の仮想通貨とは決定的に異なる性格をもっている。第一に、発行主体が巨大企業の集合であり、多数の利用者が見込まれる。世界27億人のユーザーをもつフェイスブックを中心に、決済業界最大手のビザ、マスターカード、ペイパル、さらにライドシェアのウーバーテクノロジーズ、音楽配信のスポティファイ等が参加するという。ビットコインなどは不特定多数の分散型ネットワーク(パブリック・ブロックチェーン)で送金コストを下げているが、リブラは加盟社のネットワーク(プライベート・ブロックチェーン)を用いる。

 第二に、通貨価値の安定を図るために、ドル、ユーロなどの準備金に裏づけられた発行をする(ステープルコイン)。これによって、投機的商品となっていたビットコインとは異なり、流通範囲が広がる。金融庁は、価値の裏づけのない仮想通貨を法定通貨(または法定通貨建て資産)でない一種の金融資産とみていたが(従って暗号資産と命名)、法定通貨とのリンクが確認できれば、仮想通貨とは異なるデジタル通貨として扱われることになろう。

 

  • 通貨当局の猛反発

 リブラ構想の発表に対する通貨当局の反応は迅速だった。米下院金融サービス委員会の委員長は直ちに、議会・当局の審査が必要であり、開発停止を求めるとの声明を発した。イングランド銀行のカーニー総裁は高度の規制が必要と述べ、FRBのパウエル議長は、審査には1年以上かかると発言した。金融安定理事会(FSB)の議長は、6月のG20サミット参加の各国首脳に、高い基準の規制の検討を要請した。国際決済銀行(BIS)の報告書は、巨大IT企業の金融業進出に対する包括的検討の必要性を指摘した。G20、G7の財務相・中央銀行総裁会議でも問題が提起され、IMFは7月半ばにデジタル通貨に関する報告書を作成した。

 このような当局のすばやい反応は、リブラのインパクトの大きさを物語っている。提起されている懸念は多岐に渡るが、整理すると次の4点になる。

 第一に、匿名取引の問題である。資金洗浄、脱税等の不正防止には、取引の本人確認が必要だが、リブラではそこに抜け道が生じるとする。

 第二に、個人情報保護への懸念である。フェイスブックは大量の個人情報を流出させた「前科」があるだけに、資金移動に関する情報流出の懸念が拭えない。

 第三に、金融業界の送金、決済業務が奪われ、やがては預金、融資なども侵食される可能性、またリブラが通貨発行益を得るとすれば、中央銀行の通貨発行益が侵食されてしまう。

 第四に、金融システムへの影響である。無利子のリブラの流通量が増大すれば、通貨当局の金融政策の有効性が損なわれ、またインフレの進行が予測される国から大規模な資本逃避が生じる可能性もある。

 

  • 通貨システムの大転換

 今後、各国政府・通貨当局は連携してリブラ発行への規制策を策定していく。フェイスブックはこれへの協力を表明している。規制と効率・コストとは両立しないが、いずれ妥協が成立するだろう。

 その先の世界を考える場合、二つの点に注目しておきたい。第一は、IT業界と金融業界にまたがるデジタル通貨競争の激化である。そのなかでリブラが勝ち進んでいくならば、まずは国境を越える小口の送金、決済の分野で支配的シェアをとる。それは既存の金融業務の一部への進出にすぎないが、そこで優位に立てば、次に預金・貸出業務にも進出し、中央銀行の統制が及ばない存在になりうる。そうなると金融政策が機能しなくなり、中央銀行の歴史的役割が終わる世界が到来するという事態も、あながち夢物語とはいえなくなるだろう(岩村允『中央銀行が終わる日』)。

