アベノミクスの破綻とグローバル資本の繁栄

アベノミクスの破綻とグローバル資本の繁栄

                                         (『季刊ピープルズプラン』72号、2016年3月)

 

2年、2%、2倍。2013年4月、アベノミクスの切込み隊長、黒田日銀総裁は2年間で日銀が供給する通貨量を2倍にし、2%のインフレ目標を達成して、日本経済を成長軌道に復帰させることを宣言した。しかし、それからすでに3年が経過し、日銀の通貨供給量(マネタリーベース)は3倍に達したにもかかわらず、2%のインフレ目標は達成されず、経済成長率は低迷を続けている。

2015年9月、戦争法制の成立直後、安倍政権はアベノミクスの第2ステージへの移行を表明した。第1ステージの総括を抜きにした、なしくずしの目標変更である。結局、アベノミクスとは、「成長幻想」をふりまき、政権支持率を確保し、戦争法制を成立させるための道具だったのか。確かに、支持率確保の役割を果たしたとはいえるが、それだけではない。3本の矢、特に第3の矢は、「世界で一番企業が活躍しやすい国」に向けて、日本社会の形を根底から変えるねらいをもっていた。そのねらいは、第2ステージにも貫徹している。

以下では、アベノミクスの第1ステージについて、特に第1の矢(異次元の金融緩和)に絞ってその経緯を振り返り、想定されるマイナスの効果を検討したうえで、第2ステージをどのように捉えるべきなのかを考えていきたい。

 

◆第1の矢は目標を達成できたのか

 アベノミクスを構成する3本の矢とは、「大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略」だった。このうち財政政策は従来の手法の繰り返しであって、目新しいものではない。成長戦略は小泉政権以来の規制緩和路線であり、さまざまな問題をはらんでいるが、いずれにせよ短期間で成果が出るものではない。結局、アベノミクスの目新しさを表していたのは、第1の矢、日銀の異次元金融緩和であった。

 2013年4月に日銀が打ち出した超金融緩和政策の要点は、長期国債の大量購入(政府の新規国債発行額を上回る年間50兆円規模)を通じて市中銀行に通貨をばら撒き、人々に2年で2%物価上昇という予想(期待)を抱かせることだった。この衝撃を受けて、1年後には円が対ドル90円から100円に下落、株価(日経平均)が1万2千円から1万5千円に上昇、消費者物価上昇率は1.5%を記録した。ところが、2014年4月の消費税引上げ、さらに原油価格の低下に影響され、消費者物価上昇率はダウンしてしまう。

 そこで日銀は2014年10月、「黒田バズーカ」第2弾を発表、国債購入量の80兆円規模への増額、ETF、REITなどリスク性資産(投資信託)の購入規模拡大など、追加のショックを与えた。この決定と同じ日に、公的年金資金を運用するGPIFが株式運用比率を拡大する方針を発表しており、両者は株価テコ入れで連携していたとみられる。しかし、追加緩和を決めた日銀の金融政策決定会合は賛成5、反対4という僅差だった。決定会合メンバー9名のうち総裁と副総裁2名は執行部であるから、他の6名のうち4名が反対した意味は大きい。反対理由は、こうした金融緩和策は効果が見込めず、むしろ副作用が大きいといったことだった。その後、円相場は120円台まで下落、株価は2万円を超えたものの、物価目標達成時期の見通しは、逃げ水のようにその時期が近づくと先延ばしされ、2015年度半ば、16年度前半、16年度後半、17年度前半へと4回にわたって修正された。

2発撃ったバズーカが効果を表さなかったため、2016年1月、ついに日銀は「禁じ手」ともいうべきマイナス金利の導入に踏み切った。この決定も5対4の僅差だった。しかし決定の効果は数日間しか続かず、ねらいははずれて為替は円安から円高へ、株価は上昇から下落へと反転し、デフレ、マイナス成長への逆戻りの流れが生じた。アベノミクス第1の矢の破綻が明らかになった。

 

◆なぜ第1の矢は失敗したのか

 日銀の異次元緩和がもたらした目に見える変化としては、企業収益の上昇があげられる。

2015年度の東証1部上場企業の経常利益は、年度の後半に落ち込みをみせたとはいえ、過去最高となる見込みだ。しかし、それは円安という為替効果、株価上昇という資産効果が作用したためと考えられる。輸出数量の増加、国内消費・設備投資の増加がみられない中での業績向上であるため、一時的であって持続性がない。円安は日銀の異次元緩和の効果、株高は海外の投資ファンドの動向に影響されたものであり、いずれにせよ2012年ころの水準が日本経済の実態からずれていたため、本来の水準に戻った程度のことであって、今後の効果は想定できない。

