富裕層への課税強化は時代の要請だ

衆議院選挙は自公政権の敗北に終わり、政治状況は流動的になった。政治資金問題がこの変化をもたらしたわけだが、日本が取り組むべき格差是正問題については、選挙戦を通じて焦点化されなかった。しかし、資産所得が労働所得を上回ることから生じる格差拡大は放置できない水準に達している。格差是正のための税制改革、富裕層への課税強化は重要な政策課題といわなければならない。

 

◆各政党は公約で何を提起したのか

 主な政党の税制改革政策は3グループに分けられる。第一は自民党と公明党であり、格差是正の税制改革は掲げられなかった。自民党は、岸田前首相、石破首相ともに金融所得課税に言及したものの、株価下落に直面すると簡単に棚上げするという経緯があり、今回の公約には「経済成長を阻害しない安定的な税収基盤の構築の観点から、税制の見直しを進めます」とだけ書き、どこをどう見直すのか何らの言及もなかった。公明党は税制改革そのものを取り上げていない。

 第二は維新の党と国民民主党であり、消費税・所得税減税を通じた消費喚起、経済成長を政策の基調としつつ、維新の党は金融所得の総合課税化、マイナンバーと銀行口座の紐付け、国民民主党は給付付き税額控除、マイナンバーと銀行口座の紐付けを提起した。

 第三は立憲民主党と共産党であり、ともに総合的な税制改革案を打ち出した。立憲民主党は格差是正を目指し、所得税の累進性強化、各種控除見直しによる所得再分配の強化、金融所得への超過累進税率の導入、将来の総合課税化、消費税の軽減税率廃止、給付付き税額控除の導入、相続税・贈与税の累進性強化を提案した。共産党は消費税の5%への引下げ、将来的な廃止、大企業の内部留保課税、株式配当の総合課税化、株式譲渡所得は高所得者には30%以上課税、所得税の累進性強化、相続税・贈与税の最高税率を50%から70%へ引上げなどを掲げた。さらに注目すべきは富裕税の創設であり、純資産5億円超の富裕層に対して、5億円を超過する部分に0.5~3%の累進税率で毎年課税し、およそ1兆円程度の税収を見積もっている。

 

◆日米の富裕層増税政策

 多くの党は消費税減税を訴えたが、富裕層増税などとセットで打ち出すべきものだろう。

あまり目立たないが、日本ではすでに2023年度税制改革で「ミニマム富裕税」が創設されている。これは、所得が3億3千万円を超える富裕層に対して、最低でも22.5%の課税を行うもので、金融所得が所得の大半を占める富裕層の税負担率が低下する「1億円の壁」問題を一定程度是正する措置といえる。対象者は少なく、税率引き上げはわずかであり、たいした増収効果も見込めないが、今後の格差是正策の端緒になりうるだろう。

一方、米国のバイデン政権は様々な富裕層増税政策を提起している。投資純利益が20万ドルを超える場合は通常の税率に3.8%追加、40万ドルを超える場合は5%追加する所得税増税、所得1000万ドル超の富裕層に対して超過分に5%、2500万ドル超に対しては8%の追加課税、純資産1億ドル超の富裕層に対して資産の含み益を含めて最低25%課税する富裕層ミニマム課税(含み益課税は資産課税ではなく、含み益が将来実現することを想定した所得税の前倒し課税)などが主なものだ(詳しくは、岡直樹「金融所得課税・富裕層課税の新たな展開」財務省『フィナンシャル・レビュー』2024年8月号参照)。

バイデン政権の様々な富裕層増税案は、増税論議を封印している日本とは対照的だ。目下のところ、提案に対する議会の抵抗が強く、修正あるいは不成立に終わっているが、富裕層課税が時代の要請であることを示している。

 

◆G20財務相会合におけるグローバル富裕税の提起

 ピケティの弟子にあたるガブリエル・ズックマンはかねてグローバル富裕税を提起していたが、2024年のG20議長国であるブラジル政府の委託を受けて、6月に超富裕層グローバルミニマム課税に関する報告書を公表した。それによれば、世界の10億ドル以上の資産をもつ超富裕層約3000人に対して、世界共通して実効税率が最低2%になるように富裕税を課税すれば、年間2000~2500億ドルの税収があげられるという。

