グローバル・ガバナンスは虚妄か ――ダニ・ロドリック『グローバリゼーション・パラドクス』を読む――

グローバル・ガバナンスは虚妄か

――ダニ・ロドリック『グローバリゼーション・パラドクス』を読む――

               『季刊ピープルズ・プラン』第79号、2018年2月          

 

  • はじめに

 トランプ政権の「アメリカ・ファースト」、イギリスのEU離脱、ヨーロッパにおける極右政党の台頭、こうしたグローバリゼーションに対する反発は、国民国家体制への回帰を意味するのか。グローバリゼーションは失速したのか。

 たしかに世界政治の次元では1国主義の潮流が目立つが、世界経済の次元では国境を越えたモノ、カネ、ヒト、情報の流れはさらに加速している。グローバリゼーションにおけるこのような政治と経済のギャップをいかに捉え、どのような克服の展望を見出していくべきであろうか。

 ダニ・ロドリック『グローバリゼーション・パラドクス』(柴山桂太・大川良文訳、白水社、2014年)は、この問いを考えるうえで格好の文献である。タイトルが示す意味について、訳者は、国境を越える経済と国家単位にとどまる政治(統治)との乖離を表していると解している。また本書の副題は「世界経済の未来を決める三つの道」であり、三つの選択肢が提示されている。

 著者のロドリックは、トルコ出身のアメリカで活躍する国際経済学・政治経済学を専門とする研究者である。本書の原著は2011年の刊行であり、訳者によればすでに12ヵ国語に翻訳されているという。本書に先行して、『グローバリゼーションは行き過ぎか?』(1997年)、『一つの経済学、複数の処方箋――グローバリゼーション、制度、経済成長』(2007年)などの著作があるが、いずれも邦訳されていない。なお、訳者の一人、柴山桂太氏は、政治経済思想を専門とし、『グローバル恐慌の真相』(中野剛志との共著、集英社新書、2011年)、『静かなる大恐慌』(集英社新書、2012年)などの著書がある。

 本書は全12章(および序章、終章)の構成であり、グローバリゼーションの歴史をひも解く1~4章、現状の問題点を考察する5~8章、解決策を提起する9~12章に三分される。以下、順を追って注目すべき論点を抽出し、後半では本書の問題点について検討を加えることとしたい。

 

  • 貿易からたどるグローバリゼーションの歴史―序章~第4章

 「序章 グローバリゼーションの物語を練り直す」では、リーマンショックを経て、現状のグローバリゼーション(国家に対する市場の優越)への懐疑が広がるなかで、市場と政府の関係の再考が必要であるとして、世界経済の政治的トリレンマを提起する。すなわち、民主主義、国家主権、グローバリゼーションの3者の同時実現は不可能というトリレンマであり、民主主義と国家主権を優先させ、グローバリゼーションを抑制すべきとする本書の結論をあらかじめ提示する。

 「第1章 市場と国家について――歴史からみたグローバリゼーション」では、17~18世紀の重商主義思想とアダム・スミスの自由主義思想を対比させ、国家と市場を二項対立的にみる通説的見解を示したうえで、そうではなく市場は国家によって支えられており、両者は補完的関係にあると主張する。それをふまえて国内市場と国際市場を対比し、国内市場は法体系、裁判所、警察、社会保障、税制など国家の諸機能を不可欠としているが、国際市場(グローバル市場)にはそうした制度的土台がなく、しかも国内ルールがむしろグローバルな取引を妨げていると論じる。国家と市場は国内的には補完しあい、国際的には乖離するというグローバリゼーションの本質的問題点を初発の段階で指摘しているわけである。

 「第2章 第一次グローバリゼーションの興隆と衰退」は、19世紀から20世紀前半を対象とする。19世紀には世界貿易の拡大、大陸間の人の移動など、グローバル化の水準が上がった。その背景として、交通通信革命、自由主義経済思想、国際金本位制をあげるとともに、帝国主義体制が帝国圏内における国家と市場の乖離を埋めたとする注目すべき論点を提起する。しかし、帝国主義体制は国家間対立を激化させ、第一次大戦、それに続く大恐慌によって第一次グローバリゼーションは終焉を迎えた。1930年代の特徴として、金本位制よりも失業対策、自由貿易よりも保護主義を求める政治的圧力がかつてなく高まった点をあげている。

 「第3章 なぜ自由貿易論は理解されないのか?」は、前章までの歴史的記述と異なり、自由貿易は保護主義よりも望ましいという通説を再考する理論的考察を行う。ここでは、リカードの比較優位の原理は広く支持されているとはいえ、貿易によって縮小する部門の損失など、マイナス面も大きいとみている。総じて、アメリカ経済学界で主流である自由貿易擁護論を批判し、利害得失のバランスのとれた把握が必要であると説いている。

 「第4章 ブレトンウッズ体制、GATT、そしてWTO――政治の世界における貿易問題」は、第二次大戦後に成立したブレトンウッズ体制の特徴を検討し、「グローバリゼーションの黄金時代」と高い評価を与えている。その理由として、第一に、国際経済ルールより国内経済政策を優先させる「節度のあるグローバリゼーション」であったこと、

第二に、多国間主義に基づき国際経済機関(IMF、世界銀行)が国際経済の制度的インフラとなったこと、第三に、GATTが貿易自由化をゆるやかに推進したため、国内経済政策の自由度を高めたこと、第四に、資本移動の自由化には慎重であったこと、などを指摘している。1990年代に入り、WTOが設立されると、金融のグローバル化とともに、ハイパーグローバリゼーションへの転換が生じる。ロドリックはこうした動きに対して批判的であって、その問題点を次の第5~8章で扱うことになる。

 

  • 金融のグローバル化と格差の拡大―第5章~第8章

 第4章までは、貿易のグローバル化を軸にして、ブレトンウッズ体制の展開までをたどってきた。それを受けて、「第5章 金融のグローバリゼーションという愚行」では、

資金の効率的運用を通じて経済成長を図るとする金融グローバル化がいかに問題の多い政策であるかを、ブレトンウッズ体制と対比しつつ論じる。金融の規制緩和はアメリカ、イギリスが主唱し、フランスがこれに合流することによって国際ルールの基調へと転じた。EU、OECD、IMFなどの政策転換が1990年代を通じて進展した。国際金融市場を特徴づけていた固定相場制と資本移動規制がなくなったため、不安定な事態が生じた。一つは、変動相場制の想定外の作用であり、実体経済との対応関係から離れて、為替相場は1日単位で激しく変動し、またレートの過大評価や過小評価が長期にわたって続くことになった。もう一つはアジア通貨危機をはじめとする通貨金融危機の連続的発生である。このようにロドリックは、資本移動の自由化に対して否定的評価を下している。

 「第6章 金融の森のハリネズミと狐」では、市場原理主義を信奉するハリネズミ派とそれに慎重な狐派に経済学者を二分し、前者の思考がいかに非現実的かを浮き彫りにする。ハリネズミ派は市場メカニズムを限りなく信頼し、通貨危機が起これば、それは市場のせいではなく前提条件の不備のためとする。この思考についてロドリックは、「自己奉仕バイアス [成功は自分の手柄、失敗は状況要因のせいとする態度] 」と表現し、ハリネズミ派の自信過剰な態度を批判している。これに対して狐派は、市場は不完全であり、現実は複雑とみる立場であって、その代表的人物としてケインズ、トービン、スティグリッツなどの名前をあげている。

「第7章 豊かな世界の貧しい国々」は、グローバリゼーションとともに国家間の経済格差が著しく拡大した事実を見すえ、そうした格差が何を起源にしてどのように進行したかを考察する。格差の起点は産業革命への対応であり、工業化を可能にした諸国は教育を受けた熟練労働者と市場を支える法・政治制度を備え、その条件を欠く地域は植民地化され、世界は工業国と一次産品国とに分岐していったとする。この理解は目新しいものではないが、注目されるのは例外としての日本の指摘であり、その延長上に近年の東アジアの「奇跡」、中国の経済成長を位置づけている点である。そこでは国家の役割が重視され、現代中国は、グローバリゼーションのもたらす利益を、ブレトンウッズ体制当時の国家の介入という旧ルールを通じて獲得しているとする「逆説」を述べている。

「第8章 熱帯地域の貿易原理主義」は、開発経済学の変遷をたどりながら、途上国に規制緩和、自由化、民営化を押し付ける「ワシントン・コンセンサス」をめぐる問題状況を明らかにする。1960年代までの開発経済学では、保護主義、輸入代替工業化といった国家の市場への介入が基調であった。それが80年代以降、劇的に転換し、市場原理を優先させる自由貿易論が主流となった。しかし、脆弱な国内基盤を無視した単純な自由貿易政策は失敗し、「ワシントン・コンセンサス」は修正を迫られた。ただし、失敗の原因は規制緩和、制度改革が不十分であったことに求められた。ロドリックは、このような短期的には実現不可能な条件をあげるだけの開発政策論を批判し、過剰なグローバル化に歯止めをかけたうえで、一律で総花的な政策でなく、それぞれの国の最も厳しい制約を見極め、その解決に優先的に取り組む選択的アプローチを提案している。

 