 アベノミクス第1の矢が失敗した理由は、第一に日本経済の長期的・構造的変化への認識を欠いていることであろう。「失われた二十年」という表現は、それ以前の時期が「常態」であって、バブル崩壊以後は異常な時期とする見方に基づいている。しかし、1990年代以降、少子高齢化(生産年齢人口の減少)、グローバル化(IT革命、中国の台頭を含む)によって、日本経済は構造的に新しい段階に移行したのであって、それ以前の「常態」に戻ることはありえない。そのことを認識せず経済成長率をあげようとしても、できるはずがない。にもかかわらず、政策をうまく打てば実体が動く、インフレ期待をもたせれば消費や投資が拡大すると期待しても、空回りするしかない。

 第二に、通貨供給量を増加させてインフレを起こすというインフレターゲット論が誤っていた。日銀が市中銀行から大量に国債を購入してマネタリーベースを増やしても、それは日銀当座預金を膨らませるだけで、市中銀行の貸出し増加、マネーストックの拡大には直結しない。因果関係は逆であって、貸出しの増加がマネタリーベースの拡大をもたらすとみるべきである。また、将来のインフレ予想に働きかける「期待形成論」も現実から遊離している。仮に将来の物価上昇が予想されるとして、高くなる前に買うという消費行動をとる人もいるだろうが(消費税引上げ前の駆け込み需要)、将来に備えて今は消費を控えようとする人もいるわけで、だれもが同じ行動に出るわけではない。こうした理論も、経済成長、所得増加を自明とする思考枠組みに縛られているとみるほかない。

 

◆超金融緩和の危険な末路

 それでは、異次元の金融緩和をこのまま続けていくとどうなるのか。「出口戦略」はあるのか。黒田日銀総裁は、2%の物価目標を達成するまで緩和政策を続ける、できることは何でもやる、いまは「出口戦略」を語る時期ではない、という。しかし、国債を新規発行額の2倍の規模で買い続けると、あと1~2年で国債市場が枯渇してしまう。しかも2018年には黒田総裁の任期が(さらに安倍自民党総裁の任期も)満了になる。すでに現状でも、政府の国債を日銀が引き受ける事実上の「財政ファイナンス」状態になっており、いまの方法を無期限に続けることはできない。日銀の国債大量購入は、財政規律を弱め、財政健全化を妨げる意味をもつ。プライマリーバランス(基礎的財政収支)の黒字化目標は先送りが繰り返され、国の借金は積み上がるばかりだ。

超金融緩和の行き着く先は不透明である。マイナス金利の負担は特に地方銀行の経営を悪化させるだろう。格付け機関が日本国債のランクを一段と引下げ、海外の投機筋による国債売却が引き金になって、長期金利上昇=国債価格下落が生じるかもしれない。日銀は短期金利を管理する方法をもっているが、長期金利をコントロールする手段に乏しい。長期金利の乱高下は、金融機関、財政(国債発行当局)を大混乱に陥れるかもしれない。

また、いずれ日銀が「出口戦略」をとる段階になると(そもそも「出口戦略」をとれない恐れもあるが)、国債購入中止、国債売却、金利引上げなど、これまでとは逆の金融政策をとるわけであるから、長期金利上昇=国債価格下落は避けられない。その時、国債発行の困難、国債を保有する日銀および市中銀行の損失が生じうる。特に大量の国債を抱える日銀は債務超過に陥りかねず、今から引当金を積んだとしても、とても足りそうもない。そうなると政府から救済を受けなければならず、財政赤字を拡大する懸念もある。国債暴落を防ぐために、日銀は再度の国債大量購入(「出口戦略」の中止)に追い込まれる危険性がある。

 結局、大量の国債発行、日銀の国債抱え込みは、財政と日銀の一体化(財政による金融の従属)、両者の信認の低下に行き着くだろう。その先には、円の大幅な下落、輸入物価の上昇、消費税大増税、スタグフレーション(成長なきインフレ)といった厳しい事態が待ち受けているかもしれない。臨界点に達する前に、無謀な異次元緩和からの撤退に舵を切るべきではないだろうか。

 

◆新3本の矢のねらいは何か

2015年9月、戦争法案成立直後、安倍政権はアベノミクスの第2ステージへの移行を宣言し、新しい3本の矢を提起した。60年安保から所得倍増計画へと転じた55年前の手法を持ち出してきたわけである。総括的タイトルは「1億総活躍社会」、3本の矢は「希望を生みだす強い経済」、「夢をつむぐ子育て支援」、「安心につながる社会保障」とされた。あまりにも内容が漠然としているが、数値目標として、名目GDP600兆円、希望出生率1.8、介護離職ゼロが掲げられた。