これは現在の世界のODA総額に匹敵する規模であり、実現すればSDGs達成に大きく寄与するだろう。範囲を広げて、資産1億ドル超の富裕層約6万人に3%課税すれば税収は6000億ドルと推計される。富裕層は国外移住などで租税回避行動をとると想定されるが、課税権力のグローバル化が進展しているため、すでに実現しているグローバルミニマム法人税と同様、国際協調によって対応が可能であり、またすべての国が参加しなくても実施できると論じている。

この報告を受けて7月のG20財務相会合ではこの構想が議題に取り上げられた。また、国連租税協力枠組条約の創設プロセスでも、グローバル富裕税は早期議定書のテーマの一つにあげられており、今後の取組が注目される。

(Political Economy No.272, 2024年11月1日)

加速する岸田政権の軍拡路線—歯止めはないのか

◆軍拡路線の進展

 8月末、2024年度予算の概算要求が出揃った。防衛省は7.7兆円という過去最高の額を計上した。前年度の当初要求額5.6兆円の1.4倍にあたる。しかも、これ以外に金額を明示しない事項要求や後年度負担額が加わる。

 今回の概算要求の内容をみると、イージス・システム搭載艦、新型護衛艦・補給艦、水上無人機等、装備の拡充が大きいが、それと並んで陸海空全体を指揮する「統合司令部」、陸海空共通の「海上輸送群」、最新鋭ステルス戦闘機「F35B」飛行隊の新設など、組織強化の項目も目に付く。

 こうした軍拡予算の編成は、2022年末の安保関連3文書(「国家安全保障戦略」、「国家防衛戦略」、「防衛力整備計画」)の決定、それを受けた「防衛費財源確保法」、「防衛産業基盤強化法」の成立に続く措置であり、軍事費のGDP比2%引上げを通じた軍事大国化を目指すものだ。安保3文書はきわめて包括的・総合的に日本の軍事力増強を策定しており、その核心となるのは軍事産業の育成・強化だ。3文書に共通して、「いわば防衛力そのものとしての防衛生産・技術基盤」というフレーズが掲げられる。その担い手の軍事産業は、「防衛省・自衛隊と共に国防を担うパートナー」と位置づけられる。そして軍事産業が利益を確保するカギを握るのが、武器輸出の解禁にほかならない。

◆武器輸出全面解禁への道

 平和憲法のもと、武器輸出を規制する3原則が確立したのは1970年代だった。2014年、第二次安倍政権は「積極的平和主義」のスローガンを掲げ、3原則の見直しに着手し、「防衛装備移転3原則」へと表現を改めた。とはいえ、武器輸出が全面解禁されたわけではなく、限定された分野(救難・輸送・警戒・監視・掃海)について、限定された国に、直接的殺傷能力をもたない装備を輸出できるという運用にとどめていた。

 ウクライナ戦争が進行するなかで、安保3文書は「防衛装備移転3原則」の運用の見直しを明記した。その具体化のために、与党作業部会による検討が進められ、7月に論点を整理した中間報告書が作成された。それを受けて政府当局は、英国・イタリアと共同生産する次期戦闘機は第3国へ直接輸出できるとする見解を表明した。次期戦闘機の完成はかなり先の話だが、ここに示された見解に基づき、今後小規模な装備からなし崩し的に殺傷兵器の輸出が拡大していくことになろう。防衛省は兵器・部品の規格を米国などと共通化し、部品輸出を伸ばしていく方策を検討している。また、米軍の軍艦を日本の民間造船所で補修する段取りを探っている。

 武器輸出解禁の準備は、すでに周到に進められてきた。2023年版「防衛白書」によれば、官民連携した様々な活動(国際的武器展示会の開催・参加、輸出先の需要調査、相手国官民との意見交換フォーラム、オンライン会議など)が2020年ころから盛んになった。2024年度予算の概算要求では、もっぱら武器輸出を担当する参事官(課長級)ポストを新設する方針が示された。また、外務省の所管する途上国援助では民生用のODA(政府開発援助)とは別に、軍事的援助(武器輸出)を行うOSA(政府安保援助)という方式が新設された。2023年度にフィリピン、マレーシア、バングラデシュ、フィジーの4カ国へ、24年度にはフィリピン、ベトナム、インドネシア、パプアニューギニア、モンゴル、ジブチの6カ国に軍用品が供与される。