  • 世界経済の政治的トリレンマと健全なグローバル化への道―第9章~終章

 ここからが本書の真価が問われる部分である。「第9章 世界経済の政治的トリレンマ」は、深化したグローバリゼーション(ハイパーグローバリゼーション)が1国の社会制度、民主主義と衝突する事態を取り上げる。事例として、労働基準の低下(底辺に向かっての競争)、法人税引下げ競争、健康・安全基準の低下、自由貿易協定における外国投資家保護、新興国産業政策への制約などがあげられる。こうしたハイパーグローバリゼーションによる国民国家と民主主義への挑戦に対して、3要素の同時成立はありえず、いずれかの2者をとって他をあきらめるという3択問題が提示される。すなわち、①ハイパーグローバリゼーションと国民国家を選び、民主主義をあきらめる、②ハイパーグローバリゼーションと民主主義を選択し、国民国家を捨てる、③国民国家と民主主義をとり、ハイパーグローバリゼーションを排除する、という3択である。ロドリックは、①が現状に近いとみて、②が望ましくみえるがそれには懐疑的であり、結局③を選ぶべきだと主張している。

 「第10章 グローバル・ガバナンスは実現できるのか? 望ましいのか?」では、前章の選択肢②の可否について論じている。グローバル化の進展とともに、国民国家の役割が低下し、代りに超国家機関によるグローバル・ガバナンスが登場するという議論があるが、ロドリックはこれには否定的である。超国家機関の事例としてEUがあるが、政治統合には困難があり、またある程度の進展があるとしても、それは共通の文化的基盤をもつヨーロッパの特殊事情によるものであって普遍性がないという。グローバル・ガバナンスの難点として、エリート官僚と民衆の乖離(説明責任、代議制の欠如)、人々のアイデンティティに関してグローバルな政治共同体は国民国家に遠く及ばない点、世界は多様であってグローバル・スタンダードが適用されるのはごく限られた範囲にとどまる点などがあげられる。

 「第11章 資本主義3.0をデザインする」では、グローバリゼーションの深化に対応した資本主義の新しいバージョンについて考察する。資本主義1.0は古典的自由主義経済の段階であり、政府の役割は限定的に捉えられていた。資本主義2.0は20世紀の福祉国家、「混合経済」の段階であり、国家の市場に対する関与は強まり、国際経済における自由化は制限されていた。20世紀末からの資本主義3.0はグローバリゼーションの深化した段階であり、新たなガバナンスが必要とされるが、それは超国家機関によるグローバル・ガバナンスでなく、ナショナル・ガバナンスを基本とする国際協調であるべきだというのがロドリックの主張である。その内容として市場の統治システムへの埋め込み、各国制度の独自性の尊重など7点の指針を示すとともに、気候変動などのグローバル・コモンズの領域はグローバル経済とは別のガバナンスを要するという注目すべき指摘を行う。

 「第12章 健全なグローバリゼーション」は本書の結論に相当する。ロドリックの立場は、グローバリゼーション自体を止めるのでなく、その利点を生かしつつ、適切に管理・制御するというものだ。具体的方法が四つの分野で示される。第一に国際貿易の分野では、これ以上の自由化による利益はわずかなものなので意味がないとして、国内の公共利益(民主的熟議を経て判断される)を優先させる新たな(単なる保護主義とは異なる)社会的セーフガード協定の導入を提案する。第二にグローバル金融の分野では、各国独自の金融規制や基準の重視を前提にして、国境を越えた金融規制(タックスヘイブン規制、金融取引税など)を考慮すべきという。第三に労働移動の分野では、グローバルな所得移転のために外国人労働者受入れを促進すべきとして、先進国の全労働力の3%以内で5年上限の一時的労働ビザ発給というきわめて具体的な案を打ち出している。第四に中国を世界経済に適合させる分野では、厳格な国際ルールを押し付けるのでなく、中国独自の成長政策(産業政策)の権利の承認と引き換えに、貿易不均衡を是正させるという和解策を提唱する。全体として、単一のルールをもつハイパーグローバリゼーションを必然とみる必要はなく、多様な国家群が健全なルールのもとに相互交流する世界経済は可能だというのが著者の結論である。

 「終章 大人たちへのお休み前のおとぎ話」は、著者の主張をわかりやすく記した寓話となっている。

         

  • 世界経済の政治的トリレンマをどう理解するか

 行き過ぎたグローバリゼーションの制御という結論部分、各章に散りばめられた論点は示唆に富み、共感できる部分は多い。しかし、そのうえで本書を読んで感じる問題点を二つほどあげてみたい。第一は、本書の看板である「世界経済の政治的トリレンマ」の妥当性である。まず気になるのは、用語の不統一である。234頁の図に示されている3要素を、便宜的にハイパーグローバリゼーション=G、国民国家=S、民主政治=Dとしよう。これらに相当する本文中の用語として、Gではグローバリゼーション、グローバル市場、グローバル経済、経済統合、Sでは国家主権、国民的自己決定、Dでは民主主義なども使われる(17頁、233~234頁)。これらは用語だけでなく、カテゴリーとしても不統一である。アクターなのか、行為なのか、制度なのか、あるいは追求すべき価値なのか、わかりにくい。特にグローバリゼーションは経済統合の状態を指すのであって、政治的概念としては超国家機関(あるいはグローバル・ガバナンス)とすべきではないか。

 ただし、この問題はそれほど重要ではない。より重要なのは、トリレンマは現実を説明する論理たりえているかという点である。おそらく究極の姿としては、GとSは両立しないであろうが、そのような世界を想像してもほとんど意味はない。現実には、G、S、Dの3要素が併存し、そのウエイトが変化しつつあるとみるべきではないか。すなわち、これまではSとDのウエイトが大きく、Gは小さかった。ところが、グローバル化の進展とともに、Gの存在が大きくなり、Sはそれに引きずられ、その分だけDのウエイトが下がったと考えればどうだろうか。TPPなどはその一例と言えよう。そうであるとすれば、Dの役割を強め、Sを引き付けて、Gを抑制するという形で、ロドリックの主張を位置づけることができる。トリレンマの固定化、そこから導かれる3択問題の設定は、明快な反面、現実的と言えないのではないか。

 

  • グローバル・ガバナンスは不可能か

 第二の疑問点は、ロドリックのグローバル・ガバナンスに対する否定的理解についてである。第9章の3択問題で、彼が②を選択せず、③を採用しているのは、グローバル・ガバナンスが実現不可能なだけでなく、望ましくないと判断しているためである。実現可能性に関しては、たとえば、「グローバル・ガバナンスは、これまで考えてきた課題の解決に、ほとんど役立たない」(263頁)、「グローバル・ガバナンスの探求は無駄骨に終わる」(273頁)、「グローバル・ガバナンスの探求が現実のガバナンスに行き着くことはほとんどない」(274頁)といったネガティブな記述が繰り返される。しかし、これはグローバル・ガバナンスと国民国家を二者択一的に設定しているためであり、両者の併存を考慮しない硬直した理解ではないだろうか。

 望ましくない理由については、第10章で、民主主義・説明責任の欠如、グローバル共同体に対する人々のアイデンティティの弱さ、グローバル・スタンダードより各国の独自性を尊重すべきだといった点があげられている。しかしこれもグローバル・ガバナンスを高いレベルの制度として狭く解釈しているためではないだろうか。「民主主義の範囲が国境を越えて拡がることはほとんどない」(280~81頁)と述べているが、国際機関の民主主義的運営に関しては、様々な可能性があるのではないか。ついでに言えば、各国の独自性の尊重が強調され、グローバル・スタンダードが消極的に捉えられていることには違和感がある。たとえば、国際労働基準の説明のなかでインドの児童労働が必ずしも否定さるべきでないといった記述があるが、このような普遍性と独自性の折り合いの付け方には疑問を感じる。

 グローバル・ガバナンスと地球環境問題との関係づけにも疑問がある。第11章では気候変動問題を取り上げ、これは個別国家を超えたグローバル・コモンズの問題であるから、グローバルな協力が必要と述べている。そうであれば、地球環境問題にはグローバル・ガバナンスが必要となるはずだが、ロドリックの主眼はグローバル経済問題に向けられ、グローバル・コモンズとグローバル・ガバナンスの関係には立ち入ろうとしない。グローバル経済とグローバル・コモンズは別物と断定してしまうのである。なぜ、両者を区別するのか。国境を越える問題としての共通性に着目し、その解決のための取組としてグローバル・ガバナンスを広く位置づけてもよいのではないか。

 そう考えてくると、本書のなかには広義のグローバル・ガバナンスの事例はいくつも盛り込まれている。金融取引税、タックスヘイブン規制などがその代表例である。民主政治を基本としつつ、国民国家とグローバル・ガバナンスが役割分担をしながら行き過ぎたグローバリゼーションを制御することが、目指すべき方向ではないだろうか。

展望なき日本財政

展望なき日本財政

                       Political Economy 107号

                       2018年1月13日

 

  • 場当たり主義の増税策

 2018年度の税制改正大綱、予算原案が出揃った。今回目立つのは、久しぶりの増税方針である。しかし、その中身は取れるところから取るという場当たり主義であり、将来的な基幹税(所得税、法人税、消費税)のあり方、社会保障制度と税の関係などを見通したものではない。一般会計のプライマリーバランスの目標再設定も先送りしている。