しかし、こうした数値目標は実現する根拠を欠いている。2020年にGDP600兆円を達成するには、実質成長率2%、名目成長率3%を継続する必要があるが、これまでの実績をみればありえない目標であることは明らかだ。GDPの算出方法を変えるなどして、目標達成を可能にしようとしているものの、見かけが変わったところで実体が変わるわけではない。子育て支援については、保育所の定員を50万人拡大する計画だが、保育士の確保の見込みがない。介護サービス50万人増加計画にしても、職員不足が深刻な状況を打開する可能性はほとんどない。職員の待遇改善に逆行する介護報酬の引下げなど、ちぐはぐな政策をとっている。

これらの目標は、達成年次が先のことなので、とりあえず選挙対策として打ち出されたものといえる。それと同時に、第1ステージ以来の成長戦略の増補版でもある。第1ステージの本命は第3の矢「民間投資を喚起する成長戦略」だった(2015年12月に発表された「日本再興戦略改訂2015」では、第1ステージの第3の矢を「岩盤規制改革」と表現している)。第3の矢は第2ステージの第1の矢に引き継がれており、「岩盤規制」の緩和、新産業創出、イノベーションによる生産性向上の多彩なプログラムが列挙されている。

第2と第3の矢は、社会政策的内容ではあるが、経済成長に必要な労働力を確保するという意味で、第1の矢を支える位置づけでもある。生産年齢人口が減少していくなかで成長率を上げていくには、生産性の上昇とともに、雇用を拡大していく必要がある。そこで、女性も介護離職者も高齢者も動員することになる。外国人労働者については、高度人材受入を進める一方、単純労働導入には消極的であって、問題の多い外国人技能実習制度の拡大(枠の増加、期間の延長)で切り抜けようとしている。

 

◆グローバル資本のためのアベノミクス

 経済成長率を上げる基本は消費増大であり、消費が増えるのであれば企業は設備投資を増やす。消費増大のためには、雇用の増加と賃金の引上げが必要だが、企業の利益を優先させ、格差是正を後回しにする安倍政権にできるはずがない。

 安倍政権は、アベノミクスの成果として、企業業績向上と合わせて、雇用増加、失業率低下、有効求人倍率上昇を自慢しているが、増えるのは非正規雇用ばかりで、正規雇用はほとんど伸びておらず、実質賃金は低下を続けている。最近になって非正規から正規への転換を奨励するポーズ(それはそれで問題の多い限定正社員、キャリアアップ助成金など)をみせているが、企業側にとって使い勝手のよい労働法制推進の姿勢は一貫している。2015年9月に成立した改定労働者派遣法は、1986年派遣法の趣旨を大幅に転換するものであり、派遣労働を拡大する方向に機能するだろう(「生涯派遣」)。また、「岩盤規制」打破の主軸として、労働時間の規制緩和(「残業代ゼロ」)、解雇の規制緩和(金銭解決制度、「解雇自由法制」)を執拗に追求している。

 非正規雇用が全体の4割にも達し、その待遇が正規職とあまりにも格差があるため、格差是正を求める声が上がっていることに対して、政権側もさすがに放置できなくなった。そこで「同一労働同一賃金」の検討を表明することになったが、現政権に抜本的な対策を期待できるわけがない。2月5日の衆議院予算委員会で塩崎厚生労働大臣は、政府のいう「同一労働同一賃金」は「同一価値労働同一賃金」とは異なる、つまり正規と非正規とでは職能給と職務給という給与原理の違いがあり、同じ仕事で同じ給与になるものではないと言明している。

こうした労働政策における企業寄りの姿勢は、税制面でも貫徹している。大企業優遇税制は、租税特別措置、政策減税として従来から続けられてきた。2011年度から公表されるようになった政策減税総額は12年度の5千億円から14年度の1兆2千億円へと膨らんだ(「朝日新聞」2016年2月14日)。その恩恵は大企業に集中している。なかでも研究開発減税は6746億円と巨額であり、トヨタ1社だけで1083億円も享受している。

そのような優遇税制に加えて、法人税減税である。2016年度には実効税率を30%以下に切下げ、財源は外形標準課税の拡大でまかなうという。このことは赤字企業に増税し、黒字企業に減税する操作であり、企業間の格差拡大を意味する。法人税減税の名目は、外資の呼び込み、国内企業の海外移転抑止とされるが、企業が立地判断をするうえで税率が主たる要件でないことは各種調査から明らかであり、そうした効果は見込めない。むしろ減税分は内部留保となって積み上がり、やがて海外投資の原資として使われることになろう。

