仮想通貨リブラが変える世界

  • リブラの登場

 6月18日にフェイスブックが新しい仮想通貨リブラの構想を公表し、2020年前半の運用開始を宣言して以来、その成り行きに注目が集まっている。2009年に登場したビットコイン以降、世界では2000種類以上(時価総額3000億ドル)の仮想通貨が発行されたというが、大半は狭い範囲での流通であり、既存の金融システムへの影響は限られていた。

 しかし、リブラ(古代ローマ帝国の通貨名称)は従来の仮想通貨とは決定的に異なる性格をもっている。第一に、発行主体が巨大企業の集合であり、多数の利用者が見込まれる。世界27億人のユーザーをもつフェイスブックを中心に、決済業界最大手のビザ、マスターカード、ペイパル、さらにライドシェアのウーバーテクノロジーズ、音楽配信のスポティファイ等が参加するという。ビットコインなどは不特定多数の分散型ネットワーク(パブリック・ブロックチェーン)で送金コストを下げているが、リブラは加盟社のネットワーク(プライベート・ブロックチェーン)を用いる。

 第二に、通貨価値の安定を図るために、ドル、ユーロなどの準備金に裏づけられた発行をする(ステープルコイン)。これによって、投機的商品となっていたビットコインとは異なり、流通範囲が広がる。金融庁は、価値の裏づけのない仮想通貨を法定通貨(または法定通貨建て資産)でない一種の金融資産とみていたが(従って暗号資産と命名)、法定通貨とのリンクが確認できれば、仮想通貨とは異なるデジタル通貨として扱われることになろう。

 

  • 通貨当局の猛反発

 リブラ構想の発表に対する通貨当局の反応は迅速だった。米下院金融サービス委員会の委員長は直ちに、議会・当局の審査が必要であり、開発停止を求めるとの声明を発した。イングランド銀行のカーニー総裁は高度の規制が必要と述べ、FRBのパウエル議長は、審査には1年以上かかると発言した。金融安定理事会(FSB)の議長は、6月のG20サミット参加の各国首脳に、高い基準の規制の検討を要請した。国際決済銀行(BIS)の報告書は、巨大IT企業の金融業進出に対する包括的検討の必要性を指摘した。G20、G7の財務相・中央銀行総裁会議でも問題が提起され、IMFは7月半ばにデジタル通貨に関する報告書を作成した。

 このような当局のすばやい反応は、リブラのインパクトの大きさを物語っている。提起されている懸念は多岐に渡るが、整理すると次の4点になる。

 第一に、匿名取引の問題である。資金洗浄、脱税等の不正防止には、取引の本人確認が必要だが、リブラではそこに抜け道が生じるとする。

 第二に、個人情報保護への懸念である。フェイスブックは大量の個人情報を流出させた「前科」があるだけに、資金移動に関する情報流出の懸念が拭えない。

 第三に、金融業界の送金、決済業務が奪われ、やがては預金、融資なども侵食される可能性、またリブラが通貨発行益を得るとすれば、中央銀行の通貨発行益が侵食されてしまう。

 第四に、金融システムへの影響である。無利子のリブラの流通量が増大すれば、通貨当局の金融政策の有効性が損なわれ、またインフレの進行が予測される国から大規模な資本逃避が生じる可能性もある。

 

  • 通貨システムの大転換

 今後、各国政府・通貨当局は連携してリブラ発行への規制策を策定していく。フェイスブックはこれへの協力を表明している。規制と効率・コストとは両立しないが、いずれ妥協が成立するだろう。

 その先の世界を考える場合、二つの点に注目しておきたい。第一は、IT業界と金融業界にまたがるデジタル通貨競争の激化である。そのなかでリブラが勝ち進んでいくならば、まずは国境を越える小口の送金、決済の分野で支配的シェアをとる。それは既存の金融業務の一部への進出にすぎないが、そこで優位に立てば、次に預金・貸出業務にも進出し、中央銀行の統制が及ばない存在になりうる。そうなると金融政策が機能しなくなり、中央銀行の歴史的役割が終わる世界が到来するという事態も、あながち夢物語とはいえなくなるだろう(岩村允『中央銀行が終わる日』)。

第二は、ドル基軸体制からSDR基軸体制への転換である。リブラ構想が注目されるのは、その価値を維持するために、主要通貨のバスケット、つまりSDRを想定している点である。ドルに代わり、SDRを国際通貨システムの基軸にすえるべきだとする意見は、リーマンショック後に、IMF、中国などが唱えてきた。それに加えて、イングランド銀行のカーニー総裁も、8月のジャクソンホール会議(各国中央銀行総裁が参加)において同趣旨の提起を行った。ドルの過剰発行による世界的な金融不安、株価の乱高下、金価格上昇が続く中、リブラはドル体制からSDR体制への転轍機の役割を果たすかもしれない。トランプはリブラについて「支持や信頼性はほとんど得られないだろう」として、ドルが一番と発言したが、ドル体制の終焉を直感したからではないだろうか。

(Political Economy 148号、2019年8月8日)

MMT(現代貨幣理論)は日本経済に適用できるのか

MMT(現代貨幣理論)をめぐる議論が活発だ。以前は「トンデモ理論」として一蹴される傾向があったが、ここにきて翻訳や解説本が出回るようになり、ようやく落ち着いた議論ができる環境が整ってきたようだ。ランダル・レイ『MMT 現代貨幣理論入門』(東洋経済新報社)が翻訳刊行され、その監訳者の島倉原氏は論点を簡潔に整理した『MMTとは何か』(角川新書)を出版した。また、中野剛志『奇跡の経済教室 基礎知識編』(KKベストセラーズ)も挑発的な書き方をしていておもしろい。

確かにMMTの理論的内容は興味深い。貨幣の本質については、物々交換から説く商品貨幣論よりも、管理通貨制下では信用貨幣論(信用取引に伴う貨幣創造)の方が妥当性をもつように思われる。そこからさらに政府をマクロ経済の主体とする機能的財政論が展開される。その延長上に、「自国通貨建てであれば政府の支払能力には制限はない」とする独特の主張がなされる。

この主張は、健全財政の呪縛にとらわれ、大胆な財政出動にブレーキがかかる資本主義先進国の現状に対する問題提起としては一定の有効性を認めることができる。アメリカやヨーロッパでMMTに関心が寄せられるのも、緊縮財政批判の意義をもつからだろう。しかし、それが固有の困難(人口減少と巨額の政府債務累積)をかかえる現在の日本経済に適切な政策を提起しているのか、となると大いに疑問がある。この疑問は三つの部分からなる。