第二は、ドル基軸体制からSDR基軸体制への転換である。リブラ構想が注目されるのは、その価値を維持するために、主要通貨のバスケット、つまりSDRを想定している点である。ドルに代わり、SDRを国際通貨システムの基軸にすえるべきだとする意見は、リーマンショック後に、IMF、中国などが唱えてきた。それに加えて、イングランド銀行のカーニー総裁も、8月のジャクソンホール会議(各国中央銀行総裁が参加)において同趣旨の提起を行った。ドルの過剰発行による世界的な金融不安、株価の乱高下、金価格上昇が続く中、リブラはドル体制からSDR体制への転轍機の役割を果たすかもしれない。トランプはリブラについて「支持や信頼性はほとんど得られないだろう」として、ドルが一番と発言したが、ドル体制の終焉を直感したからではないだろうか。

(Political Economy 148号、2019年8月8日)

MMT(現代貨幣理論)は日本経済に適用できるのか

MMT(現代貨幣理論)をめぐる議論が活発だ。以前は「トンデモ理論」として一蹴される傾向があったが、ここにきて翻訳や解説本が出回るようになり、ようやく落ち着いた議論ができる環境が整ってきたようだ。ランダル・レイ『MMT 現代貨幣理論入門』(東洋経済新報社)が翻訳刊行され、その監訳者の島倉原氏は論点を簡潔に整理した『MMTとは何か』(角川新書)を出版した。また、中野剛志『奇跡の経済教室 基礎知識編』(KKベストセラーズ)も挑発的な書き方をしていておもしろい。

確かにMMTの理論的内容は興味深い。貨幣の本質については、物々交換から説く商品貨幣論よりも、管理通貨制下では信用貨幣論(信用取引に伴う貨幣創造)の方が妥当性をもつように思われる。そこからさらに政府をマクロ経済の主体とする機能的財政論が展開される。その延長上に、「自国通貨建てであれば政府の支払能力には制限はない」とする独特の主張がなされる。

この主張は、健全財政の呪縛にとらわれ、大胆な財政出動にブレーキがかかる資本主義先進国の現状に対する問題提起としては一定の有効性を認めることができる。アメリカやヨーロッパでMMTに関心が寄せられるのも、緊縮財政批判の意義をもつからだろう。しかし、それが固有の困難(人口減少と巨額の政府債務累積)をかかえる現在の日本経済に適切な政策を提起しているのか、となると大いに疑問がある。この疑問は三つの部分からなる。

第一に、MTT派は1990年代以降の日本経済(デフレ経済)の原因を財政政策のあり方に求めている。1997年を起点とする消費税増税、歳出削減という緊縮財政路線がデフレの最大の原因だというのだ。私見をいえば、1990年代のデフレは、バブル崩壊による信用縮小という循環的要因と、グローバル化、IT革命、人口(生産年齢人口)減少という構造的要因が重なったためだと考える。MTT派は、総需要と総供給のバランス変化からインフレ、デフレを把握しており、循環的要因にしか目を向けていない。デフレに対して金融緩和政策は効果がないとして(このリフレ派に対する批判は当たっている)、拡張的財政政策を主張する。日本と主要国のGDP成長率と財政支出伸び率を比較し、そこに正の相関関係を見出し、日本の成長率が低いのは財政支出伸び率が低いためであると論じる。逆ではないか。成長率が低いから財政支出が伸びないのではないか。

 第二に、対策として拡張的財政政策の有効性を主張しているが、どこまで妥当性をもつか。そもそも日本が一貫して緊縮政策をとってきたわけではない。消費税増税の裏面では、所得税・法人税の減税を行ってきた。歳出も一方的に削減してきたわけではない。そうでなければ、どうしてあれだけの債務累積が生じたことになるのか。おそらくMMT派は、財政政策が中途半端であり、もっと大胆に拡張せよというのだろう。財政ファイナンスを気にせず、インフレにならない限り、いくらでも国債発行ができるという。しかし、それによって日本経済は期待される成長軌道に乗るのだろうか。デフレの要因は、循環的なものでなく、構造的なものであるとすれば、構造政策をとらなければ現状を変えることはできないのではないか。(構造政策は、新自由主義的成長戦略でなく、脱成長・脱工業化・環境重視・地域自立型のものになるだろうが、ここでは立ち入らない。)