 主な増税項目は、所得税の見直し900億円、たばこ税2400億円、国際観光旅客税400億円、森林環境税600億円などであり、国際観光旅客税と森林環境税は国税としては実に27年ぶりの新税だという。ただし、森林環境税は地方税ではすでに各地で導入されており、その実施は2024年度とずいぶん先の話だ。これに対して国際観光旅客税は2019年1月7日、会計年度の途中の中途半端な日から導入される。

国際観光旅客税は、最初は出国税として登場し、途中から名称変更した。また導入時期は2019年4月の予定だったが、19年7月の参院選との近さを気にして3ヵ月前倒し、姑息にも正月休みを避ける意味で1月7日にしている。

もともと出国税は、外務省が国際貢献を目的とした航空券連帯税としてこれまで要求してきたものとほぼ同じ税である。航空券連帯税に対して国土交通省は、観光立国に反するとして強く反対してきた。ところが、税収が国土交通省管轄になると、手のひらを返すようにこの新税推進に動いた。ご都合主義もいいところだ。

 

  • 国債は一般会計だけではない

 2018年度予算案は一般会計総額が97.7兆円と過去最大となった。増税策も含めて、税収見積もりが1991年度以来の59兆円とされたことが、予算規模の拡大を可能にした。歳入では新規国債は33.7兆円、8年連続の減少となり、麻生財務相は「財政健全化は着実に進んでいる」と語った。本当にそうか。

 歳出面の国債費は23.3兆円となり、一般会計のうえで国債の収支は10.4兆円の残高増と計算される。しかし、国債全体の動きについては、特別会計の国債整理基金を含めてみていかなければならない。一般会計歳入の新規国債は政府の発行する国債の一部にすぎない。その他に、国債整理基金の歳入となる借換債が100兆円以上発行されている。また一般会計歳出の国債費は実際の償還・利払いではなく、国債整理基金への移転にすぎない。実際には国債整理基金が100兆円規模の償還・利払いを行っている。

 いま2016年度の国債発行全体の内訳をみると、新規国債34.4兆円、復興債2.2兆円、財投債16.5兆円、借換債109.1兆円、合計162.2兆円であった。借換債は2005年度以降、ほぼ毎年100兆円以上発行され、国債発行全体では2004年度以降、ほぼ毎年160兆円以上の規模が続いている。普通国債の発行残高は、2004年度の499兆円が2016年度には838兆円まで膨らんだ。

 

  • 金利上昇のリスク

 毎年の予算案では、一般会計が注目される一方、特別会計には注意が向かない。しかし、国債の発行、償還、利払いの全体像をみるには、両者を合体してみていく必要がある。一般会計に特別会計の国債関係の数字を合算してみると、予算規模は230兆円、国債発行は160兆円、歳入の国債依存度は70%近くに達することになる。あまりにも大きい数字ではないか。

100兆円を越える借換えが毎年順調に行われるならば、この依存度もさほど問題ではないのかもしれない。しかし、今後長期金利が上昇するとどうなるのか。仮に1%上昇すると、160兆円の発行は1.6兆円の利子負担をもたらすことになる。それが毎年継続すると利子負担は急速に膨らんでいくことになろう。

異次元の金融緩和を続けてきた日銀は、いずれ「出口」に向かい、金利上昇は避けられない。財政を破綻させずに「出口」から外に出られるのか、事態は楽観を許さないように思われる。

トランプ政権とグローバル覇権の展望

トランプ政権とグローバル覇権の展望

                                      (『季刊ピープルズプラン』77号、2017年8月)

 

トランプ政権が成立してから半年が経過した。予想どおりというべきか、政権基盤は不安定であり、当初掲げていた政策課題の多くを実現できていない。それどころか、特別検察官が設置され、弾劾の可能性が取り沙汰される、先の見えない状況が続いている。

 アメリカのグローバル覇権国からの後退は長期的に続くのだろうが、そのプロセスは一本道ではない。国際政治、軍事、国際経済、通貨金融などの諸領域において、アメリカの存在感は依然として大きい。覇権構造の転換という長期的文脈を探ることを念頭に置きつつ、トランプ政権のこれまでの道筋を中間的にとりまとめ、今後の展望を試みたい。

 

■トランプ政権は何を実現できたのか

 アメリカ第一を掲げ、メキシコ国境に壁建設、イスラーム圏からの入国規制、TPP離脱、NAFTA見直し、オバマケア撤廃、大規模減税と大型インフラ投資、製造業の復権、中国を為替操作国に認定など、派手な公約を繰り出したトランプ政権だが、そのほとんどは実現できていない。

 達成できた公約の第一はTPP離脱だ。これは発効以前、まだ動き出していない枠組みから抜けるだけであるから、大統領就任直後に大統領令を発するという簡単な手続きで実現できた。ただし、それに代る2国間通商交渉には着手できていない。

第二に、地球温暖化対策の「パリ協定」からの離脱がある。こちらは協定発効(2016年11月)から時間が経過しており、まず3月末に国内の石炭産業保護、火力発電所規制撤廃の大統領令に署名し、それに続いて6月初めにパリ協定離脱を表明した。離脱決断までに時間を要したのは、政権内に反対派が存在したからであり、また離脱表明後も一部の州や都市がパリ協定の独自実施を宣言するなど、反対論は根強い。アメリカの離脱によってTPPは消滅したが、パリ協定は存続する。いずれにせよ、両協定からの離脱は、アメリカが国際的枠組みのリード役を降りる象徴的事態といえる。

 次に、着手したものの実現には至っていない公約をみると、第一はイスラーム圏からの入国規制だ。1月の大統領令で中東・アフリカ7カ国国民の一時入国禁止を発令したが、司法判断により効力停止となり、3月にイラクを除く6カ国対象の新入国禁止令に切り替えたが、これも司法により効力が停止された。この件では6月に連邦最高裁が条件付で大統領令を認める判断を示した。これは最終結論までの暫定的判断というが、保守色のつよい最高裁としての妥協の産物とみることができる。

第二に、オバマケアの撤廃である。これもトランプ政権の目玉政策だが、議会対策が難航した。3月に代替法案を準備したものの、完全撤廃を要求する強硬派と制度の急変を避けたい穏健派の両者に挟撃され、採決を見送り、修正案が5月になって下院をわずかな票差で通過した。しかし、上院の通過は現時点で不透明である。これは弱者切捨ての性格を伴っている。

ほとんど着手できていない分野も多い。NAFTA見直しなどの通商交渉は、新設された国家通商会議(NTC、ナバロ議長)の廃止、通商代表部代表の議会承認の遅れなど、交渉体制がなかなか整わなかったことから、交渉の入口にとどまっている。メキシコ国境の壁建設は、議会が予算計上を認めず先送り、大規模減税と大型インフラ投資については、予算教書を示したものの、議会が決定権をもっているだけに実現の見通しは立っていない。ただし、富裕層優遇、貧困層切捨て(フードスタンプ削減など)という格差拡大姿勢は鮮明に打ち出している。

さらに、対外政策面では振幅の激しい展開が目に付く。たとえば、中国政策をみると、政権発足当初は、二つの中国論をちらつかせてみたり、為替操作国と認定する可能性を示唆してみたりなど、対決姿勢を打ち出していた。ところが、4月の米中首脳会談あたりから融和的姿勢への転換がうかがわれるようになった。これは、北朝鮮の核開発に対する経済制裁を中国にやらせようとする意図によるものと思われる。その後、中国の経済制裁の水準が思ったほど上がっていないとみて、6月の米中外交・安保対話を経て、中国の銀行への制裁、台湾への武器供与など、中国に対する姿勢を再度転換する兆候を示し、貿易不均衡問題を改めて持ち出そうとしている。

ロシアに対する姿勢も大きく揺れている。選挙戦中からプーチンを高く評価するなど、ロシアとの協調的関係を表明していたが、いわゆる「ロシアゲート」問題が広がるにつれて、ロシア接近策は消え去り、「米ロ関係は史上最低」といった発言すら飛び出すようになった。フリン大統領補佐官の更迭、FBI長官の解任、司法省による特別検察官設置など、権力の基盤を揺るがす国内事情のために、対外政策が振り回される事態といえよう。

 

■トランプ政権の性格をどうみるか

 混乱が続くようにみえるトランプ政権について、どのように評価すべきなのか。トランプという人物の特異性の次元にとどまらず、アメリカという超大国がグローバル覇権国家から後退していくプロセスに出現した特殊歴史的性格をもった政権としてみておく必要があろう。

 トランプ政権の性格を端的に表現すれば、統合能力の欠如といえる。政権発足当初から支持率は50%以下であり、歴代大統領のなかで最低を記録している。その後、支持率はさらに低下し、半年にして30%代へと下落した。貧富の格差の拡大、移民排斥といった社会的分断の深まりのなかで、巧妙に選挙戦を勝ち抜いたトランプ大統領だが、就任後に分断された社会を統合していく言動がみられない。富裕層減税の一方、オバマケア撤廃など貧困層切捨てを打ち出し、格差拡大を促進している。理念的にも、無内容な「アメリカ・ファースト」を繰り返すのみで、普遍性をもった言葉が一切語られていない。むしろ、マスメディアとの不毛な対立を続けて、ロシアゲートの泥沼に追い込まれている。議会共和党との関係もうまく築けていない。