グローバル資本にとって、成長力を判断基準にして日本国内よりも海外に投資するのは当然であって、2011年以降対外直接投資は年間10兆円以上の高水準を続けている。2014年末の直接投資残高は140兆円を突破した(日銀「国際収支統計」)。日系製造業企業の海外従業員数は1990年から2013年にかけて314万人増加して438万人に達した(経済産業省「海外事業活動基本調査」)。同じ期間に国内製造業従業者数は377万人減少して740万人になった(経済産業省「工業統計表」従業員4人以上の事業所)。戦争法制のもと、自衛隊の海外出兵は、グローバル資本の安全保障を視野に入れているのだろう。

グローバル資本は日本の国民経済から遊離しつつあり、一部の企業の繁栄が日本全体に波及するわけではない(トリクルダウンの幻想)。現在の日本では、グローバル経済とローカル経済との間に隙間が生まれている。大都市の繁栄が地方に及ばないのはそのためだ。TPPは一部の大企業に多少の恩恵をもたらすかもしれないが、日本農業には壊滅的打撃を与える。大企業の利益を優先するアベノミクスの成長戦略が幻想にすぎないことに多くの人々はすでに気づいている。もはや経済成長を自明の目標とする時代ではない。ゼロ成長下の社会経済システムをどのように構想していくか、この課題への取り組みが求められている。

 

米中複合覇権とグローバル資本主義

米中複合覇権とグローバル資本主義

 

(『季刊ピープルズプラン』67号、2015年1月)

 

 2014年11月に北京で開催されたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)では、主催国中国の超大国としての振舞いが強い印象を与えた。習近平とオバマの米中首脳会談は長時間に及び、地球温暖化問題では共同して新しい目標に挑戦する姿勢を示した。2001年9.11以後、アフガン・イラク戦争の失敗とリーマンショックによって米国のグローバル覇権国の地位が揺らぐ一方、高度経済成長と軍拡を続ける中国は新たな覇権国への道を歩みつつあるようにみえる。

はたして米中2強時代は到来するのだろうか。仮に米中が2大覇権国になるとすれば、両者の関係は協調的なものなのか、あるいは「新冷戦」ともいうべき対立的な性格を帯びるのだろうか。以下では、イアン・ブレマー『「Gゼロ」後の世界』の問題提起を手がかりに、米中の覇権構造の見通しについて、グローバル資本主義の現況と関連づけて検討してみたい。

 

◆中国は覇権国になるのか

覇権国になるには、経済力、軍事力、政治力を柱とする総合国力(能力)を備えていること、また国際システムの運営に責任をもつ意志が必要である。

総合国力の点で中国は、現時点では覇権国の要件を備えているとは言いがたい。しかし、経済力に限るならば、すでに一定の要件を満たしていると考えられる。経済規模を表すGDPはどうか。高度成長を続けた中国のGDPは、2010年には日本を抜いて世界第2位となり、今や第3位に下がった日本の2倍の規模となっている。近い将来、米国を抜くことは間違いないだろう。購買力平価で測ると、2014年に世界第1位になったとの指摘すらある。貿易規模ではすでに2013年に世界第1位の座についている。外貨準備高は4兆ドルに及び、他を引き離した地位を築いている。しかし軍事力では、米国の軍事予算が財政上の制約から削減傾向にある一方、中国の軍事費は年々大幅な増大を続けているとはいえ、少なくとも現時点ではなお質と量の両面で米中間には大きな差が存在する。

国際システム運営の意志はどうか。経済力の躍進を背景として、中国は国際機関への発言力の拡大を追求し、同時に新たな機構の創出にも踏み出している。これまでIMFや世界銀行における出資比率の増加を要求してきたが、それがすぐには実現しないとみるや、BRICS開発銀行、アジアインフラ投資銀行(AIIB)など、新たな国際金融機関の設立を主導しつつある。アジア開発銀行と競合するAIIBには、シンガポール、タイ、サウジアラビアなど21カ国が参加する見通しだが、米国や日本は加わらない。また、2014年北京APECでは、APEC全域をカバーするFTAAP(アジア太平洋自由貿易圏)の実現に向けて主導性を発揮した。これは米国主導のTPPに対抗する意味をもつ。

 さらに、2001年に発足した上海協力機構は、正式メンバー国は中国、ロシア、中央アジア4カ国だが、これにオブザーバー等としてインド、パキスタン、イラン、モンゴル、アフガニスタン、トルコまで加わり、ユーラシア大陸の地域協力機構として拡大を続けている。中国、ロシア、インドといった大国をまとめることは容易でないが、中国は着実にユーラシア連合を推進する道を歩んでいるとみることができる。最近提唱されている海上と陸上のシルクロード計画も、そうした流れの中に位置づけられよう。