第一に、MTT派は1990年代以降の日本経済(デフレ経済)の原因を財政政策のあり方に求めている。1997年を起点とする消費税増税、歳出削減という緊縮財政路線がデフレの最大の原因だというのだ。私見をいえば、1990年代のデフレは、バブル崩壊による信用縮小という循環的要因と、グローバル化、IT革命、人口(生産年齢人口)減少という構造的要因が重なったためだと考える。MTT派は、総需要と総供給のバランス変化からインフレ、デフレを把握しており、循環的要因にしか目を向けていない。デフレに対して金融緩和政策は効果がないとして(このリフレ派に対する批判は当たっている)、拡張的財政政策を主張する。日本と主要国のGDP成長率と財政支出伸び率を比較し、そこに正の相関関係を見出し、日本の成長率が低いのは財政支出伸び率が低いためであると論じる。逆ではないか。成長率が低いから財政支出が伸びないのではないか。

 第二に、対策として拡張的財政政策の有効性を主張しているが、どこまで妥当性をもつか。そもそも日本が一貫して緊縮政策をとってきたわけではない。消費税増税の裏面では、所得税・法人税の減税を行ってきた。歳出も一方的に削減してきたわけではない。そうでなければ、どうしてあれだけの債務累積が生じたことになるのか。おそらくMMT派は、財政政策が中途半端であり、もっと大胆に拡張せよというのだろう。財政ファイナンスを気にせず、インフレにならない限り、いくらでも国債発行ができるという。しかし、それによって日本経済は期待される成長軌道に乗るのだろうか。デフレの要因は、循環的なものでなく、構造的なものであるとすれば、構造政策をとらなければ現状を変えることはできないのではないか。(構造政策は、新自由主義的成長戦略でなく、脱成長・脱工業化・環境重視・地域自立型のものになるだろうが、ここでは立ち入らない。)

 第三に、いずれは到来するインフレに対する対策に疑問がある。財政ファイナンスを気にしないMMT派の国債増発策が続くとすれば、日本経済の「低温状態」から推測すると、政府債務はGDPの3倍、4倍になってもおかしくない。MMT派はハイパーインフレの可能性はない、4~5%程度のインフレ率になったとき、増税や歳出削減をすれば安定するというが、楽観的にすぎるのではないか。まず、インフレが発生したとして、その認識・判断、政策の決定・実施には相当のタイムラグがある。タイムラグがあるなかで、インフレの程度と増税・歳出削減の程度をいかに調整するかは至難の技である。いかなる税をどれだけ増税するのか、歳出のどの費目をどれだけ削るのか、政治的困難は計り知れず、内閣がいくつあっても足りないだろう。デフレに金融政策が効かないのと同様に、インフレに財政政策は効きにくいのではないか。インフレによる金利上昇、国債価格の暴落を契機に、株価の下落、円相場の暴落、大規模な資本逃避が生じるかもしれない。一連の混乱ののち、新たな安定状態が訪れるとしても、その間の犠牲があまりにも大きいといわなければならない。この点を考えると、MMT派の拡張的財政政策は、リスクが大きすぎるように思われる。

(Political Economy 156号、2020年1月15日)

米中経済戦争の経過と展望

3月から本格化した米中経済戦争は、関税引き上げ合戦を繰り広げるとともに、ファーウエイを焦点としたハイテク覇権争いへと展開し、世界経済を二分する「新冷戦」突入の様相を呈している。6月末のG20大阪サミットにおける米中首脳会談では、関税合戦の拡大は回避され、通商交渉が再開となったが、事態が収束する見通しはつかない。

 以下では、関税引き上げとハイテク覇権争いという二大戦線の経過と現況を整理し、今後の方向を展望してみたい。

 

◆関税合戦の展開

 米国の中国に対する要求は多方面にわたっているが、要約すると次の3点だろう。①米中貿易不均衡の是正(対中貿易赤字の縮小)、②知的財産の保護(技術移転強要の中止、違法な技術流出の防止)、③国家による過剰な産業保護の抑制(補助金の中止、ハイテク産業育成戦略「中国製造2025」の阻止)。これらの目的達成を目指し、追加関税の設定、またハイテク企業に対する貿易・投資規制を行い、交渉を有利に運ぼうとしている。

 追加関税の設定は2018年3月に予告し、5月に交渉が進展したかにみえたが、トランプ大統領は強硬姿勢を貫き、まず中国からの輸入品500億ドル相当の品目に25%の関税引上げを発動した。一般的には7月に第1弾340億ドル、8月に第2弾160億ドルと分けているが、もともと500億ドル(当初は600億ドル)を標的としたもので、一括して把握することができる。これに対して中国側も340億ドル、160億ドル相当の米国からの輸入品に25%の報復関税で対抗した。

これを第1ラウンドとすれば、第2ラウンド(一般に第3弾)において米国は2000億ドルへと金額を4倍に増やし、9月に10%、2019年1月から25%という2段階の追加関税を設定した。中国の米国からの輸入品はそこまで多くないため、とりあえず600億ドル相当の品目に5~10%の引上げで応じた。同額・同税率で対抗できない点に、関税合戦における中国側の劣位が示されている。

2018年12月1日の米中首脳会談によって、1月からの25%への引上げは延期され、90日間で集中的に通商交渉を行う運びとなった。その期限が延期され、4月末には大筋で合意が成立しかけたが、土壇場で決裂した。詳細は明らかでないが、妥結後の関税引き下げの手順(即時か段階的か)、産業補助金の扱い(地方政府による補助金の可否)あたりが、妥協成立の最後の障害だったようだ。

こうして米国は5月に第2ラウンド2000億ドル品目の第2段階25%への引上げを実行し(中国もこれに対抗)、さらに第3ラウンド3000億ドル(一般に第4弾、10%、25%の2段階)の準備へと進んだ。しかし、第3ラウンドの中国からの輸入品には消費財(スマホ、パソコン、家具、衣類、履物など)が多く、米国内の反対の声が強いため、これが実行されるかどうかは明確でない。6月の大阪サミットにおける米中首脳会談では、当面第3ラウンドへの突入は延期され、交渉再開の合意が成立した。

 

◆関税合戦の影響

米中という世界1位、2位の経済大国間の関税合戦が拡大すると、その影響は米国・中国の貿易・国内経済のみならず、世界経済全体に大きな影響を及ぼすことになる。IMFは、世界の経済成長率は2018年3.6%から2019年2.9%に下落、中国の成長率低下は米国よりも大きいと試算している。貿易依存度(GDPに対する貿易額の比率)は中国が米国より高いことが、この違いをもたらしていると考えられる。

2018年7月から2019年4月までの貿易実績では、中国の対米輸出額は前年同期比180億ドル(14%)減少、米国の対中輸出額は230億ドル(38%)減少であった(日経19年7月6日)。これまでのところ米国側の減少が大きいが、これは中国の対米輸出では駆け込み需要が多かったためであり、今後はマイナスの影響が目立ってくると思われる。