 統合能力の欠如は、政権中枢の不統一にも現れている。一方に、極右のバノン大統領首席戦略官・上級顧問、反中国のナバロ国家通商会議議長、イスラーム敵視のフリン安全保障担当補佐官を配置し、他方に、経済界出身のティラーソン国務長官、ムニューチン財務長官、ロス商務長官らを任命した。こうした2系統のバランスのうえに政権が発足したが、バノン戦略官の国家安全保障会議(NSC)常任メンバーからの降板、ナバロ議長の通商製造政策局長への格下げ、フリン補佐官の更迭など、ナショナリスト系の後退が目立っている。

 それでは、アメリカ政財界の主流が政権を動かすようになったかといえば、そうともいえない。エクソンモービルCEO出身のティラーソン国務長官を別にすれば、ムニューチン財務長官、ロス商務長官、さらにはコーン国家経済会議(NEC)議長にしても、問題 資産を買い叩いて強引な手法で再生させるといった「ハゲタカ投資家」的取引で腕をふるってきたような面々である。その特徴は、一貫した信念に基づいて政策に取り組むのでなく、機会主義的に簡単に方針を変更する無定見なふるまいをすることだ。この点はトランプ大統領と共通しており、政策のぶれはほとんど問題として意識されないように思われる。

 

■グローバル覇権構造の変容

 このような変則的な政権が登場した背景について、やや長期的文脈でみておくとすれば、経済グローバル化の先頭を走っていたアメリカが、そのマイナスの側面に耐えられない時代に入ったということであろう。

 リーマンショックからの回復過程を通じて、グローバル資本がさらに成長する一方、ウォール街占拠、1%対99%などの言葉に象徴されるように、格差の拡大は深刻さの度合を増した。民主党ではサンダース、共和党ではトランプといった非主流の人物が大統領選で活躍する点に時代の大きな変化が現れている。そうした社会の変化を受けて打ち出される「アメリカ第一」といった保護主義的言説は、アメリカが覇権国家を降りる意思の表明といえる。

しかし、他国に抜きん出た核戦力、基軸通貨ドルの存在、IT・金融資本の隆盛など、覇権国家の能力はなお維持されている。その一方、財政赤字、経常収支赤字は拡大を続けており、ドルの価値下落、ドル離れは長期的には不可避であろう。今後、長い時間をかけながら覇権国家の能力が分野ごとに徐々に低下し、それに対応してナショナリスト的言説が幅をきかすことになるのだろう。

それでは、アメリカが覇権国家から降りるとして、中国がそれに代ることはあるのか。

ダボス会議での習近平の自由貿易擁護発言、パリ協定をEUとともにリードする姿勢は、次の覇権国の地位をうかがっているようにもみえる。しかし、「一帯一路政策」に示される中国の国際戦略は、自国の利益と緊密に結びついた地域覇権獲得の動きであって、普遍的理念を掲げてグローバル覇権を担うだけの意思は見出されない。新中華帝国というナショナリスティックな地域覇権国家を目指しているのが現実であろう。その先には、十全な覇権国家の意思と能力を欠いた米中の相互補完的複合覇権といった構図も一時的には現れるかもしれないが、それはきわめて不安定なものと思われる。

覇権構造が不透明になるとして、2016年を画期とするグローバリズムからナショナリズムへの転換傾向―イギリスのEU離脱、アメリカのトランプ政権登場、ヨーロッパ各国のナショナリストの台頭―は、今後も続くのだろうか。この間の動きが、新自由主義型グローバリゼーションの行詰りを現していることは間違いないが、単純に1国主義に回帰することにはなるまい。アメリカのなかにも、イギリスのなかにも、グローバル化を志向する勢力は強固に存在する。国境を越えて運動するグローバル資本が、国民国家の枠内に戻ってくることは考えられない。グローバル化の方向は不可逆的であって、問われるべきは、グローバル化の負の側面を克服していくビジョンと方法である。

 

■グローバリゼーションのパラドクスをいかに克服するか

トルコ出身のアメリカで活躍する国際経済学者ダニ・ロドリックは、国民国家の民主主義原理がグローバル資本主義によって危機に瀕している状況を捉えて、「世界経済の政治的トリレンマ」仮説を提起している(ダニ・ロドリック『グローバリゼーション・パラドクス』白水社、2014年)。すなわち、ハイパーグローバリゼーション、民主主義、国家主権の3者を同時に満たすことはできないとして、考えられる三つの組合せを提示する。A.国家主権と民主主義(グローバリゼーションの否定、国民国家システム)、B.グローバリゼーションと国家主権(民主主義の否定、新自由主義)、C.グローバリゼーションと民主主義(国家主権の否定、世界政府システム)の3択問題である。

ロドリックは、民主主義に価値を置く観点から、現状のBは望ましくない、Cが理想のようにみえるが実現不可能、かつ原理的に疑問があるとして、Aを選択している。しかし、歴史的にはグローバリゼーションはAからBへと進行しており、いまさらAに戻ることはありえず、Cの道を模索するしかないのではないだろうか。国民国家システムから世界政府システムに一足飛びに移行するわけではないが、様々な中間的なシステムの試み、たとえばEUのような地域的超国家システムを想定していくべきではないか。

なお、水野和夫氏は、最新作『閉じていく帝国と逆説の21世紀経済』(集英社新書、2017年)において、ロドリックの三つの道は、いずれも現代の「資本主義の終焉」という危機を乗り越える選択肢にはなりえないと主張している。その要点は、国民国家システムはグローバル資本主義を制御する枠としては狭すぎる、といって地球規模のシステムは広すぎるというサイズ論的アプローチであり、「地域帝国サイズ」が適切と結論づける。水野氏の議論は、「閉じた経済圏」(資本主義でない市場経済)、地域帝国と地方政府の二層システムなど、独特の世界観に基づく興味深い論点を提起しているが、あまりに先進資本主義国中心の見方であり、資本主義の根強い成長力を過小評価している点に疑問がある。ただし、国民国家システムを超えた地域帝国というカテゴリーは注目に値する。

ロドリックの仮説を活かしつつ、そのBからCへの超長期的移行過程をさらに分節化し、様々な領域における超国家機関の地域的あるいは世界的形成に着目していくなかで、

新自由主義型グローバリゼーションの規制・制御を実現していくべきではないか。ロドリック自身も「健全なグローバリゼーション」と表現している。すでに、グローバルな課題解決のためにグローバルな活動に課税するグローバル連帯税構想、国家の課税権の隙間をすり抜けるオフショア・タックスヘイブンシステムに対する各国共同の取り組み(OECDのBEPSプロジェクト)など、限界をもちつつも新たな仕組みづくりが進行している。アメリカの覇権国家からの退場にあたっては、次なる覇権国家システムをあれこれと予想するよりも、グローバル・ガバナンスを創出する契機と捉えていくべきではないだろうか。

政治のグローバル化こそが必要だ―トランプ政権の登場と2017年の世界を読む

政治のグローバル化こそが必要だ―トランプ政権の登場と2017年の世界を読む

                                      (『現代の理論』デジタル版11号、2017年2月)

◆はじめに

 全米・全世界数百万人の抗議デモに直撃されたトランプ政権の成立は、アメリカ1極型の世界覇権システムの変容を象徴している。折しも2017年はロシア革命100年、さらに遡れば「資本論」第1巻刊行150年にあたる。冷戦終結以後四半世紀が経過し、社会主義という対抗原理を失ったグローバル資本主義は、成長力を失い、社会を分断し、行詰りに陥っているように思われる。2017年はまた、金融セクターの肥大化に起因するアジア通貨危機から20年目、リーマンショックの端緒となったサブプライム危機から10年目にあたり、新たな金融危機が発生してもおかしくない時期を迎えている。

 2016年6月のイギリスEU離脱決定、それに続くトランプ大統領の誕生によって、新自由主義型グローバリゼーションを牽引してきた英米両国は従来の政策路線からの大転換に踏み切った。世界的に反グローバリズムと保護主義が時代の潮流になる兆候が現れている。元来、経済のグローバル化と政治の1国主義(ナショナリズム)との間には埋めがたいギャップが存在するものであり、その間の折り合いをつけながら各国は政権運営をしてきた。そのギャップが臨界点を超えたのが2016年だといえよう。

 しかし、グローバリゼーションから1国主義(ナショナリズム)への転換というように、事態を単純に捉えるわけにはいかない。イギリス国民投票も、アメリカ大統領選挙も、票差はわずかであった。アメリカの場合には、総得票数ではクリントンが上回ったほどだ。世界的にみて、グローバル化のベクトルとナショナル化のベクトルは、相互に錯綜して複雑に絡み合っているのが実態ではなかろうか。イギリスのメイ政権もアメリカのトランプ政権も内部に双方向のベクトルを抱え、矛盾した政策を展開することになるだろう。特にアメリカの場合、トランプという特異な人物の言動に影響されて、先の見えない不透明な政権運営が進行するように思われる。

 本稿のねらいはグローバル化とナショナル化という二つのベクトルに注目しつつ2017年の世界を見通すという大まかなものである。以下では、まずヨーロッパの動向に目を配り、そのうえでアメリカの動きをやや立ち入って検討し、その関連で米中関係、日米関係の見通しにふれていくこととしたい。