 こうしてみると、現時点ではなお、中国は米国に並ぶまでには至っていないものの、覇権国としての能力と意志を備えつつあることは否定できないように思われる。それでは、今後の世界の覇権構造は、米国1極から米中2極へと移行するのだろうか。その場合、米中関係は経済面では相互依存、軍事面では対立の構図が目立つが、総体としてはいかなる覇権構造が形成されるのだろうか。以下、イアン・ブレマー『「Gゼロ」後の世界』に示される四つのシナリオを手がかりに、論点を整理してみよう。

 

◆ブレマーの四つのシナリオ

 ブレマーは現代世界を、いかなる国も国際機関もリーダーシップを発揮できない時代、つまり「Gゼロ」と規定する。米国は、20世紀後半の世界ではG1の地位を誇っていたが、21世紀に入り、膨大な債務を抱え、国内政治は機能不全に陥り、もはやリーダー国の地位にないと断定する。その一方、米国に代わってリーダー役となる国家あるいは国際機関も存在しないとみる。世界はいかにしてGゼロに至ったのか、またGゼロ状態は世界にいかなるインパクトを与えているか、こうした問題が同書の前半で述べられる。

 そのうえで、Gゼロは持続不可能であるとして、次の世界で誰がリーダーシップをとるのか、その展望を試みる。その際、2本の問題軸を設定し、その組合せによって四つのシナリオを描き出す。問題軸の第一は、米中関係は協調的になるのか、あるいは対立的になるのかということである。第二は、米中以外の有力国が重要な独立した役割を演じられるのか否かという問題設定である。四つのシナリオは次のようになる。

 ①G2(米中協調、有力国が弱体)。米中は世界の二大経済大国であるとともに、米国は世界最大の債務国、中国は世界最大の債権国であって、両国は巨額の債権債務関係によって結合している。また、米中は経済と軍事を二大テーマとして戦略対話を積み重ね、戦略的パートナーシップ関係を演出している。しかし、中国が先進国入りをしておらず、リーダー国になる能力、意志を欠くこと、米中の利害関係が一致するよりも対立する可能性が大きいことから、このシナリオの実現性は高くない。

②G20(米中協調、有力国が強力)。Gゼロが引き起こす世界的規模での緊急事態、たとえば金融危機、感染症危機などが生じた場合、米中を含む主要国が結束してリーダーシップを発揮する局面が生じる。これがG20であるが、短期的には成立しても、長期的にこの枠組みが機能し続けることは難しい。主要国が永続的に協力せざるをえないほどの大規模な危機は想像できず、各国の危機から受ける影響と対処方法には差が生じるため、G20シナリオはG2よりもさらに可能性が低い。

 ③冷戦2.0(米中対立、有力国が弱体)。米中間の対立が、経済摩擦、サイバー攻撃、台湾問題などで深刻化し、しかも米中の国力と他の有力国の国力との間の差が開いた場合、このシナリオの可能性が高まる。かつての冷戦と比較してみると、米中間には経済の相互依存関係があること、中国が旧ソ連のように世界的軍拡を行い、イデオロギー的に同盟国を組織化する見込みがないことから、旧冷戦の再来はありえない。とはいえ、米中協調のG2シナリオよりは米中対立の実現性が高い。

④地域分裂世界(米中対立、有力国が強力)。米中以外の有力国が台頭し、地域覇権を確立する一方、どの国も世界的リーダーにはならない状態を指す。ヨーロッパのドイツ、中東のサウジ、南米のブラジルなどが地域のリーダーとして振舞うようになり、各地域間の連携や協調はみられるものの、グローバルなリーダーシップを発揮する国は見当たらない状態になる。このシナリオは最も実現性が高い。

 このようにブレマーは、④地域分裂世界、③冷戦2.0、①G2、②G20の順に実現可能性の序列をつけているが、はたしてそうだろうか。

 

◆米中関係の複合的構造

 ブレマーは四つのシナリオについて、多くのことをあれこれと論じているが、実現可能性に序列をつけるうえでの議論が緻密でなく、あまり説得力が認められない。地域分裂世界が最もありうるとするが、これとGゼロはどこが違うのか。Gゼロは持続可能でないと言いながら、第四のシナリオをあげるのは矛盾しているのではないか。

 覇権国の要件として能力と意志を考慮するならば、やはり米中両国が突出しており、G2あるいは冷戦2.0が想定されるシナリオではないだろうか。この可能性を低くみる彼の議論の根底には、中国の能力と意志への過小評価があるように思われる。