個別品目をみると関税合戦の影響はきわめて大きい。米国から中国への大豆輸出は、2018年8月~19年3月に前年同期比9割減少し、中国の調達先はブラジル、ロシアに転じた。米国から中国へのLNG輸出は7割減少、ワインや木材も大幅に減少した。中国から米国への流れでは、機械・部品、電気機器・部品などが半減し、中国からベトナム、台湾、メキシコへ、そしてそこから米国への輸出が前年に比べて大幅に増加している。もし、米中貿易のすべての品目に25%の関税引上げが実施された場合、この動きは一段と加速されよう。

中国を生産拠点として工業品の対米輸出をしていた多国籍企業は、生産設備を東南アジアなどに移転するとともに、サプライチェーンの張替えに着手している。中国にスマホなどの生産を集中させていたアップルは、完成品の製造工場を中国外に分散させ、それに合わせて部品メーカーに対応するように、大慌てで指示を発した。パソコンを中国で生産しているHPやデルも、製造委託企業に中国外生産へのシフトを要請している。

今後、関税合戦が長期化すれば、中国から工場を移転する企業が続出し、「世界の工場」としての中国の役割が変化していく可能性がある。外資ばかりでなく、中国企業もベトナム、タイなどへ大挙して移動しつつある。米国の関税合戦には中国をサプライチェーンの結節点から外していく意図が感じられる。

それでは、関税合戦で主導権を握った米国は、その成果を享受できるのだろうか。仮に合戦が第3ラウンドまで進むと国内経済への打撃は相当に大きくなり、200万人以上の雇用減少と推計されている。もし実施したとしても、長期化は無理であろう。また対中貿易赤字の縮小については、中国からの輸入の減少は国内生産の増加で埋め合わされるのでなく、ベトナム、タイ、台湾、メキシコなどからの輸入に置き換えられてしまい、米国の貿易赤字削減には至らないと思われる。

 

◆ハイテク覇権争いの展開

 米国の関税戦争の究極の目標は、中国のハイテク覇権国化の阻止(「中国製造2025」の中止)であり、ハイテク企業に対する様々な貿易・投資規制を繰り出してきている。

 第一は、中国企業に対する供給規制である。まず2018年4月、携帯通信インフラの世界シェア4位であるZTEに対して、イラン・北朝鮮への不正輸出を理由に米国からのコア半導体の供給を禁止した。その結果、ZTEは生産停止、経営危機に追い込まれ、習近平がトランプに電話で解決を依頼し、罰金支払い、経営陣入れ替えによって供給禁止が解除された。この「成功体験」をふまえ、米国側の第二、第三の攻勢がかけられた。中国は半導体の自給率が低いため、半導体量産企業JHICCの育成を目指したが、同社に対して米国は半導体製造装置の輸出を規制し、米国企業からの技術窃取を理由に訴追したため、同社の量産計画は挫折に追い込まれた。

こうした供給規制の法的根拠は、米国の安全保障に反する企業への輸出を規制する輸出管理改革法であり、商務省は要注意企業をEL(エンティティー・リスト)、未確認リストの2段階で把握している。2019年5月、5G技術首位のファーウエイをELに加え、米国からの輸出を事実上禁止した。第三国の企業による米国製部品・ソフトを使った製品のファーウエイへの供給も禁止され、厳しい兵糧攻めが開始された。さらに6月にはスパコン大手・中科曙光など5団体もELに追加となった。なお、大阪サミットにおける米中首脳会談でファーウエイへの制裁が一部解除されたようであるが、どの範囲までなのかは明らかでない。

 第二は、中国企業からの調達規制である。2018年8月成立の国防権限法により、安全保障上の理由から、ファーウエイ、ZTE、監視カメラのハイクビジョン、ダーファ、警察・軍事用無線のハイテラなど、中国のハイテク企業5社の製品を政府調達から排除した。この調達規制は、米国の民間企業、同盟国の政府・民間企業にも拡大していくことになる。実際、日本政府は重要インフラ14分野の民間企業に対して、情報通信機器の調達では中国製を除外するように要請し、これまでファーウエイと取引していたソフトバンクも他社製品への切り替えを迫られた。

 第三は、投資規制の強化である。2018年8月、対米外国投資委員会(CFIUS)の権限を強化する法改正がなされ、外国企業による米国企業の買収・合併が厳しくチェックされるようになった。中国移動通信の米国事業申請は却下され、すでに進出している中国電信の免許取消しも視野に入っているという。また、米国企業の中国投資も監視が強化されていく。

 その他、中国人技術者の産業スパイ取締り強化(司法省にチャイナ・イニシアチブなる対

策チーム設置)、中国企業が関与する産学共同研究の規制、中国人留学生に対するビザ発給

の制限など、ありとあらゆる規制策がとられつつある。

 

◆2大陣営への分岐は生じるのか

 米国がファーウエイに攻撃の的を絞ったのは、5G通信技術が、AI、自動運転、IoT、ロ

ボット、3Dプリンタなど、今後の先端技術群を結合する役割をもち、米国の安全保障体

制に脅威を与える(軍事技術に転用される)可能性を感じ取っているからだろう。それでは、

米国の中国企業封じ込め策は成功するのか。

短期的には、中国の半導体、半導体製造装置、基本ソフトなどの自給能力は低いため、中

国側が苦境に追い込まれるのは間違いない。しかし、中長期的にみれば、中国には自主技術開発の潜在的基盤が形成されており、ハイテク覇権国への上昇は十分に可能と思われる。たとえば、先端技術の国際特許出願件数では中国が米国に肉薄しており、特に5Gの標準必須特許の出願では中国がトップを走り、企業別ではファーウエイが傑出している。AIを駆使した画像処理、顔認証技術でも中国が優位にあり、共産党体制によってビッグデータの収集が容易なこともその裏づけとなっている。AI関連の研究人材・研究論文の数においても、中国の台頭は著しい。

そうなると、米中2大ハイテク覇権国が並立し、世界の技術体系は2分されていくのだろ

うか。米中以外の諸国は、いずれの技術体系を取り入れるのか、踏み絵を踏まされることになるのか。おそらく、経済グローバル化が深化する現代世界では、かつての米ソ2大陣営への分岐に類する事態は起こらないだろう。たとえば、中国のネット検索大手である百度が進める自動運転の開発プロジェクト(アポロ計画)には、フォルクスワーゲン、トヨタ、ホンダ、フォード、インテルなど、有力多国籍企業が共同参加している。米中企業の相互乗り入れはすでに相当の規模に達しており、これを解消することは容易でない。まして、EU、日本など第三国の企業が一方の陣営に囲い込まれることは想定しがたい。結局、仮に2大ハイテク大国が並立する事態になったとしても、二股をかける多国籍企業が続出し、世界は多極化の方向に向かうのではないだろうか。            (2019年7月7日)