◆EUは動揺するのか

 イギリスのEU離脱の最大の要因は移民の大量流入であり、これがイギリス人労働者の失業、労働条件悪化をもたらした。しかしイギリスは、貿易や資本移動の面ではEU加盟の利益を得ていた。人の移動のナショナル化のベクトルが、商品・資本移動のグローバル化のベクトルを上回ったのが国民投票の結果であった。3月から開始される離脱交渉で、イギリスは離脱のメリットを確保しつつ、デメリットの極小化を追求するだろう。EU側がそれに安易に応じるとは到底考えられないが、離脱交渉の推移はEUの将来に大きな影響を与えるに違いない。果たしてEUは解体の方向に進むのか。

 2017年に予定されているヨーロッパの一連の選挙では、移民・「テロ」問題が焦点となるが、背景には、各国の国家主権を超えてEU(ブリュッセルのEU官僚)がものごとを決定していく現状に対する不満が存在する。1国権力とEU権力との二重権力状態をどのように整理し、どのように方向づけていくか、その点の合意形成が進まないなかで、EU側が打ち出してくる様々な政策、ルールに対する反発が広まっているのが実情だろう。また、ドイツが一人勝ちとなるような構造的問題点も不満の土壌となっている。

オランダでは3月に下院選挙、フランスでは4~5月に大統領選挙、6月に国民議会選挙、ドイツでは9月に連邦議会選挙が行われる。イタリアの総選挙も2017年に繰り上げ実施される可能性がある。これらの選挙で移民排斥を掲げる極右の反EU・反グローバリズム勢力がかなりの躍進を遂げることが予想される。特にフランスの大統領選挙では、国民戦線のルペン党首当選という可能性も捨てきれない。そうしたまさかの事態が起こらないとしても、ナショナル化とグローバル化のせめぎあいは続いていくと思われる。

 ただし、ここで注意すべきは、各国主権とEUとの間の対抗関係とは別に、EUとグローバル経済との間の対抗関係も存在することである。この点で、イギリスEU離脱におけるシティ(金融資本)の動向が注目される。2008年のリーマンショック以降、EUではマネーゲームを展開する金融資本を規制する政策が追求されていく。投機的な金融取引を抑制する金融取引税の推進、「合法的」租税回避を可能とするタックスヘイブンに対する規制策の立案(OECDのBEPSプロジェクト)など、過剰なグローバル化に歯止めをかける方向が打ち出されていく。実現が先延ばしされている金融取引税は、さしあたりユーロ圏の10カ国で導入される予定だが、導入された場合の影響はイギリスに及んでいく。また、イギリス王室属領のジャージー島、ガーンジー島といったシティ直結のタックスヘイブンも、規制の標的とされた。シティの金融資本のなかには、こうしたEUにおけるグローバル化を制御する政策をきらい、離脱を支持した潮流が存在したと考えられる。

 EUとの正式離脱交渉を前にして、イギリスのメイ首相は、EU単一市場から完全離脱したうえで新たに自由貿易協定を結ぶという「ハード・ブレグジット(強硬な離脱)」方針を表明した。その際、「真にグローバルなイギリス」を築くと宣言し、グローバリズムの方向性を強調している。イギリスは、アメリカのような製造業雇用確保のための保護主義を追求するのでなく、金融資本優先のグローバリズムを選択している点を見落としてはなるまい。

◆トランプ政権をどうみるか

 トランプは選挙戦の間だけでなく、当選決定以降も、メキシコ国境に壁を作る、その費用はメキシコに払わせるなどといった常識はずれの過激な発言を繰り返している。ツイッターを使って敵を攻撃する手法も続いている。果たして、トランプの極端な発言はそのまま実行に移されるのか、あるいは様々な政治力学が作用し、それなりに妥当なところに落ち着くのか。当面は先の見通せない不安定な政権運営が続くのだろう。はっきりしているのは、「アメリカ第一主義」の立場だけであり、論理より感情に訴えるレトリック、外交における理念なき取引(ディール)の手法が多用されよう。

 トランプ政権が実際にいかなる政策を執行していくのか、全体像の予測は現時点では困難だが、主要な人事が固まったことで政権の特徴は明らかになってきた。キーワードをあげれば、ウォール街、軍人、反オバマである。

 第一の特徴はウォール街との親和性であるが、選挙戦でトランプは、クリントンとウォール街との結びつきを批判し、白人労働者層の支持を獲得してきた。しかし、主要な経済関係閣僚はウォール街に縁のある人々が占めることになった。財務長官となるスティーブン・ムニューチンは投資会社経営者であり、元ゴールドマン・サックス幹部であった。大統領選挙で「金庫番」を務めた実績が評価されたのだろう。商務長官にはウォール街で「再建王」と称された富裕な投資家ウィルバー・ロスが就任する。経済政策の司令塔となる国家経済会議(NEC)議長には、ゴールドマン・サックス社長兼最高執行責任者(COO)のゲーリー・コーンが指名された。これとは別に、国家通商会議(NTC)の新設が予定されているが、その特別顧問にウォール街の著名な投資家であるカール・アイカーンが起用される。さらに、大統領首席戦略官・上級顧問となるスティーブン・バノンは、右派メディア「ブライトバート・ニュース」会長だが、元ゴールドマン・サックス社員であった。さらに付け加えれば、国務長官となるレックス・ティラーソンは、巨大多国籍企業エクソン・モービルの会長兼最高経営責任者(CEO)である。このほか、新設される「戦略政策フォーラム」には、会長に巨大投資会社ブラックストーンのCEOが就任し、大企業トップなど16人が顔を並べる。こうした人事からは、大企業・大富豪優位の政権という性格がにじみ出ている。

 トランプ政権の第二の特徴は、軍幹部経験者を抜擢していることである。国防長官には、元中央軍司令官(元海兵隊大将)のジェームズ・マティスが就任する。彼は湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争で指揮をとった生粋の軍人であり、「狂犬」と称された。最高位の軍人が国防長官になるのは1950年のマーシャル元帥以来、また海兵隊出身では初めてという。国内の治安を担当する国土安全保障長官には、元海兵隊大将のジョン・ケリーがあてられた。元南部軍司令官として中南米を管轄した経験があり、国内の中南米移民に目を光らせると思われる。また、外交・安全保障政策を統括する国家安全保障担当大統領補佐官には、元陸軍中将のマイケル・フリンが指名された。彼は中東の戦争で諜報活動の指揮をとり、国防情報局長を経験しており、イスラーム敵視の発想が際立っている。さらに、内務長官に就任するモンタナ州下院議員のライアン・ジンキは、海軍特殊部隊「シールズ」の出身である。こうした布陣からは、国内・海外の両面で「力による政治」を行う姿勢がうかがえる。

 第三の特徴は、オバマ政権が取り組んできた内外の重要政策を覆そうという意志が現れていることである。まず、国民皆保険を目指したオバマケアについては、反対論急先鋒のジョージア州下院議員トム・プライスが厚生長官となった。彼はティーパーティーの幹部であり、妊娠中絶やLGBTを否認する保守派である。労働長官には、残業手当拡大や最低賃金引上げに反対する大手ハンバーガーチェーン経営者のアンドリュー・バズダーが就任する。環境保護、温暖化抑制の分野では、気候変動懐疑論者が目立つ。連邦環境保護局長官となるオクラホマ州司法長官のスコット・プルイットは、産業界の利益を優先し、環境規制に反対する人物である。その他、内務長官となるライアン・ジンキ下院議員、エネルギー省長官となるリック・ペリー元テキサス州知事、大統領首席補佐官となるラインス・プリーバス共和党全国委員長、CIA長官となるマイク・ポンペオ下院議員らは、いずれも気候変動否定の立場という(宮前ゆかり「トランプ政権―アメリカの略奪と搾取の系譜」『世界』2017年2月号による)。

◆トランプの経済政策は何をもたらすか

 トランプは大統領に就任する前から、アメリカ第一を標榜し、大型減税、大規模なインフラ投資、広範な規制緩和、TPP離脱、NAFTA見直し、メキシコに工場を移す多国籍企業批判、中国に対する「不公正貿易」非難など、アメリカ経済、世界経済にインパクトを与える発言を繰り返している。これらの政策は実現可能なのか、また実行した場合、アメリカ経済、世界経済はどのような影響を受けるのだろうか。

 まず、国内経済政策について、減税、インフラ投資、規制緩和という「トランポノミクス3本の矢」は、議会・共和党との折り合いがつけば、かなりの程度着手されるだろう。減税に関しては、連邦法人税率の35%から15%への大幅引下げをはじめとして、個人所得税、相続税、キャピタルゲイン・配当課税など全般にわたる超大型減税を打ち出しており、その規模は10年で4~6兆ドルともいわれる。年間の税収見込みの1割を上回るほどの大きさである。日本では法人税率20%未満はタックスヘイブン(軽課税国)と定義されてきたので(ただし今後変更予定)、アメリカがタックスヘイブンに認定されることになる。また10年で1兆ドル規模のインフラ投資を提唱しており、老朽化した道路、鉄道、港湾、空港、電力、通信施設などの整備が計画されている。