 第三に、いずれは到来するインフレに対する対策に疑問がある。財政ファイナンスを気にしないMMT派の国債増発策が続くとすれば、日本経済の「低温状態」から推測すると、政府債務はGDPの3倍、4倍になってもおかしくない。MMT派はハイパーインフレの可能性はない、4~5%程度のインフレ率になったとき、増税や歳出削減をすれば安定するというが、楽観的にすぎるのではないか。まず、インフレが発生したとして、その認識・判断、政策の決定・実施には相当のタイムラグがある。タイムラグがあるなかで、インフレの程度と増税・歳出削減の程度をいかに調整するかは至難の技である。いかなる税をどれだけ増税するのか、歳出のどの費目をどれだけ削るのか、政治的困難は計り知れず、内閣がいくつあっても足りないだろう。デフレに金融政策が効かないのと同様に、インフレに財政政策は効きにくいのではないか。インフレによる金利上昇、国債価格の暴落を契機に、株価の下落、円相場の暴落、大規模な資本逃避が生じるかもしれない。一連の混乱ののち、新たな安定状態が訪れるとしても、その間の犠牲があまりにも大きいといわなければならない。この点を考えると、MMT派の拡張的財政政策は、リスクが大きすぎるように思われる。

(Political Economy 156号、2020年1月15日)

米中経済戦争の経過と展望

3月から本格化した米中経済戦争は、関税引き上げ合戦を繰り広げるとともに、ファーウエイを焦点としたハイテク覇権争いへと展開し、世界経済を二分する「新冷戦」突入の様相を呈している。6月末のG20大阪サミットにおける米中首脳会談では、関税合戦の拡大は回避され、通商交渉が再開となったが、事態が収束する見通しはつかない。

 以下では、関税引き上げとハイテク覇権争いという二大戦線の経過と現況を整理し、今後の方向を展望してみたい。

 

◆関税合戦の展開

 米国の中国に対する要求は多方面にわたっているが、要約すると次の3点だろう。①米中貿易不均衡の是正(対中貿易赤字の縮小)、②知的財産の保護(技術移転強要の中止、違法な技術流出の防止)、③国家による過剰な産業保護の抑制(補助金の中止、ハイテク産業育成戦略「中国製造2025」の阻止)。これらの目的達成を目指し、追加関税の設定、またハイテク企業に対する貿易・投資規制を行い、交渉を有利に運ぼうとしている。

 追加関税の設定は2018年3月に予告し、5月に交渉が進展したかにみえたが、トランプ大統領は強硬姿勢を貫き、まず中国からの輸入品500億ドル相当の品目に25%の関税引上げを発動した。一般的には7月に第1弾340億ドル、8月に第2弾160億ドルと分けているが、もともと500億ドル(当初は600億ドル)を標的としたもので、一括して把握することができる。これに対して中国側も340億ドル、160億ドル相当の米国からの輸入品に25%の報復関税で対抗した。

これを第1ラウンドとすれば、第2ラウンド(一般に第3弾)において米国は2000億ドルへと金額を4倍に増やし、9月に10%、2019年1月から25%という2段階の追加関税を設定した。中国の米国からの輸入品はそこまで多くないため、とりあえず600億ドル相当の品目に5~10%の引上げで応じた。同額・同税率で対抗できない点に、関税合戦における中国側の劣位が示されている。

2018年12月1日の米中首脳会談によって、1月からの25%への引上げは延期され、90日間で集中的に通商交渉を行う運びとなった。その期限が延期され、4月末には大筋で合意が成立しかけたが、土壇場で決裂した。詳細は明らかでないが、妥結後の関税引き下げの手順(即時か段階的か)、産業補助金の扱い(地方政府による補助金の可否)あたりが、妥協成立の最後の障害だったようだ。

こうして米国は5月に第2ラウンド2000億ドル品目の第2段階25%への引上げを実行し(中国もこれに対抗)、さらに第3ラウンド3000億ドル(一般に第4弾、10%、25%の2段階)の準備へと進んだ。しかし、第3ラウンドの中国からの輸入品には消費財(スマホ、パソコン、家具、衣類、履物など)が多く、米国内の反対の声が強いため、これが実行されるかどうかは明確でない。6月の大阪サミットにおける米中首脳会談では、当面第3ラウンドへの突入は延期され、交渉再開の合意が成立した。