中国の能力に疑問を呈する根拠として、先進国市場への過度の依存、国内の経済格差、暴動などの社会不安、高齢化社会の到来、環境問題の深刻化、先端技術開発能力の不足など、しばしば指摘される論点があげられる。また国際環境に関して、周辺国との摩擦、輸入資源・食料の価格高騰、海外進出中国企業の進出先での紛争などが指摘される。しかし、並べられた問題点は多岐にわたるものの、いずれの論点も中国の覇権国化を否定するほどの決定的な意味をもたないのではないか。

意志の面はどうか。ブレマーは、これまでの中国の「韜光養晦」路線を根拠にして、覇権国化への消極的姿勢を論じているが、その後の「新型大国関係」の提起、新しい国際機関の提唱などの変化をふまえておらず、これも論拠が弱いといえる。

そうとすれば、可能なシナリオはG2あるいは冷戦2.0であるが、ブレマーは冷戦2.0の方がより実現性が高いとみている。協調面より対立面を重視しているわけであるが、そこには米中相互依存関係に対する過小評価があるのではないか。米中貿易は両国にとって死活的に重要であり、中国の輸出先第1位は米国、米国の輸出先第1位は中国である。米国の経常収支赤字の3分の2は中国との取引から発生しており、中国はまた世界最大の外貨準備の半ばをドル建て証券で運用し、米国の経常収支赤字をファイナンスしている。また2万社を超える米国企業が中国に蓄積基盤を設けており、米中貿易の核心は米国系多国籍企業の企業内貿易とみることができる。総じて米中経済関係の緊密度はきわめて高い。もちろん、経済摩擦、人民元の切り上げ問題、中国のドル離れの姿勢など、対立的要素も存在するが、協調面を凌駕するほどの決定的意味はもたない。

軍事面ではどうか。2006年に開始された米中戦略経済対話は2009年から閣僚級の大規模な会合へと格上げされ、これを基盤として米中間の軍事交流が実績を積み重ねている。中国は米国に対して2012年ころから「新型大国関係」を提起しており、そこでは競うことはあっても決定的衝突は回避し、双方の共同の利益を追求することを基本としている。米国もまた、中国の意図に懸念をもちながらも、協力的な関係構築に利益を認めており、敵対的関係に入ることを想定していない。こうしてみると、米中両国の覇権国としての能力と意志、また両国ともに対立より協調を優先させる戦略をとっていることから、G2シナリオが最も可能性があると考えてよいのではないか。

 

◆グローバル資本主義下の米中複合覇権

 対立の要素をはらみつつも協調を基本とするG2関係については、「チャイメリカ」といった造語が出回っている。ここでは「米中複合覇権」と規定しておこう。これを成立させているのは、グローバル資本主義の現段階にほかならない。覇権構造を問題とする場合、どうしても国家を単位とする発想に縛られてしまうが、現代世界を総体として把握するためには、それとは異なる視点、グローバル資本主義の観点から問題に迫っていくことが必要となる。

 グローバル資本主義は1989~91年の冷戦終結、1995年のWTO設立をもって新たな段階に入った。世界のGDP総額は1990年から2013年にかけて23兆ドルから75兆ドルへ3.3倍に増加、世界の輸出総額は3.5兆ドルから18.8兆ドルへ5.4倍に増加、そして世界の通貨(外国為替)取引量は148兆ドルから1666兆ドルへと11倍に増加したと推計される。各種指標をみると、実体経済から乖離した金融経済の爆発的増加をうかがうことができる。

 グローバル資本主義の中心的担い手は、世界的規模での資本蓄積を追求する巨大多国籍企業である。多国籍企業は、国家を超えてグローバルな事業展開をするが、国家から遊離したわけでなく、むしろ国家を徹底的に利用する。進化した多国籍企業は、国家間対立による世界市場の分断を回避し、国家間の協調に基づく世界市場の統合を選好する。

 米国が巨大多国籍企業の最大の母国であることは当然として、これに続く巨大多国籍企業産出国は日本から中国に移動しつつある。世界のトップ10社ランキングには中国が3社を送り込み、1社の日本を抜き去った。世界500社ランキングをみても、中国73社、日本68社となり、中国は急速にランキング上位企業を増やしている。米中両国は、グローバル資本主義システムを安定的に運営していくうえで共通の利害をもつに至ったと考えられる。

むろん、TPPとFTAAPとの対立のように、市場統合の進め方をめぐる主導権争いは起こりうるが、決定的対立を引き起こす類の話ではない。また経済の論理とは別個に、軍部の論理が強く押し出される場面もないわけではないが、軍事は究極的には経済の論理に従わざるをえない。

WTO体制のもと、原油・金属・穀物等の商品市場、為替・債券・株式・デリバティブ等の金融市場が幾重にも張りめぐらされたグローバルな市場構造のなかで、市場統合圧力はかつてなく高まっている。金融優位のグローバル資本主義の現段階において、とりわけその傾向が強いといえるだろう。