さらに、オバマ政権が推進してきた金融規制、環境規制、オバマケアなどを清算し、企業優位の制度への切替えを進めようとしている。リーマンショック後に創設された体系的な金融規制政策(ドッド・フランク法)は骨抜きにされ、ウォール街の再興隆をもたらし、環境規制緩和はシェールオイル産業の復活を可能にする。それらを総合して4%の経済成長を目指す一方、海軍力増強、核能力強化など、軍縮でなく軍拡の方向を打ち出している。

 これら一連の政策は、1980年代のレーガノミクスの再版を想起させる。今回のトランポノミクスは、さしあたりはマーケットの期待を集め、株高、ドル高を示した。今後、株価と為替の乱高下をはさみながら、アメリカ経済の好況が1~2年続く可能性がある。しかし、レーガン政権の減税を通じて成長率を高めるというサプライサイド・エコノミクスは、実際には見事に破綻し、財政収支と経常収支の双子の赤字を生み出した。一方における減税、他方におけるインフラ投資、軍拡により財政赤字拡大は避けられないだろう。国債発行によって穴埋めするとしても、それには限界がある。小さな政府を信条とする共和党主流との衝突が生じ、やがて行き詰まることになろう。

また景気の上昇とともに、インフレ、金利上昇、ドル高が進むことになれば、今度は輸出にブレーキをかけ、貿易赤字を拡大させる。ドル高が行き過ぎれば、1985年のプラザ合意のような強引な為替調整が実行されるかもしれない。しかし、アメリカの国力(覇権)は1980年代よりは低下しているため、アメリカに都合のよい調整が実施される保証はない。結局、トランポノミクスは一時的には景気の上昇を生むとしても持続性に欠ける手法であり、遅かれ早かれ失速の道をたどるだろう。

対外的な通商政策はどうか。NAFTA(北米自由貿易協定)見直しについては、メキシコ、カナダとの2国間再交渉が進み、アメリカ優位の方向で通商協定が書き換えられていくと思われる。その際、メキシコに進出した多国籍企業が一方的に損害を被る事態は回避されるだろう。大統領就任以前の口先介入で、トランプは大手空調メーカーのメキシコへの工場移転を止めたと自慢しているが、その見返りに多額の減税を認めるなど、企業が一方的に譲歩したわけではなかった。フォードのメキシコ工場計画中止もまた、州の補助金支給との取引の結果にほかならない。個別企業の投資計画への介入が際限なく続けられるはずがない。

またTPPは、まだ発効していないため、離脱は簡単に実現した。今後アメリカは、新たに2国間通商協定の交渉に取り組む見通しである。TPPのような多国間交渉では、全体をまとめるためにアメリカも一定の譲歩を迫られた。しかし2国間交渉では、トランプ流の軍事と経済を絡めた取引が見込まれる。その際、立場の強いアメリカの方が多くのカードを持ち、ゲームを優位に運ぶと予想される。その最初の標的は日本になるだろう。

◆米中関係は衝突を招くのか

 トランプ大統領の対外政策面で目立つのは、中国非難とロシアへの接近である。中国非難の要因は、米中貿易関係における著しい不均衡にある。実際、2015年のアメリカの中国への輸出は1161億ドル(国別比率7.7%)、中国からの輸入は4832億ドル(21.5%)であって、輸入が輸出の4倍以上、貿易赤字は3671億ドルに達する。これはアメリカの貿易赤字総額7456億ドルの半分近い規模であり、不均衡が顕著なことは間違いない。ちなみに、中国に続くアメリカの貿易赤字国は、ドイツ748億ドル、日本690億ドル、メキシコ607億ドルなどであり、中国が飛び抜けていることがわかる。対中貿易赤字の理由についてトランプは、中国の意図的な為替操作、輸出企業への不当な補助金などを指摘している。アメリカ議会はすでに、対米貿易大幅黒字国を「為替操作国」に認定し、対抗措置を講じることを義務づける法案を可決している。

 他方、外交・安全保障面でトランプは、中国による南シナ海「要塞化」、核開発を進める北朝鮮の支援などを非難するとともに、「一つの中国」原則の見直しというカードを繰り出してきた。台湾は中国の一部とするこの原則は、中国にとって核心的利益のなかの最上位に位置しており、これにふれることは米中関係を一気に悪化させかねない。そうしたリスクに気づいているかどうか定かでないが、狙いは中国に揺さぶりをかけ、経済的実利を得るところにあるのだろう。中国との通商交渉で攻勢をかけるべく、通商戦略を扱う国家通商会議(NTC)議長に対中強硬論者のピーター・ナバロ・カリフォルニア大学教授、通商交渉を担う通商代表部(USTR)代表にロバート・ライトハウザー弁護士が起用された。ナバロは『中国は世界に復讐する』、『中国による死』、『米中もし戦わば』などの著書がある極端な反中論者である。またライトハウザーはレーガン政権時代に鉄鋼貿易交渉を担当、その後USスチールの弁護士として中国の貿易政策を問題視してきた。その一方、トランプ政権は駐中国大使に、習近平と親しいテリー・ブランスタッド・アイオワ州知事を指名している。また財界人を束ねる「戦略政策フォーラム」会長には巨大投資企業ブラックストーンのスティーブン・シュワルツマンCEOが就任するが、ブラックストーンは中国に巨額の投資をしており、米中の金融業界の橋渡しをする位置にある。こうした硬軟両面の人事配置をしている点も注目される。

 それでは、中国はどのように対応するのか。習近平政権は今年の秋、5年に一度の一大政治イベント、共産党大会を控えており、政権の権威を確保するために、安易な妥協はしたくないだろう。しかし、中国の経済成長率は6年連続で低下を続けている。成長を牽引してきた貿易は2015年、16年と2年続けて減少した。トランプのいう為替の不正な引下げとは逆に、人民元の下落を食い止めるために、ドル売り元買いの為替介入を続けているのが実情である。豊富な外貨準備は減り続け、ピーク時より1兆ドル減少し、3兆ドル割れが迫っている。このままでは外資の一層の流出を招く可能性がある。外資と輸出で高成長を遂げ、共産党体制の正当性を確保してきた中国にとって、放置できない事態に直面している。

 こうしたなかで、中国にとって最大の輸出先であるアメリカとの貿易摩擦を大きくすることは避けたいのではないか。2015年の中国の輸出に占めるアメリカのシェアは18.0%であり、EUの15.6%より大きい。トランプ政権は台湾、南シナ海などの安全保障カード、為替操作国認定カードなどを用意しているが、中国がこれに対抗して関税引上げ合戦に突入することは双方にとって利益でない。中国から見れば、多額のアメリカ国債保有がカードとして使える。米中の貿易構造・資本輸出入構造は緊密な相互依存関係にある。トランプがディールを好むとすれば、中国もしたたかだ。双方の面子を立てながら、結局は経済的利益を共有する方策を探ることになるのではないだろうか。

 要するに、アメリカの産業構造が製造業中心からIT・金融中心に転換し、中国が世界の工場となっているなかで、モノの貿易をめぐって経済摩擦を起こしても、解決できるはずがない。ある程度のパフォーマンスで終わらせる可能性がある。しかし、構造的問題の政策的解決は無理だということが理解されないならば、意外に長期的に摩擦が続くかもしれない。

◆日米関係はどう変動するのか

 トランプ政権下のアメリカ経済が日本に及ぼす影響を考えると、まずトランプ相場ともいうべき金融市場の変動が問題となる。すでにトランプの発言によって為替や株の相場は乱高下しており、今後もその状況は続くかもしれない。そのうえで、アメリカの経済成長率が上向き、好況になってドル高が進めば、円安、株高基調をたどる方向が想定されるが、保護主義の色彩が強まれば、逆の方向にふれるかもしれない。

こうした相場動向は別にして注目すべきはTPPに代る日米2国間通商交渉の動向である。トランプのアメリカ第一主義は日本を標的にしている。2015年のアメリカの対日輸入は1314億ドル(国別比率5.8%)、対日輸出は624億ドル(4.2%)であり、貿易赤字690億ドル(9.3%)は中国よりはるかに少ないとはいえ、モノの貿易にこだわるトランプにとっては放置できない。2国間交渉となった場合、対米追随の色彩の濃い日本は、アメリカからみれば中国よりは攻めやすい国とされよう。

 アメリカにとってTPP参加12カ国のなかで日本が最も経済規模の大きい、重要な国である。TPP離脱後の2国間の通商交渉戦略では、まず日本が取り上げられるだろう。駐日大使には、投資会社経営者のウィリアム・ハガティが起用される。アメリカは、通商交渉に合わせて、在日米軍経費の全額負担、日本の軍事力増強、アメリカ製兵器の購入を要求してくることが予想される。在日米軍経費は、すでに「思いやり予算」として7割程度肩代わりされており、これ以上の増額はむずかしい。しかし、軍事力増強は安倍政権の望むところであり、アメリカの圧力を口実にして防衛費は増額されるに違いない。短距離弾道ミサイルの配備など、従来の水準を超える防衛力整備に踏み込む可能性がある。