 

◆関税合戦の影響

米中という世界1位、2位の経済大国間の関税合戦が拡大すると、その影響は米国・中国の貿易・国内経済のみならず、世界経済全体に大きな影響を及ぼすことになる。IMFは、世界の経済成長率は2018年3.6%から2019年2.9%に下落、中国の成長率低下は米国よりも大きいと試算している。貿易依存度(GDPに対する貿易額の比率)は中国が米国より高いことが、この違いをもたらしていると考えられる。

2018年7月から2019年4月までの貿易実績では、中国の対米輸出額は前年同期比180億ドル(14%)減少、米国の対中輸出額は230億ドル(38%)減少であった(日経19年7月6日)。これまでのところ米国側の減少が大きいが、これは中国の対米輸出では駆け込み需要が多かったためであり、今後はマイナスの影響が目立ってくると思われる。

個別品目をみると関税合戦の影響はきわめて大きい。米国から中国への大豆輸出は、2018年8月~19年3月に前年同期比9割減少し、中国の調達先はブラジル、ロシアに転じた。米国から中国へのLNG輸出は7割減少、ワインや木材も大幅に減少した。中国から米国への流れでは、機械・部品、電気機器・部品などが半減し、中国からベトナム、台湾、メキシコへ、そしてそこから米国への輸出が前年に比べて大幅に増加している。もし、米中貿易のすべての品目に25%の関税引上げが実施された場合、この動きは一段と加速されよう。

中国を生産拠点として工業品の対米輸出をしていた多国籍企業は、生産設備を東南アジアなどに移転するとともに、サプライチェーンの張替えに着手している。中国にスマホなどの生産を集中させていたアップルは、完成品の製造工場を中国外に分散させ、それに合わせて部品メーカーに対応するように、大慌てで指示を発した。パソコンを中国で生産しているHPやデルも、製造委託企業に中国外生産へのシフトを要請している。

今後、関税合戦が長期化すれば、中国から工場を移転する企業が続出し、「世界の工場」としての中国の役割が変化していく可能性がある。外資ばかりでなく、中国企業もベトナム、タイなどへ大挙して移動しつつある。米国の関税合戦には中国をサプライチェーンの結節点から外していく意図が感じられる。

それでは、関税合戦で主導権を握った米国は、その成果を享受できるのだろうか。仮に合戦が第3ラウンドまで進むと国内経済への打撃は相当に大きくなり、200万人以上の雇用減少と推計されている。もし実施したとしても、長期化は無理であろう。また対中貿易赤字の縮小については、中国からの輸入の減少は国内生産の増加で埋め合わされるのでなく、ベトナム、タイ、台湾、メキシコなどからの輸入に置き換えられてしまい、米国の貿易赤字削減には至らないと思われる。

 

◆ハイテク覇権争いの展開

 米国の関税戦争の究極の目標は、中国のハイテク覇権国化の阻止(「中国製造2025」の中止)であり、ハイテク企業に対する様々な貿易・投資規制を繰り出してきている。

 第一は、中国企業に対する供給規制である。まず2018年4月、携帯通信インフラの世界シェア4位であるZTEに対して、イラン・北朝鮮への不正輸出を理由に米国からのコア半導体の供給を禁止した。その結果、ZTEは生産停止、経営危機に追い込まれ、習近平がトランプに電話で解決を依頼し、罰金支払い、経営陣入れ替えによって供給禁止が解除された。この「成功体験」をふまえ、米国側の第二、第三の攻勢がかけられた。中国は半導体の自給率が低いため、半導体量産企業JHICCの育成を目指したが、同社に対して米国は半導体製造装置の輸出を規制し、米国企業からの技術窃取を理由に訴追したため、同社の量産計画は挫折に追い込まれた。

