アジアにおける自動車関連労働運動の動向
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- 公開日:2017年11月04日(土)17:05
自動車関連の争議は、アジアではインド・韓国・フィリピンで断続的におきている。2008年のリーマンショック以後、自動車労働者の争議には新たな勢力が登場してきた。アジアの経済成長、とりわけ、中国・インド・ASEAN諸国の成長は目覚ましく「世界の工場」となり、同時にGSC(グローバル・サプライ・チェーン)が急速に形成されていった。労働運動も従来のインド・韓国といった国に加え、2010年ごろから中国やインドネシアで勢いをました。これら両国は労働法改正を背景に、若いリーダーに率いられた労働運動が勃興した。経済成長の果実が労働者には公正に分配されていないと感じた若者たちは、最低賃金の引き上げ、非正規雇用の正規社員化、社会保障の要求などをかかげ、労働組合の結成をこころみた。
・南海ホンダのストは全国に広がる
中国では、2010年5月、広東省仏山市の南海本田自動車部品製造会社(南海ホンダ)で、若い農民工が賃金と労働条件の改善をもとめ山猫ストライキを決行した。この工場は2005年に設立され、従業員数1900人。ホンダ車の部品、変速機などを製造していた。ストライキの背景には、沿海部での人手不足に加え労働者たちの意識の変化もある。彼らは一人っ子政策以降の1980年代、90年代生まれの若い農民工で、親の世代と違い学歴も情報収集の能力も権利意識も高い。ストライキの結果、南海ホンダの労働者は大幅な賃金アップを勝ち取った。
このストライキが発端となり、大手自動車関連工場を中心に労働争議は沿海部一帯から全国に広がり、次々と賃上げを認めさせていった。彼らは、官製の総工会に頼らず自発的な運動体を創出し、NGOなどの支援を受け争議を組織した。日本多国籍企業は、1990年代に本格的に進出してから様々な労使紛争に出会ったが、2010年のようなストライキははじめての経験だった。
・正規労働者化をもとめて
インドネシアでは、2010年以降に日本多国籍企業の進出が拡大し、労働争議も急増したが、リーダーシップをとったのは自動車関連の労組だった。進歩的なナショナルセンターがよびかけ、2012年1月、日本など外資の自動車産業が集積しているブカシ県で、①最低賃金の引き上げ、②アウトソーシングの正規労働者化の要求を掲げて大規模デモが発生。労働運動の大きなうねりはブカシから全国の工業都市に波及し、大幅な賃上げが勝ち取られ、一部企業では乱暴な手段の行使もあったが、非正規から正規労働者への身分の転換が達成された。2012年10月にはゼネラルストライキが行われ、ジャカルタに通じる高速道路が封鎖されることなどもおきた。続いて2013年10月のゼネストにも全国で300万人が参加した。現在、労働運動は徐々に沈静化してはいるもののその力は持続していて、横浜アクションリサーチにはこの2年で6件のケースがもちこまれ、そのうちの3件は自動車関連の争議。会社ともコンタクトをとった。そのうちの1つを紹介したい。
カラワンにあるホンダ・プロスペクトモーター社(HPM)の労働者は、2015年初めより既存の御用組合に代わり進歩的なSERBUKを上部団体とする新たな労組を設立しようと準備していたが、4月この動きを察知した会社は、新労組、SERBUK HPMに加入した労働者を解雇、あるいは警察に通報すると脅かした。この脅迫にもかかわらず、SERBUK HPM は登録をおこなったが、既存の御用組合からメンバーが正式に脱退していないとの理由で登録がペンディングになり、その直後、組合作りのリーダー5人は停職処分を受け、その後解雇された。上部団体・SERBUKは解雇された5人への精神的経済的サポートをしながら組合を支え、2015年12月にはATNCが音頭をとってホンダ本社への署名キャンペーンを実施し、日本でも個人・団体で署名活動をおこなった。