 これまで安倍政権下で日本の防衛費は年々増額され、2016年度には5兆円を超えたが、それでもGDP比1%程度の水準にとどまっている。NATOの標準は2%であるので、それに近づけるようにアメリカは圧力をかけてくるだろう。すでにPHP総研、世界平和研究所といったシンクタンクが自主的な防衛費増額を提言しており、アメリカからの兵器購入がこれにあてられる可能性は高い。

 ただし、日本の防衛力増強にあたって、中国の危険性が強調されるが、対中国で日米が結束するといった新冷戦型の発想は危ういことにも留意しておく必要がある。安倍首相は施政方針演説でこう述べている。「これまでも、今も、そしてこれからも、日米同盟こそが我が国の外交・安全保障政策の基軸である。これは不変の原則です。」とはいえ、アメリカは不変ではない。アメリカ経済第一のトランプにとって、中国との全面的対決は損得勘定のうえでマイナスであるため、結局は回避されよう。日米運命共同体の時代は終わりを告げていることをみておかねばなるまい。

◆必要なのは政治のグローバル化

新自由主義型の経済グローバル化は各国国内に貧困と格差を生み出し、1国主義(アメリカ第一主義)、政治のナショナリズムを招き寄せた。しかし、政治のナショナル化に合わせて経済のナショナル化(保護主義)を目指すとしても、それはまったく時代錯誤であって、その先には何の展望もない。国境を超えたモノ、カネ、ヒト、情報の移動はもはや止めようがない歴史の流れである。追求すべき方向は、経済グローバル化という不可逆的な流れに沿いながら、その暴走を制御し、適切な規制をかけていくグローバル・ガバナンス(政治のグローバル化)の道である。

現状では、経済のグローバル化に対して政治のグローバル化はまったく立ち遅れている。しかし、その萌芽はいくつか現れている。たとえば、グローバル金融市場における投機的なマネーゲームの行き過ぎを制御する国際金融取引規制策の萌芽は、EUが準備している金融取引税のなかに見出すことができる。国境を超えた広範な金融商品の取引に課税するこの税制は、さしあたりはEU内の10カ国からスタートするとしても、やがてはグローバルな規模に拡大する可能性を秘めている。

また、多国籍企業や富裕層が「合法的脱税」に利用しているタックスヘイブンの規制については、OECD及びG20構成国を中心にしてBEPS(税源浸食と利益移転)プロジェクトが進みつつある。これは、課税という1国主権の根幹にかかわる政策を、国際的共同歩調をとって遂行するという意味で、グローバル・ガバナンスの萌芽とみることができる。気候変動に立ち向かう2015年12月のCOPパリ協定もまた、不十分とはいえ同様の性格を備えている。

もちろん、これらの主権国家を前提とした取り組みだけでは決定的に限界がある。主権国家を超える試みとしては、試練に直面しているEUの取り組みが一つの事例としてあげられるが、それは固有の歴史的文脈をもつ特殊なケースである。より一般的には、国際機関の超国家機関への脱皮を考えていく必要がある。もちろん現状の国連をはじめとする国際機関は、財源を含めていずれも主権国家システムのもとに成立している。これを突き崩していくには、意思決定に各国政府以外の非政府組織を参加させていく方向、財源を各国政府の拠出金からグローバル税(地球炭素税、グローバル金融取引税など)へと切り替えていく方向が追求されなければならない。

新自由主義型グローバリゼーションは、2008年リーマンショック、2016年トランプショックによって、方向転換を迫られている。その方向は政治と経済のナショナル化ではなく、経済グローバル化を制御する政治のグローバル化以外にはありえないだろう。

アベノミクスの破綻とグローバル資本の繁栄

アベノミクスの破綻とグローバル資本の繁栄

                                         (『季刊ピープルズプラン』72号、2016年3月)

 

2年、2%、2倍。2013年4月、アベノミクスの切込み隊長、黒田日銀総裁は2年間で日銀が供給する通貨量を2倍にし、2%のインフレ目標を達成して、日本経済を成長軌道に復帰させることを宣言した。しかし、それからすでに3年が経過し、日銀の通貨供給量(マネタリーベース)は3倍に達したにもかかわらず、2%のインフレ目標は達成されず、経済成長率は低迷を続けている。

2015年9月、戦争法制の成立直後、安倍政権はアベノミクスの第2ステージへの移行を表明した。第1ステージの総括を抜きにした、なしくずしの目標変更である。結局、アベノミクスとは、「成長幻想」をふりまき、政権支持率を確保し、戦争法制を成立させるための道具だったのか。確かに、支持率確保の役割を果たしたとはいえるが、それだけではない。3本の矢、特に第3の矢は、「世界で一番企業が活躍しやすい国」に向けて、日本社会の形を根底から変えるねらいをもっていた。そのねらいは、第2ステージにも貫徹している。

以下では、アベノミクスの第1ステージについて、特に第1の矢(異次元の金融緩和)に絞ってその経緯を振り返り、想定されるマイナスの効果を検討したうえで、第2ステージをどのように捉えるべきなのかを考えていきたい。

 

◆第1の矢は目標を達成できたのか

 アベノミクスを構成する3本の矢とは、「大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略」だった。このうち財政政策は従来の手法の繰り返しであって、目新しいものではない。成長戦略は小泉政権以来の規制緩和路線であり、さまざまな問題をはらんでいるが、いずれにせよ短期間で成果が出るものではない。結局、アベノミクスの目新しさを表していたのは、第1の矢、日銀の異次元金融緩和であった。

 2013年4月に日銀が打ち出した超金融緩和政策の要点は、長期国債の大量購入(政府の新規国債発行額を上回る年間50兆円規模)を通じて市中銀行に通貨をばら撒き、人々に2年で2%物価上昇という予想(期待)を抱かせることだった。この衝撃を受けて、1年後には円が対ドル90円から100円に下落、株価(日経平均)が1万2千円から1万5千円に上昇、消費者物価上昇率は1.5%を記録した。ところが、2014年4月の消費税引上げ、さらに原油価格の低下に影響され、消費者物価上昇率はダウンしてしまう。

 そこで日銀は2014年10月、「黒田バズーカ」第2弾を発表、国債購入量の80兆円規模への増額、ETF、REITなどリスク性資産(投資信託)の購入規模拡大など、追加のショックを与えた。この決定と同じ日に、公的年金資金を運用するGPIFが株式運用比率を拡大する方針を発表しており、両者は株価テコ入れで連携していたとみられる。しかし、追加緩和を決めた日銀の金融政策決定会合は賛成5、反対4という僅差だった。決定会合メンバー9名のうち総裁と副総裁2名は執行部であるから、他の6名のうち4名が反対した意味は大きい。反対理由は、こうした金融緩和策は効果が見込めず、むしろ副作用が大きいといったことだった。その後、円相場は120円台まで下落、株価は2万円を超えたものの、物価目標達成時期の見通しは、逃げ水のようにその時期が近づくと先延ばしされ、2015年度半ば、16年度前半、16年度後半、17年度前半へと4回にわたって修正された。

2発撃ったバズーカが効果を表さなかったため、2016年1月、ついに日銀は「禁じ手」ともいうべきマイナス金利の導入に踏み切った。この決定も5対4の僅差だった。しかし決定の効果は数日間しか続かず、ねらいははずれて為替は円安から円高へ、株価は上昇から下落へと反転し、デフレ、マイナス成長への逆戻りの流れが生じた。アベノミクス第1の矢の破綻が明らかになった。

 

◆なぜ第1の矢は失敗したのか

 日銀の異次元緩和がもたらした目に見える変化としては、企業収益の上昇があげられる。

2015年度の東証1部上場企業の経常利益は、年度の後半に落ち込みをみせたとはいえ、過去最高となる見込みだ。しかし、それは円安という為替効果、株価上昇という資産効果が作用したためと考えられる。輸出数量の増加、国内消費・設備投資の増加がみられない中での業績向上であるため、一時的であって持続性がない。円安は日銀の異次元緩和の効果、株高は海外の投資ファンドの動向に影響されたものであり、いずれにせよ2012年ころの水準が日本経済の実態からずれていたため、本来の水準に戻った程度のことであって、今後の効果は想定できない。

 アベノミクス第1の矢が失敗した理由は、第一に日本経済の長期的・構造的変化への認識を欠いていることであろう。「失われた二十年」という表現は、それ以前の時期が「常態」であって、バブル崩壊以後は異常な時期とする見方に基づいている。しかし、1990年代以降、少子高齢化(生産年齢人口の減少)、グローバル化(IT革命、中国の台頭を含む)によって、日本経済は構造的に新しい段階に移行したのであって、それ以前の「常態」に戻ることはありえない。そのことを認識せず経済成長率をあげようとしても、できるはずがない。にもかかわらず、政策をうまく打てば実体が動く、インフレ期待をもたせれば消費や投資が拡大すると期待しても、空回りするしかない。

 第二に、通貨供給量を増加させてインフレを起こすというインフレターゲット論が誤っていた。日銀が市中銀行から大量に国債を購入してマネタリーベースを増やしても、それは日銀当座預金を膨らませるだけで、市中銀行の貸出し増加、マネーストックの拡大には直結しない。因果関係は逆であって、貸出しの増加がマネタリーベースの拡大をもたらすとみるべきである。また、将来のインフレ予想に働きかける「期待形成論」も現実から遊離している。仮に将来の物価上昇が予想されるとして、高くなる前に買うという消費行動をとる人もいるだろうが(消費税引上げ前の駆け込み需要)、将来に備えて今は消費を控えようとする人もいるわけで、だれもが同じ行動に出るわけではない。こうした理論も、経済成長、所得増加を自明とする思考枠組みに縛られているとみるほかない。