米中貿易戦争の行方―グローバル経済と覇権をめぐって

米中貿易戦争の行方―グローバル経済と覇権をめぐって

                                    

はじめに

2018年に勃発した米中貿易戦争は、トランプ政権の米国第一主義による通商戦略の発動であり、短期的には中間選挙対策の意味をもっていた。中間選挙後、次の大統領選挙に向けて戦局は新たな段階に入るだろう。また、通商戦略は全世界的に実施されたが、特に中国に対しては知的財産権の侵害に焦点を合わせた強硬な制裁関税の発動へと進んだ。これは、貿易赤字の問題だけでなく、次世代の先端技術をめぐる長期的な覇権争いの側面をもっている。

このような通商戦略、対中貿易戦争は、米国がIMF、WTOなどの国際機関の運営を主導して、グローバル経済における覇権を行使する時代の終りを告げている。WTOからの離脱すらほのめかし、WTOルール違反を意に介さない米国の姿勢は、自国の目先の利害を優先させ、国際システムを維持する責任を放棄するものである。

現在の米国の対外政策は、トランプ大統領の独特の個性に由来するものであり、ポスト・トランプの時代には元の状態に戻るとする見解もあるかもしれない。しかし、トランプの個性がどうであれ、根本にあるのはトランプを生み出した米国の変質なのであり、これまでの米国中心のグローバル覇権構造は長期的に変容していかざるを得ないだろう。

以下では、2018年に進行した事態の整理に主眼を置き、まずはトランプ政権の通商戦略に基づく全方位貿易戦争の推移をたどる。次いで米中貿易戦争について、関税引上げ合戦と技術覇権争いの二つの側面から検討を加える。そのうえで、今後のグローバル覇権の動向について若干の展望を試みたい。

 

1.トランプ政権の通商戦略

 トランプ政権の通商戦略は、政権発足間もない2017年3月の米国通商代表部(USTR)の議会通知に明瞭に現れていた。その要点をあげてみよう。

 第一に、通商政策において米国の国家主権を優先する。つまり、WTOの決定よりも米国の国家主権を優先させることであり、WTOルールに縛られないとする立場である。

 第二に、通商法を厳格に執行する。トランプ政権の眼から見ると、世界の主要な市場は政府補助金、知的財産権侵害、為替操作、国営企業などの「不正行為」によって歪められているというわけであり、これに対処する行動は正当化される。

 第三に、海外市場を開放するために、あらゆるレバレッジ(てこ)を活用する。米国に有利な状態にもっていくために、制裁関税、通商協定における為替条項(競争的な通貨切下げ操作の禁止)の導入などの手法を用いると宣言している。

 第四に、主要国と新たな通商協定の交渉をしていく。多国間協定からは離脱し、米国の主張を通しやすい2国間通商協定を推進する立場の表明である。

 このような内容の通商戦略は、大統領選挙期間中の2016年9月に政策ブレインであったピーター・ナバロ(政権発足時は国家通商会議委員長、現在は通商担当大統領補佐官)が作成した「ナバロ・ペーパー」に基づくものであり、米国第一主義、国際主義の放棄の立場を鮮明に表明していた。

 こうした観点から米国はTPP離脱、パリ協定脱退、イラン核合意からの離脱など、国際連携の枠組みから撤退していく。それはWTO無視、国連関係機関の各種分担金支払中止にも現れており、結果としてG7、G20における孤立を招いている。

 通商戦略の発動は、全方位貿易戦争として韓国、メキシコ、カナダとの2国間交渉から開始され、やがてEU、日本との交渉へと進展していく。そこでは自動車関税の引上げなどを脅しの材料として、相手国に譲歩を迫る手法がとられる。関税引上げを正面に掲げるため、これを保護主義とする見方があるが、相手国には関税引下げ、市場開放など自由主義を迫るものであって、自国第一のご都合主義と評するべきだろう。

 

2.全方位貿易戦争の展開

 トランプ政権の全方位貿易戦争は、2018年3月1日、鉄鋼25%、アルミニウム10%の輸入関税引上げ方針表明をもって開始された。その法的根拠は通商拡大法232条、米国の安全保障への脅威を理由とした輸入制限であった。なぜ安全保障が理由になるのかといえば、鉄鋼・アルミニウムの輸入増加によって米国の当該産業が衰退し、国産兵器製造に支障をきたすといった無理なこじつけである。ねらいは、鉄鋼・アルミ産業関係者向けの選挙対策と2国間通商交渉のカード作りと考えられる。

3月23日、関税引上げは実施段階に入るが、韓国、カナダ、メキシコ、ブラジル、アルゼンチン、オーストラリア、EUは、個別交渉を前提に一定期間適用除外とされた。日本、ロシア、中国、トルコ等は適用除外からはずされた。日本政府は、日米同盟がある以上、安全保障を理由とする日本への適用はないとみていたが、見事にあてがはずれてしまった。適用除外国のうち、韓国、ブラジル、アルゼンチン、オーストラリアは早期収拾を図り、輸出数量制限を受け入れて決着をつけた。それに対してカナダ、メキシコ、EU、中国などは報復関税、WTO提訴などの対抗措置をとり、日本は静観のかまえをみせた。

鉄鋼とアルミが全方位貿易戦争の第一弾であったとすれば、第二弾は5月に表明された乗用車への25%追加関税であった。ここでも通商拡大法232条が根拠法として持ち出された。鉄鋼・アルミに比べて乗用車の貿易規模は大きく、発動となればメキシコ、カナダ、EU、日本などへの影響は深刻になると予想された。トランプ政権は乗用車関税引上げを直ちに実施するのでなく、これを脅しの武器として2国間通商交渉を有利に運ぶ作戦をとっていく。

2国間交渉が最も早く妥結したのは韓国であった。韓国との間には米韓FTAが締結されていたが、米国は2018年1月から再交渉を開始し、3月末には合意に持ち込んだ。その要点は、①米国の韓国製トラック輸入関税撤廃期限の延長、②米国車の韓国輸出枠の拡大、③韓国からの鉄鋼輸入数量の制限など、米国に有利な項目が多く、加えて付帯協定では為替条項が盛り込まれた。こうした韓国に不利な協定が早期に締結されたのは、在韓米軍撤退の脅しが効いたのではないかと報じられている(日経2018年9月26日)。