しかしながら、2016年3月、リッキー執行委員を除く4人は経済的な理由により会社から解決金を受け取った。5月末にブカシの労使関係裁判所は会社に対してリッキー執行委員を復職させるようにという勧告をだしたが、ホンダはこの勧告を受け入れず復職を拒否したので、リッキー執行委員は解決金を受け取ることに決め、争議は終了した。私が関わった非正規労働者中心の他の2件の争議も、経済的な理由から闘争を中止することになった。しかしながら、インドネシアの労働法を武器に、非正規労働者自身の手で正規労働者化を要求し、実現していることは、大きな意味をもっていることは間違いない。
・マルチ・スズキ労働者、終身刑に
最後にインドの自動車労働者の運動を紹介したい。
インドの労働争議は戦闘的ということもあり、警察が介入し、労組員が逮捕・投獄されるという出来事は日常茶飯事だ。2016年2月、ホンダ・モーターサイクル・アンド・スクーター・インディア社(HMSI)タプカラ工場の労働者が逮捕されたという緊急の知らせがインドの友人から届き、レイバーネット日本のウェブサイトに記事を掲載してもらった。
1999年8月に創業されたHMSIは、ホンダのインドにおける二輪車生産・販売子会社で2016年には第4工場を稼動させ生産能力は640万台(従業員22000人)と拡大しつつある。2015年8月、正規労働者と契約労働者は身分の違いを超えて一緒に組合を結成、登録の手続きをしたが、会社は数々の妨害をおこない登録を阻止し、4人の労組役員と800人の契約労働者が解雇されていた。会社に対する労働者の怒りが積み重なっていた時に、2016年2月、契約労働者が暴行をうけたことから座り込みがはじまり、2000人の労働者による争議へと発展した。警官隊が導入されて44人が逮捕され、3月の初め、全員が釈放されたものの、その後会社は約100人の労働者を停職にした。
HMSIタプカラ工場が位置するデリー近郊の工業ベルトには、世界が注視する大争議がおきているマルチ・スズキの工場もある。マルチ・スズキ社は市場シェアの過半を占めるインドを代表する自動車会社。その前身は、1981年に設立された国営企業マルチ・ウドゥヨ社で、スズキは出資比率を徐々にあげ、2007年にはマルチ・スズキ社と社名を変更した。労働者の75%が研修生を含む契約労働者で労働条件も悪かったため、2011年3月に独立労組(MSEU)を結成するが、会社の妨害にあいストライキを決行。その後、職場に戻ったもののMSEUの登録は認められていない状況下にあった。
2012年7月18日マルチ・スズキ・マネサール工場で、管理者によるダリット出身労働者への差別発言をきっかけに暴力事件がおき、ゼネラルマネージャーが死亡。会社はこの事件を、結成されたばかりの独立労組(MSEU)潰しに利用し、147人を逮捕。正規労働者546人と契約労働者1800人を解雇した。4年以上経過した2017年3月18日にグルガオン地方裁判所は、117人に無罪、31人に有罪、そのなかでも13人(組合役員が12人)には殺人罪で無期懲役の判決を下した。判決の直後、マルチ・スズキの3万人の労働者が連帯ストを組織したのをはじめ、国内国外で抗議行動が実行され、今も断続的に地域ぐるみの抗議行動が継続している。
このほかにも諸々の事情で報告できなかったが、タイ・スズキでは組合結成に関わった労組役員が解雇になり闘争を継続している。韓国の現代自動車ではほぼ毎年のようにストライキがおこなわれている。
トヨタ、ホンダ、スズキのアジアにおけるサプライチェーンで働く労働者は、労働組合結成を阻まれながらも、非正規労働者自ら、あるいは正規労働者・非正規労働者が一緒になって正規労働者への身分の変更、賃金などの労働条件の向上を勝ち取ろうとしている。目指すところは期せずして同じなのに、国境を越えた連帯の「力」はまだまだ弱い。どうつながっていくのか、今後の私たちの課題だ。
(2017年8月記 遠野はるひ)