◆東アジアの対立構造の深化

 8月18日、日米韓首脳会談がバイデン大統領の主導のもと、ワシントン近郊のキャンプデービットで開かれた。共同声明では、3国の首脳・外相・防衛相等の会合の定例化(制度化)、中国・北朝鮮に対抗する軍事的連携の緊密化(情報共有、共同演習等)など、東アジアにおける米中2大陣営の対立構造を強化する方向性が明らかにされた。QUAD(日米豪印)、AUKUS(米英豪)に続く対中包囲網の深化、軍事共同体へ地均しの意味をもつ。その延長線上に、NATOとの連携(NATO東京事務所の開設、日韓豪ニュージーランドとNATOとのサイバー・宇宙・偽情報・先端技術等に関する協力活動)が画策されている。

 一方、こうした中国包囲網の構築に対して、中国はグローバルサウスへの影響力行使、非米連合体BRICSの5カ国(中国、ロシア、インド、ブラジル、南アフリカ)から11カ国への拡大(イラン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、エジプト、エチオピア、アルゼンチンの新加入)によって対抗を図っている。BRICS開発銀行の本店が上海にある点に示されるように、中国はBRICSを主導する意図をもつ。

 今後、東アジアにおける米中2大陣営の対立関係の強度が高まり、軍事的緊張が増していくならば、「台湾有事」に限らず何らかの軍事的衝突が生じる可能性を否定しきれない。24年度概算要求で防衛省は、防衛医大病院に、戦場で負傷した兵士を治療する「外傷・熱傷・事態対処医療センター」を新設する計画を明らかにしている。まさに「新しい戦前」が始まっているとみなければならない。

 対米追随による軍事的対立に傾斜するのでなく、独自の戦略的な対中外交の推進、地球規模課題や経済連携の取組みを通じて、これ以上の軍拡、東アジアの緊張増大に歯止めをかけることが求められている。      (Political Economy No.244、2023年9月1日)

始まった財政経済の軍事シフト

ウクライナ戦争の長期化、米中対立=「新冷戦」の激化と台湾有事の懸念、こうした背景のもと日本の軍拡を容認する世論が醸成され、財政経済の軍事シフトが急速に進行している。過去10年、9条改憲をゴールにして法制度の改定、法解釈の変更が重ねられてきたが、ここにきて岸田政権の軍拡への暴走が明らかになってきた。

 

◆安保3文書決定から軍拡予算へ

 2022年12月に閣議決定された安保3文書(「国家安全保障戦略」「国家防衛戦略」「防衛力整備計画」)は、戦後日本の「安全保障政策」を大転換し、軍拡への道を開く画期となった。3文書はきわめて総合的・体系的な内容を備えており、2023年度予算決定、その後の関連法制定を通じて具体化されつつある。問題点を3点指摘したい。

 第一に、「専守防衛」路線から敵基地攻撃能力保有への転換が決定的に重要だ。いわゆる「抑止力」理論によってこれが正当化されているが、外交戦略を欠いた軍事力強化は、「米中新冷戦」への日本の「参戦」、東アジアにおける際限なき軍拡競争への突入を意味するだろう。

第二に、「防衛費」の突出した増額だ。NATO諸国並みのGDP比2%への引上げが目標とされており、GDP550兆円ならば11兆円、2022年度予算の2倍に達する。これを基準にして2023~27年度の5年間で43兆円の増額となる。その財源として増税と国債増発の組み合わせが不可避となろう。

第三に、軍事産業の育成だ。「国家安全保障戦略」には、「防衛生産・技術基盤の強化」「防衛装備移転の推進」が掲げられ、「国家防衛戦略」では、「防衛産業は国防を担うパートナー」と持ち上げ、その利益保証を約束している。

 

◆武器輸出規制の解除へ

 戦後日本の武器輸出規制は、1967年に佐藤首相が表明した3原則(共産圏、国連決議により禁止されている国、紛争当事国への輸出禁止)、1976年に三木首相が表明したその拡大(武器輸出の原則的禁止)が長期間堅持されてきたが、2014年、安倍政権のもとで「防衛装備移転3原則」へと名称変更され、紛争当事国等への禁止、日本の安全保障に資する場合は容認、目的外使用等は規制という新3原則へと改定された。

 しかし、共同開発の場合を除き、輸出できる装備品は救難、輸送、警戒、監視、掃海の5分野に限定されていた。そのため、部品・構成品は別として完成品の輸出はフィリピンへの警戒管制レーダー1件にとどまっていた。武器輸出3原則以来の規制力がなお機能していたと考えられる。