このように考えてくると、21世紀の世界の覇権構造は、米中2強の対立をはらむ協調、すなわち複合覇権構造が最もありうる形ではないだろうか。そうであるならば、米中の狭間にあって、過剰な対米従属、対中対決のスタンスをとってきた現代日本国家は、今後いかなる地政学的戦略をとるべきなのだろうか。

 

【参考文献】

イアン・ブレマー『「Gゼロ」後の世界』日本経済新聞出版社、2012年

矢吹晋『チャイメリカ』花伝社、2012年

大森拓磨『米中経済と世界変動』岩波書店、2014年

ベイツ・ギル『巨龍・中国の新外交戦略』柏書房、2014年

経常収支黒字縮小に経産省の焦り

経常収支黒字縮小に経産省の焦り

                       POLITICAL ECONOMY 33号

                       2015年8月9日

 7月3日、経済産業省は2015年版『通商白書』を発表した。この白書は1947年から刊行されており、今回が67回目になるが、毎年の世界経済や日本の対外経済関係を概観するとともに、その時点での日本の対外経済政策の課題を書き込んでいる。今年の白書では、「「日本を活かして世界で稼ぐ」力の向上のために」と題した第Ⅱ部に、経産省の問題意識が表明されている。

 

  • 日本の「稼ぐ力」は落ちている

「世界で稼ぐ力」とは何か。その内容は、「輸出する力」、「呼び込む力」、「外で稼ぐ力」の三つからなる。「輸出する力」とは文字通り輸出を増やして外貨を稼ぐ力のことで、円安にもかかわらず輸出があまり伸びないのはなぜか、その要因を分析している。要因として、海外需要の低迷、企業が輸出価格を下げないことによる輸出数量の伸び悩み、国内生産から海外生産のシフトなどをあげる。特に問題点として、世界的に需要が伸びている品目に対して日本の輸出が対応できておらず、中国、米国、ドイツ、さらにはイギリス、韓国などにも遅れをとっている点が指摘される。対策として、ドイツのIndustrie 4.0、米国のI o T (Internet of Things) のような先進的なビジネスモデルへの取り組みが必要という。

 「呼び込む力」は、観光客とグローバル企業の受け入れを増やす力のことだ。観光客の呼び込みについては、確かにここ1~2年の訪日外国人数とその消費は過去最高を更新しており、白書では、受け入れ環境整備、日本の魅力(食、自然、文化)への認識の深まり、販売商品への信頼性などを要因にあげているが、円安効果、中国・台湾・韓国等の近隣地域の所得水準上昇も大きいだろう。これに対してグローバル企業の呼び込みは、なかなか実績があがっていない。対策として、イスラエル、スイス、台湾のような規模は小さくともイノベーション力のある国・地域に学ぶべきという。

 「外で稼ぐ力」とは海外に進出した企業の利益率を上げることであり、配当の全般的増加、中国進出企業の配当性向の高水準などを評価する一方、他国のグローバル企業と比較すると日系企業の力は劣っていると指摘する。2006年度から2013年度までの主要なグローバル企業の業績を比較すると、売上高成長率・営業利益成長率はアジア系、米系、欧州系、日系の順、売上高営業利益率(2013年度)は米系、欧州系、アジア系、日系の順となり、日系企業の弱さが示された。弱さの原因として白書は、日系企業の多角化戦略が成長性、収益性を下げているとして、グローバル経営力の強化を課題にあげている。

 

  • 経常収支赤字転落に危機感

以上のような三つの領域を合わせて経産省がことさら「世界で稼ぐ力」を強調するのは、日本の経常収支の黒字幅が急速に縮小し、近い将来赤字に転落するのではないか、という焦りがあるからだろう。実際、かつて大幅な経常収支黒字によって「黒字国責任」を追及された時代とは様変わりして、ここ数年の黒字幅減少は急激なものがある。すなわち、2010年の19.4兆円が2014年にはわずか2.6兆円へと激減した。2015年は若干持ち直すと予想されるが、長期減少傾向は否めない。その主因は2011年以降の貿易赤字の拡大であり、2014年には10.4兆円の赤字を計上した。これをカバーするのが海外投資収益の還流による第一次所得収支の黒字であり、2014年は18.1兆円を記録した。サービス収支は訪日外国人が増えたといっても全体として赤字項目であって、総合的にみれば経常収支黒字をいつまで維持できるか、経産省の懸念は今後も解消しないのではないだろうか。

 

付加価値貿易統計の出現

付加価値貿易統計の出現

                         経済分析研究会メルマガ7号

                         2013年7月3日

                           