 

◆超金融緩和の危険な末路

 それでは、異次元の金融緩和をこのまま続けていくとどうなるのか。「出口戦略」はあるのか。黒田日銀総裁は、2%の物価目標を達成するまで緩和政策を続ける、できることは何でもやる、いまは「出口戦略」を語る時期ではない、という。しかし、国債を新規発行額の2倍の規模で買い続けると、あと1~2年で国債市場が枯渇してしまう。しかも2018年には黒田総裁の任期が(さらに安倍自民党総裁の任期も)満了になる。すでに現状でも、政府の国債を日銀が引き受ける事実上の「財政ファイナンス」状態になっており、いまの方法を無期限に続けることはできない。日銀の国債大量購入は、財政規律を弱め、財政健全化を妨げる意味をもつ。プライマリーバランス(基礎的財政収支)の黒字化目標は先送りが繰り返され、国の借金は積み上がるばかりだ。

超金融緩和の行き着く先は不透明である。マイナス金利の負担は特に地方銀行の経営を悪化させるだろう。格付け機関が日本国債のランクを一段と引下げ、海外の投機筋による国債売却が引き金になって、長期金利上昇=国債価格下落が生じるかもしれない。日銀は短期金利を管理する方法をもっているが、長期金利をコントロールする手段に乏しい。長期金利の乱高下は、金融機関、財政(国債発行当局)を大混乱に陥れるかもしれない。

また、いずれ日銀が「出口戦略」をとる段階になると(そもそも「出口戦略」をとれない恐れもあるが)、国債購入中止、国債売却、金利引上げなど、これまでとは逆の金融政策をとるわけであるから、長期金利上昇=国債価格下落は避けられない。その時、国債発行の困難、国債を保有する日銀および市中銀行の損失が生じうる。特に大量の国債を抱える日銀は債務超過に陥りかねず、今から引当金を積んだとしても、とても足りそうもない。そうなると政府から救済を受けなければならず、財政赤字を拡大する懸念もある。国債暴落を防ぐために、日銀は再度の国債大量購入(「出口戦略」の中止)に追い込まれる危険性がある。

 結局、大量の国債発行、日銀の国債抱え込みは、財政と日銀の一体化(財政による金融の従属)、両者の信認の低下に行き着くだろう。その先には、円の大幅な下落、輸入物価の上昇、消費税大増税、スタグフレーション(成長なきインフレ)といった厳しい事態が待ち受けているかもしれない。臨界点に達する前に、無謀な異次元緩和からの撤退に舵を切るべきではないだろうか。

 

◆新3本の矢のねらいは何か

2015年9月、戦争法案成立直後、安倍政権はアベノミクスの第2ステージへの移行を宣言し、新しい3本の矢を提起した。60年安保から所得倍増計画へと転じた55年前の手法を持ち出してきたわけである。総括的タイトルは「1億総活躍社会」、3本の矢は「希望を生みだす強い経済」、「夢をつむぐ子育て支援」、「安心につながる社会保障」とされた。あまりにも内容が漠然としているが、数値目標として、名目GDP600兆円、希望出生率1.8、介護離職ゼロが掲げられた。

しかし、こうした数値目標は実現する根拠を欠いている。2020年にGDP600兆円を達成するには、実質成長率2%、名目成長率3%を継続する必要があるが、これまでの実績をみればありえない目標であることは明らかだ。GDPの算出方法を変えるなどして、目標達成を可能にしようとしているものの、見かけが変わったところで実体が変わるわけではない。子育て支援については、保育所の定員を50万人拡大する計画だが、保育士の確保の見込みがない。介護サービス50万人増加計画にしても、職員不足が深刻な状況を打開する可能性はほとんどない。職員の待遇改善に逆行する介護報酬の引下げなど、ちぐはぐな政策をとっている。

これらの目標は、達成年次が先のことなので、とりあえず選挙対策として打ち出されたものといえる。それと同時に、第1ステージ以来の成長戦略の増補版でもある。第1ステージの本命は第3の矢「民間投資を喚起する成長戦略」だった(2015年12月に発表された「日本再興戦略改訂2015」では、第1ステージの第3の矢を「岩盤規制改革」と表現している)。第3の矢は第2ステージの第1の矢に引き継がれており、「岩盤規制」の緩和、新産業創出、イノベーションによる生産性向上の多彩なプログラムが列挙されている。

第2と第3の矢は、社会政策的内容ではあるが、経済成長に必要な労働力を確保するという意味で、第1の矢を支える位置づけでもある。生産年齢人口が減少していくなかで成長率を上げていくには、生産性の上昇とともに、雇用を拡大していく必要がある。そこで、女性も介護離職者も高齢者も動員することになる。外国人労働者については、高度人材受入を進める一方、単純労働導入には消極的であって、問題の多い外国人技能実習制度の拡大(枠の増加、期間の延長)で切り抜けようとしている。

 

◆グローバル資本のためのアベノミクス

 経済成長率を上げる基本は消費増大であり、消費が増えるのであれば企業は設備投資を増やす。消費増大のためには、雇用の増加と賃金の引上げが必要だが、企業の利益を優先させ、格差是正を後回しにする安倍政権にできるはずがない。

 安倍政権は、アベノミクスの成果として、企業業績向上と合わせて、雇用増加、失業率低下、有効求人倍率上昇を自慢しているが、増えるのは非正規雇用ばかりで、正規雇用はほとんど伸びておらず、実質賃金は低下を続けている。最近になって非正規から正規への転換を奨励するポーズ(それはそれで問題の多い限定正社員、キャリアアップ助成金など)をみせているが、企業側にとって使い勝手のよい労働法制推進の姿勢は一貫している。2015年9月に成立した改定労働者派遣法は、1986年派遣法の趣旨を大幅に転換するものであり、派遣労働を拡大する方向に機能するだろう(「生涯派遣」)。また、「岩盤規制」打破の主軸として、労働時間の規制緩和(「残業代ゼロ」)、解雇の規制緩和(金銭解決制度、「解雇自由法制」)を執拗に追求している。

 非正規雇用が全体の4割にも達し、その待遇が正規職とあまりにも格差があるため、格差是正を求める声が上がっていることに対して、政権側もさすがに放置できなくなった。そこで「同一労働同一賃金」の検討を表明することになったが、現政権に抜本的な対策を期待できるわけがない。2月5日の衆議院予算委員会で塩崎厚生労働大臣は、政府のいう「同一労働同一賃金」は「同一価値労働同一賃金」とは異なる、つまり正規と非正規とでは職能給と職務給という給与原理の違いがあり、同じ仕事で同じ給与になるものではないと言明している。

こうした労働政策における企業寄りの姿勢は、税制面でも貫徹している。大企業優遇税制は、租税特別措置、政策減税として従来から続けられてきた。2011年度から公表されるようになった政策減税総額は12年度の5千億円から14年度の1兆2千億円へと膨らんだ(「朝日新聞」2016年2月14日)。その恩恵は大企業に集中している。なかでも研究開発減税は6746億円と巨額であり、トヨタ1社だけで1083億円も享受している。

そのような優遇税制に加えて、法人税減税である。2016年度には実効税率を30%以下に切下げ、財源は外形標準課税の拡大でまかなうという。このことは赤字企業に増税し、黒字企業に減税する操作であり、企業間の格差拡大を意味する。法人税減税の名目は、外資の呼び込み、国内企業の海外移転抑止とされるが、企業が立地判断をするうえで税率が主たる要件でないことは各種調査から明らかであり、そうした効果は見込めない。むしろ減税分は内部留保となって積み上がり、やがて海外投資の原資として使われることになろう。

グローバル資本にとって、成長力を判断基準にして日本国内よりも海外に投資するのは当然であって、2011年以降対外直接投資は年間10兆円以上の高水準を続けている。2014年末の直接投資残高は140兆円を突破した(日銀「国際収支統計」)。日系製造業企業の海外従業員数は1990年から2013年にかけて314万人増加して438万人に達した(経済産業省「海外事業活動基本調査」)。同じ期間に国内製造業従業者数は377万人減少して740万人になった(経済産業省「工業統計表」従業員4人以上の事業所)。戦争法制のもと、自衛隊の海外出兵は、グローバル資本の安全保障を視野に入れているのだろう。

グローバル資本は日本の国民経済から遊離しつつあり、一部の企業の繁栄が日本全体に波及するわけではない(トリクルダウンの幻想)。現在の日本では、グローバル経済とローカル経済との間に隙間が生まれている。大都市の繁栄が地方に及ばないのはそのためだ。TPPは一部の大企業に多少の恩恵をもたらすかもしれないが、日本農業には壊滅的打撃を与える。大企業の利益を優先するアベノミクスの成長戦略が幻想にすぎないことに多くの人々はすでに気づいている。もはや経済成長を自明の目標とする時代ではない。ゼロ成長下の社会経済システムをどのように構想していくか、この課題への取り組みが求められている。