こうした供給規制の法的根拠は、米国の安全保障に反する企業への輸出を規制する輸出管理改革法であり、商務省は要注意企業をEL(エンティティー・リスト)、未確認リストの2段階で把握している。2019年5月、5G技術首位のファーウエイをELに加え、米国からの輸出を事実上禁止した。第三国の企業による米国製部品・ソフトを使った製品のファーウエイへの供給も禁止され、厳しい兵糧攻めが開始された。さらに6月にはスパコン大手・中科曙光など5団体もELに追加となった。なお、大阪サミットにおける米中首脳会談でファーウエイへの制裁が一部解除されたようであるが、どの範囲までなのかは明らかでない。

 第二は、中国企業からの調達規制である。2018年8月成立の国防権限法により、安全保障上の理由から、ファーウエイ、ZTE、監視カメラのハイクビジョン、ダーファ、警察・軍事用無線のハイテラなど、中国のハイテク企業5社の製品を政府調達から排除した。この調達規制は、米国の民間企業、同盟国の政府・民間企業にも拡大していくことになる。実際、日本政府は重要インフラ14分野の民間企業に対して、情報通信機器の調達では中国製を除外するように要請し、これまでファーウエイと取引していたソフトバンクも他社製品への切り替えを迫られた。

 第三は、投資規制の強化である。2018年8月、対米外国投資委員会(CFIUS)の権限を強化する法改正がなされ、外国企業による米国企業の買収・合併が厳しくチェックされるようになった。中国移動通信の米国事業申請は却下され、すでに進出している中国電信の免許取消しも視野に入っているという。また、米国企業の中国投資も監視が強化されていく。

 その他、中国人技術者の産業スパイ取締り強化(司法省にチャイナ・イニシアチブなる対

策チーム設置)、中国企業が関与する産学共同研究の規制、中国人留学生に対するビザ発給

の制限など、ありとあらゆる規制策がとられつつある。

 

◆2大陣営への分岐は生じるのか

 米国がファーウエイに攻撃の的を絞ったのは、5G通信技術が、AI、自動運転、IoT、ロ

ボット、3Dプリンタなど、今後の先端技術群を結合する役割をもち、米国の安全保障体

制に脅威を与える(軍事技術に転用される)可能性を感じ取っているからだろう。それでは、

米国の中国企業封じ込め策は成功するのか。

短期的には、中国の半導体、半導体製造装置、基本ソフトなどの自給能力は低いため、中

国側が苦境に追い込まれるのは間違いない。しかし、中長期的にみれば、中国には自主技術開発の潜在的基盤が形成されており、ハイテク覇権国への上昇は十分に可能と思われる。たとえば、先端技術の国際特許出願件数では中国が米国に肉薄しており、特に5Gの標準必須特許の出願では中国がトップを走り、企業別ではファーウエイが傑出している。AIを駆使した画像処理、顔認証技術でも中国が優位にあり、共産党体制によってビッグデータの収集が容易なこともその裏づけとなっている。AI関連の研究人材・研究論文の数においても、中国の台頭は著しい。

そうなると、米中2大ハイテク覇権国が並立し、世界の技術体系は2分されていくのだろ

うか。米中以外の諸国は、いずれの技術体系を取り入れるのか、踏み絵を踏まされることになるのか。おそらく、経済グローバル化が深化する現代世界では、かつての米ソ2大陣営への分岐に類する事態は起こらないだろう。たとえば、中国のネット検索大手である百度が進める自動運転の開発プロジェクト(アポロ計画)には、フォルクスワーゲン、トヨタ、ホンダ、フォード、インテルなど、有力多国籍企業が共同参加している。米中企業の相互乗り入れはすでに相当の規模に達しており、これを解消することは容易でない。まして、EU、日本など第三国の企業が一方の陣営に囲い込まれることは想定しがたい。結局、仮に2大ハイテク大国が並立する事態になったとしても、二股をかける多国籍企業が続出し、世界は多極化の方向に向かうのではないだろうか。            (2019年7月7日)