続く2国間交渉はメキシコとの間で行われた。NAFTA(北米自由貿易協定)見直しは2017年から提起されていたが、米国はまず立場の弱いメキシコを先に攻め、2018年7月1日の大統領選挙で対米強硬左派のロペスオブラドールが当選(12月就任)すると、7月末から交渉を加速し、約1ヵ月で合意に到達した。その要点をみると、焦点の自動車関税をゼロにする条件として、①原産地規則(域内の部品調達比率の62.5%から75%への引上げ)、②賃金条項(時給16ドル以上の地域で製造した部材を40~45%使用)、③数量制限(対米輸出台数が240万台を超過した場合関税25%)、④為替条項など、全体として域外からの部品調達の制限、米国製部品の使用優先が明確にされた。

これを受けて、カナダとの2国間交渉が本格化し、カナダも相当抵抗したものの、結局は9月末にメキシコとほぼ同様の内容で妥結せざるをえず、NAFTAを改訂したUSMCA(米国・メキシコ・カナダ協定)が成立することになった。協定名称から「自由貿易」がはずされた点に象徴されるように、管理貿易の色彩の濃い協定に変質している。メキシコとカナダは米国経済への依存が大きく、交渉力が不足していたと思われる。

それではEUとの交渉はどうであったか。米・EU間では、2013年からTTIP(環大西洋貿易投資協定)の交渉に入っていたが、トランプ政権はそれに代る新たな枠組みを打ち出した。その際、韓国との交渉で効果を発揮した安全保障カードを使い、NATOでの防衛義務の放棄をほのめかしたと伝えられている(朝日2018年4月27日)。それとともに自動車関税の引上げを振りかざし、7月25日のユンケル欧州委員長との首脳会談で米・EU通商交渉入りで合意した。本格的な交渉は今後のことになるが、ロス商務長官は、交渉入り自体を評価して、「自動車関税で脅迫しなかったら、こんな結果にならなかっただろう」と発言している(日経2018年7月28日)。

最後に日本であるが、これまでは米国のTPP入りを追求する一方、2国間交渉については、麻生・ペンスの日米経済対話、それに続く茂木・ライトハイザーの新通商会議などで時間稼ぎをしていたものの、結局2018年9月の日米首脳会談で交渉開始に追い込まれた。安倍首相は、FTAとは異なるTAG(物品貿易協定)の交渉と強弁しているが、内容をみればサービス貿易、投資事項を含む交渉そのものであることは明らかである。2019年早々に開始される日米交渉において、韓国・メキシコ・カナダとの交渉で戦果をあげてきた米国は、日本の対米自動車輸出に対する数量制限、農産物市場の開放、為替条項による日銀の円安政策の牽制などを迫ってくるだろう。この攻勢に対して日本側がどこまで抵抗できるのか、見通しはきわめて厳しいとみなければなるまい。

 

3.米中貿易戦争の開戦

 米国にとって中国は貿易赤字の半ばを占める経済大国であるとともに、米国が誇る技術や軍事の覇権に挑戦する強国でもあり、他の国とは区別された通商戦略を行使していく。すなわち通商拡大法232条による鉄鋼・アルミ関税の引上げと並行して、通商法301条、知的財産権侵害を根拠とした、中国からの輸入品全般に対する関税引上げの実行である。

 2018年3月22日、米国は中国からの輸入品600億ドル(その後500億ドルに変更)に25%の追加関税を設定する方針を公表した。知的財産権侵害の内容は、中国に進出した米国企業に対する技術移転の強要、米国企業の買収による先端技術の取り込み、サイバー攻撃を通じた技術情報の窃盗などとされた。また米国は、対中貿易赤字の削減策として、自動車・半導体等の関税引下げ、金融市場の開放、貿易赤字の1000億ドル削減などの要求を提示した。

 これに対して中国は、米国からの輸入拡大(LNG、自動車、半導体)、乗用車関税の25%から15%への引下げ、金融市場の一定の開放など、それなりの譲歩策を打ち出し、5月から6月にかけての閣僚級通商交渉では休戦が成立するかにみえたが、トランプ大統領の強硬論により合意には至らなかった。

 7月6日、米国は制裁関税第一弾として、中国が力を入れるハイテク製品(生産財)など340億ドル相当の輸入品に25%の追加関税を発動した。これに対抗して中国は、トランプの支持基盤を狙い撃ちにすべく、大豆、綿花、食肉等の輸入品340億ドルに25%の関税を上乗せした。その後、米中間の協議が行われたものの成果はなく、米国は8月23日に第二弾として160億ドル相当の輸入品に25%追加関税を設定し、中国も直ちに同額同率の報復関税を打ち出した。

 9月に入ると米国側の攻勢は一段と強まり、9月24日、第三弾として2000億ドル相当の輸入品に10%(2019年1月からは25%)の追加関税を発動した。対象品目には電子機器、家具、農水産物等、消費財が広範に含まれ(ただし、スマホ、パソコンは除外)、中国からの輸入品のほぼ半分に関税が上乗せされることになった。そうなると、いずれ米国の輸入インフレ、消費者の負担増は避けられなくなるが、11月の中間選挙までであれば、その影響はまだ表面化しないと予測された。これに対して中国は、米国からの全輸入品に追加関税を設定しても2000億ドルには達しないため、とりあえず600億ドル相当に5~10%の報復関税を発動した。

 トランプ政権は、第四弾として残りの全品目(約2670億ドル)への追加関税をほのめかし、中国側に譲歩を迫っている。中国は妥協策を模索し、中間選挙終了後の11月中旬、142項目の行動計画を米国側に通知した。その内容は本稿執筆時点(11月26日)では公表されていないが、トランプ大統領は、「非常に完成度が高い」と一定の評価を与えつつ、なお未解決の問題が残されていると指摘している。11月末にアルゼンチンで行われる米中首脳会談で何らかの妥協が成立し、関税合戦は一時休戦となる可能性がある。しかし、仮に休戦になったとしても、技術覇権をめぐる争いが続く以上、米中貿易戦争は長期化せざるをえず、戦線は拡大するとみるべきだろう。

 

4.ハイテク覇権をめぐる攻防

 そもそも貿易戦争を仕掛けた米国側の意図は、米中貿易の不均衡の是正だけでなく、中国がハイテク超大国となり、やがて軍事超大国となってグローバル覇権を握ることを阻止しなければならないという危機意識だろう。ナバロの米中戦争論はその端的な表明である。2015年、中国は「中国製造2025」と称する長期的産業開発戦略を提起した。2025年、2035年、2049年の3段階で中国を世界最高のハイテク先進国にするという壮大な国家戦略であり、それは中国がグローバル覇権国の座に就くことを意味している。