 経団連は2022年4月の「防衛計画の大綱に向けた提言」において、武器輸出ルールの再検討、政府による支援を要請した。これを受けて「国家防衛戦略」には、3原則・運用指針の見直し、官民一体での武器輸出推進のため基金の創設という方針が盛り込まれた。その具体化を目指して岸田政権は、「防衛省の装備品等開発生産基盤強化法案」を国会に上程し、広範な装備品を官民連携のもとで生産・輸出する体制を築こうとしている。装備品の範囲を、従来抑制されてきた殺傷能力のある艦船、戦闘機などへと拡張する意見が政府・自民党内に出てきている。

 

◆ODAの変質とOSAの創設

 途上国の経済社会開発を目的とするODAも、軍事化の波をかぶっている。日本のODA政策は、1992年の「政府開発援助(ODA)大綱」によって平和主義を基調とする理念が明確化され、2003年の改定でもその基調は維持された。

 ところが、安倍政権下、2015年に大綱の名称が「開発協力大綱」へと変更されるとともに、「積極的平和主義」のもと国家安全保障戦略と関連づけられ、非軍事的目的であれば相手国の軍に対しても支援できるように扱いが変更された。

 2022年、「開発協力大綱」の改定作業が進められ、23年4月に改定版の案が公表された。それによると、国家安全保障戦略の策定をふまえ、「同志国」等との連携を深めて戦略的に実施するという方針が示されている。ただし「非軍事原則」は維持されており、軍事援助には歯止めがかけられている。

 しかし岸田政権は、新しい途上国支援の枠組みとして、OSA(政府安全保障能力強化支援)という軍事援助の方式を打ち出した。OSAはODAの制約を乗り越えるべく、「同志国」の軍に防衛装備品を無償で供与する方式であり、2023年度はすでにフィリピン、マレーシア、バングラデシュ、フィジー島への供与が予定されている。「同志国」とは、FOIP(自由で開かれたインド太平洋)の理念を共有する諸国のことのようであり、日本からみれば中国包囲網形成の意図をもつが、その定義はあいまいだ。際限なく拡大されるかもしれない。また、供与する装備品は当面、救難・輸送等、武器輸出3原則改訂版に沿っているが、ウクライナへの殺傷兵器供給策も視野に入っており、3原則の見直しに対応して拡張されていく可能性が十分にある。

 このように岸田政権の軍拡路線は、国内・対外の両面に渡る包括的なものであり、増税といった国内の財源問題だけに目を奪われてしまってはならないだろう。

(Political Economy, No.235、2023年4月15日)

 

国際課税ニュース(2022年12月1日)  国連総会、グローバルな課税ルールを国連のもとに策定する決議を採択

 TAX JUSTICE NETWORKの2022年11月23日付の記事によれば、国連総会は、国連にグローバル税制の創設に向けて主導権を発揮することを義務づける決議を全会一致で採択した。米国は決議内容をあいまいにする修正を試みたものの、失敗に終わった。

国際課税のルール形成では、これまでOECD租税委員会が仕切り役を担ってきたが、これは先進国優位の方式であるとして、途上国やNGOからの批判を受けていた。この決議により、グローバル企業が先進国政府を通じて企業寄りのルール形成に影響力を行使する回路が縮小される可能性がある。

 今後は、多国籍企業や超富裕層による課税回避策の濫用に終止符を打つために、グローバルな税制を全面的に見直す国連租税条約の制定に向けて、政府間の協議が始まることになる。その成果が結実するにはかなり長期間の交渉プロセスが想定されるが、将来的にはグローバル課税機関の創設が見込まれており、グローバル・ガバナンスの新時代の展望が開けてきたといえる。

岸田政権の「新しい資本主義」はどこへ向かうのか

◆どこが新しいのか

 参議院選挙は予想どおり自民党の圧勝で終わり、安倍元首相の急死による自民党内の政治力学の変化も含めて、岸田政権の「黄金の3年間」の行方が注目される。2021年9月の自民党総裁選で打ち出された「新しい資本主義」構想は、当初は金融所得課税の強化に象徴される分配重視、新自由主義からの転換を印象づけていたが、その方向性はすぐに修正されていく。新設した「新しい資本主義実現会議」による11月の「緊急提言」から2022年6月の「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画」(以下、「実行計画」と略記)に至る過程で、成長戦略重視の姿勢が一段と鮮明になった。