 2013年1月、OECDはWTOとの連携事業として、世界貿易を付加価値ベースで集計した新たな統計シリーズを発表した。その後の追加リリースを含めて、現時点では世界の主要57ヵ国(及びEU、ASEAN等)の付加価値貿易(物品・サービス)について、1995年、2000年、2005年、2008年、2009年における総額と18産業部門のデータが公開されている。従来の各国別輸出入統計は通関統計が基礎になって作成されているが、付加価値貿易統計は国際産業連関表をもとにしてかなり複雑な推計を行って算出したものと思われる。

 付加価値貿易統計は、これまでの貿易統計が提供するイメージとは異なった、より実質的な国際経済関係を示すことになる。たとえば、日本が中国に700ドルの液晶パネル(中間財)を輸出し、中国がこれを使って1000ドルのテレビ(最終製品)を製造して米国に輸出した場合、従来型の貿易統計では、日本から中国への輸出700ドル、中国から米国への輸出1000ドル、合計1700ドルの輸出が記録される。ところが付加価値貿易統計では、日本で創出された付加価値700ドルが、中国経由で米国に輸出され、中国は付加価値300ドルを米国に輸出し、合計1000ドルが計上されることになる。つまり、最終財の価額を付加価値ベースで創出国に分割し、そこから輸出された形に組み替えるわけである。

 

  • 貿易実態に近づける試み

 

今日のように工程間国際分業が複雑化し、サプライチェーンが国境を越えて肥大化した時代にあっては、中間財貿易額が何回も計上され、貿易額が過剰に記録されてしまう。重複計算を取り除き、より実態に近づけようとする試みとして、今回の新統計は大きな意義があると考えられる。これを用いた本格的な分析は今後の課題であるが、すでに新聞報道などで興味深い事実がいくつか指摘されている。たとえば、従来の貿易統計では日本の輸出先第1位は中国であるが、付加価値ベースでは米国が最大となる。また貿易収支では、米国、欧州に対する黒字幅が拡大し、逆にアジアに対する黒字幅は縮小する。日本が国内で消費する製品・サービスの付加価値のうち88%が国内で創出されており、この比率はOECD34ヵ国中の第1位という。

OECD事務次長の玉木林太郎氏(前財務省財務官)は、6月26日付「日本経済新聞」の「経済教室」に解説記事を寄稿し、日本貿易の新たな姿として3点指摘している。第一は、2国間貿易関係における従来型イメージとのズレである。すなわち、日本の輸出はアジア向けが米欧向けを上回る傾向があるが、付加価値ベースでは米欧向けが中心となる。第二に、日本の輸出に占める国外付加価値の比率はかなり低い。資源保有国はこの比率が低く、中間財を輸入する加工貿易型の国は高くなる傾向があるが、日本の場合は国内のサプライチェーンが発達しているといえる。第三に、サービス部門の付加価値創出への貢献が相当に大きく、特に製品開発、デザイン、マーケティングの役割が重要とする。

付加価値ベースでの個別的な分析もすでに行われている。たとえば、米国は2009年にアップル社のi Phoneを中国から19億ドル輸入したが、付加価値ベースでは中国はわずか7300万ドルで、日本6億8500万ドル、ドイツ3億4100万ドル、韓国2億5900万ドルといった構成になるという。付加価値ベースの情報は、国際経済における各国の地位の見直しに通じる。また、さらに進んで企業ベースで付加価値貿易情報が集積されていくならば、将来的には公正な(課税回避を防止する)国際課税システムの構築に可能性を開くものといえよう。(2013年6月、経済分析研究会メルマガ)

経常収支黒字の要因は何か

経常収支黒字の要因は何か

(『POLITICAL ECONOMY』99号、2017年9月)

 2017年1~6月の国際収支統計速報によれば、日本の経常収支黒字は10兆円を超え、年間では20兆円を上回る勢いである。過去を振り返ってみると、リーマンショック直前の2006、2007年に経常黒字が20兆円を超えたことがあったが、2008年以降は減少傾向をたどり、2014年には4兆円弱まで落ち込んだ。このままでは経常赤字に陥るかと予想されたが、2015年から急回復をして、2016年に20兆円を突破し、2017年はさらに伸びると推測される。

  経常収支変動の第一の要因は、これまでは貿易収支の動向であった。2007年の貿易黒字は14兆円に達し、経常黒字に大きな影響を与えていた。しかし、2008年以降、貿易黒字は減少を続け、2012~2015年は赤字を記録している。2016年以降は、原油価格の下落によって黒字に回復したものの黒字幅は大きくなく、もはや経常黒字の最大の規定要因ではない。また外国人観光客の急増によって旅行収支が黒字幅を伸ばしているが、これも経常収支を左右するほどの大きさではない。

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