 米中通商交渉の場で米国は中国に対して、市場開放だけでなく、ハイテク企業への政府補助金の廃止、つまりは「中国製造2025」の中止という、中国側がとうてい受け入れられない要求を突きつけた。そのうえで、一方では中国のハイテク企業との取引停止に着手した。たとえば通信機器大手の中興通訊(ZTE)に対して、イラン制裁への違反を理由にしてコア半導体の販売を禁止し、同社を生産停止状態に追い込んだ。困窮した中国側は、制裁金支払、経営陣交代などで何とか取引停止を解除してもらったが、中国側の対米技術依存を強く印象づけた。また、中国を代表するハイテク企業・華為技術(ファーウェイ)の製品購入規制にも踏み込んでいる。

 他方では、米中間のハイテク関連の資本取引への規制を強めた。対米外国投資委員会(CFIUS)の審査権限を強化し、中国企業による米国ハイテク企業の買収・合併を規制し、合わせて米国企業の対中国投資にも制限をかけることにした。

 しかし、このような取引規制が中国の技術開発を阻止する効果は限られている。すでにハイテク人材、特許出願件数、ハイテク製品の世界シェアなどの指標からみて、中国の総合的な技術開発力はかなり高い水準に達している。もちろん、最先端技術では、なお米国が優位にある部門が多いわけだが、たとえばビッグデータの収集能力では共産党体制の中国が圧倒的に有利であって、中国が米国を追い抜くのは時間の問題だろう。

 

おわりに―グローバル覇権構造の展望

 米国が握ってきたグローバル覇権は、トランプの米国第一主義、中国の超大国志向の両面から変容過程に入りつつある。米国は、世界システムを維持する覇権国の役割を放棄し、G7、G20でも孤立を深めている。他方中国は、上海協力機構、一帯一路構想など、中国を盟主とする地域覇権国の地位を固めつつ、自由貿易体制の推進を表明している。今後、米中の総合国力が接近し、G2体制になるとともに、米中対立の側面が際立ってくる可能性がある。                                          

(『現代の理論』2019年冬号)

グローバル・ガバナンスは虚妄か ――ダニ・ロドリック『グローバリゼーション・パラドクス』を読む――

グローバル・ガバナンスは虚妄か

――ダニ・ロドリック『グローバリゼーション・パラドクス』を読む――

               『季刊ピープルズ・プラン』第79号、2018年2月          

 

  • はじめに

 トランプ政権の「アメリカ・ファースト」、イギリスのEU離脱、ヨーロッパにおける極右政党の台頭、こうしたグローバリゼーションに対する反発は、国民国家体制への回帰を意味するのか。グローバリゼーションは失速したのか。

 たしかに世界政治の次元では1国主義の潮流が目立つが、世界経済の次元では国境を越えたモノ、カネ、ヒト、情報の流れはさらに加速している。グローバリゼーションにおけるこのような政治と経済のギャップをいかに捉え、どのような克服の展望を見出していくべきであろうか。

 ダニ・ロドリック『グローバリゼーション・パラドクス』(柴山桂太・大川良文訳、白水社、2014年)は、この問いを考えるうえで格好の文献である。タイトルが示す意味について、訳者は、国境を越える経済と国家単位にとどまる政治(統治)との乖離を表していると解している。また本書の副題は「世界経済の未来を決める三つの道」であり、三つの選択肢が提示されている。

 著者のロドリックは、トルコ出身のアメリカで活躍する国際経済学・政治経済学を専門とする研究者である。本書の原著は2011年の刊行であり、訳者によればすでに12ヵ国語に翻訳されているという。本書に先行して、『グローバリゼーションは行き過ぎか?』(1997年)、『一つの経済学、複数の処方箋――グローバリゼーション、制度、経済成長』(2007年)などの著作があるが、いずれも邦訳されていない。なお、訳者の一人、柴山桂太氏は、政治経済思想を専門とし、『グローバル恐慌の真相』(中野剛志との共著、集英社新書、2011年)、『静かなる大恐慌』(集英社新書、2012年)などの著書がある。

 本書は全12章(および序章、終章)の構成であり、グローバリゼーションの歴史をひも解く1~4章、現状の問題点を考察する5~8章、解決策を提起する9~12章に三分される。以下、順を追って注目すべき論点を抽出し、後半では本書の問題点について検討を加えることとしたい。

 

  • 貿易からたどるグローバリゼーションの歴史―序章~第4章

 「序章 グローバリゼーションの物語を練り直す」では、リーマンショックを経て、現状のグローバリゼーション(国家に対する市場の優越)への懐疑が広がるなかで、市場と政府の関係の再考が必要であるとして、世界経済の政治的トリレンマを提起する。すなわち、民主主義、国家主権、グローバリゼーションの3者の同時実現は不可能というトリレンマであり、民主主義と国家主権を優先させ、グローバリゼーションを抑制すべきとする本書の結論をあらかじめ提示する。

 「第1章 市場と国家について――歴史からみたグローバリゼーション」では、17~18世紀の重商主義思想とアダム・スミスの自由主義思想を対比させ、国家と市場を二項対立的にみる通説的見解を示したうえで、そうではなく市場は国家によって支えられており、両者は補完的関係にあると主張する。それをふまえて国内市場と国際市場を対比し、国内市場は法体系、裁判所、警察、社会保障、税制など国家の諸機能を不可欠としているが、国際市場(グローバル市場)にはそうした制度的土台がなく、しかも国内ルールがむしろグローバルな取引を妨げていると論じる。国家と市場は国内的には補完しあい、国際的には乖離するというグローバリゼーションの本質的問題点を初発の段階で指摘しているわけである。

 「第2章 第一次グローバリゼーションの興隆と衰退」は、19世紀から20世紀前半を対象とする。19世紀には世界貿易の拡大、大陸間の人の移動など、グローバル化の水準が上がった。その背景として、交通通信革命、自由主義経済思想、国際金本位制をあげるとともに、帝国主義体制が帝国圏内における国家と市場の乖離を埋めたとする注目すべき論点を提起する。しかし、帝国主義体制は国家間対立を激化させ、第一次大戦、それに続く大恐慌によって第一次グローバリゼーションは終焉を迎えた。1930年代の特徴として、金本位制よりも失業対策、自由貿易よりも保護主義を求める政治的圧力がかつてなく高まった点をあげている。

 「第3章 なぜ自由貿易論は理解されないのか?」は、前章までの歴史的記述と異なり、自由貿易は保護主義よりも望ましいという通説を再考する理論的考察を行う。ここでは、リカードの比較優位の原理は広く支持されているとはいえ、貿易によって縮小する部門の損失など、マイナス面も大きいとみている。総じて、アメリカ経済学界で主流である自由貿易擁護論を批判し、利害得失のバランスのとれた把握が必要であると説いている。