 確かに、「実行計画」の冒頭部分では、資本主義の歴史を、自由放任主義⇒福祉国家⇒新自由主義⇒新しい資本主義という流れで描き、新自由主義とは異なる段階(第4ステージ)に至ったとの認識を示し、新自由主義による経済的格差の拡大、気候変動の深刻化など、克服すべき課題を明示している。その点は評価すべきとしても、経済成長によってこうした問題を解決できるという立場に立つため、本来の分配政策である税制・社会保障制度の改革は検討課題から除外し、成長戦略に直結する「人への投資」を新種の分配政策として打ち出すことになった。税制は政府税制調査会、社会保障は新設する「全世代型社会保障構築会議」で扱うという。以下では、分配政策の位置づけを中心にして、二つの報告書の内容を検討してみよう。

 

◆「緊急提言」から「実行計画」へ――分配政策の成長戦略への埋没

 「緊急提言」は全文17頁であり、これを前文2頁、成長戦略10頁、分配戦略5頁に配分している。ここに早くも分配戦略軽視の姿勢が現れている。成長戦略は、科学技術立国、イノベーション・スタートアップ支援、デジタル田園都市国家、経済安全保障の4本柱で構成される。分配戦略は民間部門と公的部門に二分され、民間部門では男女間の賃金格差解消、賃上げ企業の減税、労働移動の円滑化・職業訓練、非正規労働者への分配強化、中小企業支援などの施策が列挙される。公的部門では、看護・介護・保育労働者の収入増加策、子ども・子育て支援、大学生奨学金の返済負担軽減などが提示される。

 ここで注目すべきは、分配戦略の副題に「安心と成長を呼ぶ「人」への投資の強化」が掲げられ、成長戦略との連結が強調されていることである。人的資本への投資策は労働移動の円滑化を扱う項目の中に書き込まれ、他の項目に比べて記述が詳細である。

 一方、「実行計画」は、全文35頁に増強され、構成が大きく組み替えられた。「緊急提言」にあった成長戦略と分配戦略の2部門構成は解消し、全体が成長戦略を基調とする7章建てに編成され、分配政策はそのなかに組み込まれた。全7章のうち、前文とまとめの3章を除く4章が本体部分であり、重点投資(人への投資、科学技術、スタートアップ、GX・DX)20頁、経済社会システム(法人形態、インパクト投資等)2頁、多極集中化(デジタル田園都市国家、仮想空間等)5頁、個別分野(経済安全保障、金融市場整備等)4頁といった構成となり、重点投資に過半の頁数をあてている。

 分配政策は重点投資の第一の柱「人への投資と分配」の中に置かれ、賃金引上げ、スキルアップを通じた労働移動の円滑化、資産所得倍増プラン、子ども・子育て・高齢者支援、多様性の尊重と選択の柔軟性等の項目が並べられた。このように分配政策すべてを重点投資項目に盛り込むのはかなり無理があるが、人への投資が成長と分配の両面をもつ点に着目したからだろう。

 

◆「人への投資」は格差を是正するか

 しかし、人への投資は格差是正に通じるのか。「新しい資本主義」構想の下敷きには、諸富徹『資本主義の新しい形』(岩波書店、2020年)があるのかもしれない。「新しい」という言葉が共通しているし、資本主義の非物質化が進み無形資産投資が重要性を増す、従って無形資産を生む人への投資が課題になるという筋書きも共通している。

 ただし、諸富氏の人への投資論はスウェーデンの積極的労働政策がモデルであり、それは同国特有の賃金決定制度、高負担・高福祉の社会システムが前提となっている。人への投資は成長戦略であるとともに分配政策でもあるが、格差是正策としては限界がある。高技能を身に着け、労働生産性をあげて高収入を得る人が出るとしても、全員がそうなるわけではない。

 格差是正という本来の分配政策を実行するには、所得税(金融所得課税を含む)の累進性強化、相続税強化、法人税引上げ(または累進課税化)等、財源の裏付けを確保しなければならない。社会保障制度の改革も先送りは許されない。「新しい資本主義」は税制・社会保障制度の改革を抜きにしてはグランドデザインたりえず、成長戦略一本鎗のアベノミクスの二番煎じに堕するしかないだろう。 (Political Economy 2022年7月15日)