 「第4章 ブレトンウッズ体制、GATT、そしてWTO――政治の世界における貿易問題」は、第二次大戦後に成立したブレトンウッズ体制の特徴を検討し、「グローバリゼーションの黄金時代」と高い評価を与えている。その理由として、第一に、国際経済ルールより国内経済政策を優先させる「節度のあるグローバリゼーション」であったこと、

第二に、多国間主義に基づき国際経済機関(IMF、世界銀行)が国際経済の制度的インフラとなったこと、第三に、GATTが貿易自由化をゆるやかに推進したため、国内経済政策の自由度を高めたこと、第四に、資本移動の自由化には慎重であったこと、などを指摘している。1990年代に入り、WTOが設立されると、金融のグローバル化とともに、ハイパーグローバリゼーションへの転換が生じる。ロドリックはこうした動きに対して批判的であって、その問題点を次の第5~8章で扱うことになる。

 

  • 金融のグローバル化と格差の拡大―第5章~第8章

 第4章までは、貿易のグローバル化を軸にして、ブレトンウッズ体制の展開までをたどってきた。それを受けて、「第5章 金融のグローバリゼーションという愚行」では、

資金の効率的運用を通じて経済成長を図るとする金融グローバル化がいかに問題の多い政策であるかを、ブレトンウッズ体制と対比しつつ論じる。金融の規制緩和はアメリカ、イギリスが主唱し、フランスがこれに合流することによって国際ルールの基調へと転じた。EU、OECD、IMFなどの政策転換が1990年代を通じて進展した。国際金融市場を特徴づけていた固定相場制と資本移動規制がなくなったため、不安定な事態が生じた。一つは、変動相場制の想定外の作用であり、実体経済との対応関係から離れて、為替相場は1日単位で激しく変動し、またレートの過大評価や過小評価が長期にわたって続くことになった。もう一つはアジア通貨危機をはじめとする通貨金融危機の連続的発生である。このようにロドリックは、資本移動の自由化に対して否定的評価を下している。

 「第6章 金融の森のハリネズミと狐」では、市場原理主義を信奉するハリネズミ派とそれに慎重な狐派に経済学者を二分し、前者の思考がいかに非現実的かを浮き彫りにする。ハリネズミ派は市場メカニズムを限りなく信頼し、通貨危機が起これば、それは市場のせいではなく前提条件の不備のためとする。この思考についてロドリックは、「自己奉仕バイアス [成功は自分の手柄、失敗は状況要因のせいとする態度] 」と表現し、ハリネズミ派の自信過剰な態度を批判している。これに対して狐派は、市場は不完全であり、現実は複雑とみる立場であって、その代表的人物としてケインズ、トービン、スティグリッツなどの名前をあげている。

「第7章 豊かな世界の貧しい国々」は、グローバリゼーションとともに国家間の経済格差が著しく拡大した事実を見すえ、そうした格差が何を起源にしてどのように進行したかを考察する。格差の起点は産業革命への対応であり、工業化を可能にした諸国は教育を受けた熟練労働者と市場を支える法・政治制度を備え、その条件を欠く地域は植民地化され、世界は工業国と一次産品国とに分岐していったとする。この理解は目新しいものではないが、注目されるのは例外としての日本の指摘であり、その延長上に近年の東アジアの「奇跡」、中国の経済成長を位置づけている点である。そこでは国家の役割が重視され、現代中国は、グローバリゼーションのもたらす利益を、ブレトンウッズ体制当時の国家の介入という旧ルールを通じて獲得しているとする「逆説」を述べている。

「第8章 熱帯地域の貿易原理主義」は、開発経済学の変遷をたどりながら、途上国に規制緩和、自由化、民営化を押し付ける「ワシントン・コンセンサス」をめぐる問題状況を明らかにする。1960年代までの開発経済学では、保護主義、輸入代替工業化といった国家の市場への介入が基調であった。それが80年代以降、劇的に転換し、市場原理を優先させる自由貿易論が主流となった。しかし、脆弱な国内基盤を無視した単純な自由貿易政策は失敗し、「ワシントン・コンセンサス」は修正を迫られた。ただし、失敗の原因は規制緩和、制度改革が不十分であったことに求められた。ロドリックは、このような短期的には実現不可能な条件をあげるだけの開発政策論を批判し、過剰なグローバル化に歯止めをかけたうえで、一律で総花的な政策でなく、それぞれの国の最も厳しい制約を見極め、その解決に優先的に取り組む選択的アプローチを提案している。

 

  • 世界経済の政治的トリレンマと健全なグローバル化への道―第9章~終章

 ここからが本書の真価が問われる部分である。「第9章 世界経済の政治的トリレンマ」は、深化したグローバリゼーション(ハイパーグローバリゼーション)が1国の社会制度、民主主義と衝突する事態を取り上げる。事例として、労働基準の低下(底辺に向かっての競争)、法人税引下げ競争、健康・安全基準の低下、自由貿易協定における外国投資家保護、新興国産業政策への制約などがあげられる。こうしたハイパーグローバリゼーションによる国民国家と民主主義への挑戦に対して、3要素の同時成立はありえず、いずれかの2者をとって他をあきらめるという3択問題が提示される。すなわち、①ハイパーグローバリゼーションと国民国家を選び、民主主義をあきらめる、②ハイパーグローバリゼーションと民主主義を選択し、国民国家を捨てる、③国民国家と民主主義をとり、ハイパーグローバリゼーションを排除する、という3択である。ロドリックは、①が現状に近いとみて、②が望ましくみえるがそれには懐疑的であり、結局③を選ぶべきだと主張している。

 「第10章 グローバル・ガバナンスは実現できるのか? 望ましいのか?」では、前章の選択肢②の可否について論じている。グローバル化の進展とともに、国民国家の役割が低下し、代りに超国家機関によるグローバル・ガバナンスが登場するという議論があるが、ロドリックはこれには否定的である。超国家機関の事例としてEUがあるが、政治統合には困難があり、またある程度の進展があるとしても、それは共通の文化的基盤をもつヨーロッパの特殊事情によるものであって普遍性がないという。グローバル・ガバナンスの難点として、エリート官僚と民衆の乖離(説明責任、代議制の欠如)、人々のアイデンティティに関してグローバルな政治共同体は国民国家に遠く及ばない点、世界は多様であってグローバル・スタンダードが適用されるのはごく限られた範囲にとどまる点などがあげられる。

 「第11章 資本主義3.0をデザインする」では、グローバリゼーションの深化に対応した資本主義の新しいバージョンについて考察する。資本主義1.0は古典的自由主義経済の段階であり、政府の役割は限定的に捉えられていた。資本主義2.0は20世紀の福祉国家、「混合経済」の段階であり、国家の市場に対する関与は強まり、国際経済における自由化は制限されていた。20世紀末からの資本主義3.0はグローバリゼーションの深化した段階であり、新たなガバナンスが必要とされるが、それは超国家機関によるグローバル・ガバナンスでなく、ナショナル・ガバナンスを基本とする国際協調であるべきだというのがロドリックの主張である。その内容として市場の統治システムへの埋め込み、各国制度の独自性の尊重など7点の指針を示すとともに、気候変動などのグローバル・コモンズの領域はグローバル経済とは別のガバナンスを要するという注目すべき指摘を行う。

 「第12章 健全なグローバリゼーション」は本書の結論に相当する。ロドリックの立場は、グローバリゼーション自体を止めるのでなく、その利点を生かしつつ、適切に管理・制御するというものだ。具体的方法が四つの分野で示される。第一に国際貿易の分野では、これ以上の自由化による利益はわずかなものなので意味がないとして、国内の公共利益(民主的熟議を経て判断される)を優先させる新たな(単なる保護主義とは異なる)社会的セーフガード協定の導入を提案する。第二にグローバル金融の分野では、各国独自の金融規制や基準の重視を前提にして、国境を越えた金融規制(タックスヘイブン規制、金融取引税など)を考慮すべきという。第三に労働移動の分野では、グローバルな所得移転のために外国人労働者受入れを促進すべきとして、先進国の全労働力の3%以内で5年上限の一時的労働ビザ発給というきわめて具体的な案を打ち出している。第四に中国を世界経済に適合させる分野では、厳格な国際ルールを押し付けるのでなく、中国独自の成長政策(産業政策)の権利の承認と引き換えに、貿易不均衡を是正させるという和解策を提唱する。全体として、単一のルールをもつハイパーグローバリゼーションを必然とみる必要はなく、多様な国家群が健全なルールのもとに相互交流する世界経済は可能だというのが著者の結論である。

 「終章 大人たちへのお休み前のおとぎ話」は、著者の主張をわかりやすく記した寓話となっている。

         

  • 世界経済の政治的トリレンマをどう理解するか

 行き過ぎたグローバリゼーションの制御という結論部分、各章に散りばめられた論点は示唆に富み、共感できる部分は多い。しかし、そのうえで本書を読んで感じる問題点を二つほどあげてみたい。第一は、本書の看板である「世界経済の政治的トリレンマ」の妥当性である。まず気になるのは、用語の不統一である。234頁の図に示されている3要素を、便宜的にハイパーグローバリゼーション=G、国民国家=S、民主政治=Dとしよう。これらに相当する本文中の用語として、Gではグローバリゼーション、グローバル市場、グローバル経済、経済統合、Sでは国家主権、国民的自己決定、Dでは民主主義なども使われる(17頁、233~234頁)。これらは用語だけでなく、カテゴリーとしても不統一である。アクターなのか、行為なのか、制度なのか、あるいは追求すべき価値なのか、わかりにくい。特にグローバリゼーションは経済統合の状態を指すのであって、政治的概念としては超国家機関(あるいはグローバル・ガバナンス)とすべきではないか。

 ただし、この問題はそれほど重要ではない。より重要なのは、トリレンマは現実を説明する論理たりえているかという点である。おそらく究極の姿としては、GとSは両立しないであろうが、そのような世界を想像してもほとんど意味はない。現実には、G、S、Dの3要素が併存し、そのウエイトが変化しつつあるとみるべきではないか。すなわち、これまではSとDのウエイトが大きく、Gは小さかった。ところが、グローバル化の進展とともに、Gの存在が大きくなり、Sはそれに引きずられ、その分だけDのウエイトが下がったと考えればどうだろうか。TPPなどはその一例と言えよう。そうであるとすれば、Dの役割を強め、Sを引き付けて、Gを抑制するという形で、ロドリックの主張を位置づけることができる。トリレンマの固定化、そこから導かれる3択問題の設定は、明快な反面、現実的と言えないのではないか。

 

  • グローバル・ガバナンスは不可能か

 第二の疑問点は、ロドリックのグローバル・ガバナンスに対する否定的理解についてである。第9章の3択問題で、彼が②を選択せず、③を採用しているのは、グローバル・ガバナンスが実現不可能なだけでなく、望ましくないと判断しているためである。実現可能性に関しては、たとえば、「グローバル・ガバナンスは、これまで考えてきた課題の解決に、ほとんど役立たない」(263頁)、「グローバル・ガバナンスの探求は無駄骨に終わる」(273頁)、「グローバル・ガバナンスの探求が現実のガバナンスに行き着くことはほとんどない」(274頁)といったネガティブな記述が繰り返される。しかし、これはグローバル・ガバナンスと国民国家を二者択一的に設定しているためであり、両者の併存を考慮しない硬直した理解ではないだろうか。

 望ましくない理由については、第10章で、民主主義・説明責任の欠如、グローバル共同体に対する人々のアイデンティティの弱さ、グローバル・スタンダードより各国の独自性を尊重すべきだといった点があげられている。しかしこれもグローバル・ガバナンスを高いレベルの制度として狭く解釈しているためではないだろうか。「民主主義の範囲が国境を越えて拡がることはほとんどない」(280~81頁)と述べているが、国際機関の民主主義的運営に関しては、様々な可能性があるのではないか。ついでに言えば、各国の独自性の尊重が強調され、グローバル・スタンダードが消極的に捉えられていることには違和感がある。たとえば、国際労働基準の説明のなかでインドの児童労働が必ずしも否定さるべきでないといった記述があるが、このような普遍性と独自性の折り合いの付け方には疑問を感じる。

 グローバル・ガバナンスと地球環境問題との関係づけにも疑問がある。第11章では気候変動問題を取り上げ、これは個別国家を超えたグローバル・コモンズの問題であるから、グローバルな協力が必要と述べている。そうであれば、地球環境問題にはグローバル・ガバナンスが必要となるはずだが、ロドリックの主眼はグローバル経済問題に向けられ、グローバル・コモンズとグローバル・ガバナンスの関係には立ち入ろうとしない。グローバル経済とグローバル・コモンズは別物と断定してしまうのである。なぜ、両者を区別するのか。国境を越える問題としての共通性に着目し、その解決のための取組としてグローバル・ガバナンスを広く位置づけてもよいのではないか。

 そう考えてくると、本書のなかには広義のグローバル・ガバナンスの事例はいくつも盛り込まれている。金融取引税、タックスヘイブン規制などがその代表例である。民主政治を基本としつつ、国民国家とグローバル・ガバナンスが役割分担をしながら行き過ぎたグローバリゼーションを制御することが、目指すべき方向ではないだろうか。