グローバル・サプライ・チェーンの現実から
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- 公開日:2017年11月04日(土)17:16
―「国際労働規制」の強化と新たな「労働運動」の流れ―
企業主導のグローバル化により加速される「底辺に向かっての競争」をくいとめるためには、国際機関による「国際労働規制」の強化、及び労働者と市民による「労働運動」の広がりが不可欠だと、16年間の「フィリピントヨタ争議」支援の体験を通じて私は確信している。喜ばしいことに、2010年頃から「国際労働規制」とアジアにおける「労働運動」の新しい動きがあり、その息吹を2つの国際会議で実感した。
・2つの会議に参加して
2013年11月初め、インドネシアのボゴールで開かれたアジア多国籍企業と労働運動をテーマにした会議に招かれた。インドネシアでは全国で300万人が参加したといわれるゼネストが終了したばかりで、その興奮と余韻が会場に満ちていた。中国、タイ、カンボジアなどアジア各国の参加者からも新たな労働運動を担っている自信が感じられ、私は若い力に圧倒された。
リーマンショック以後のアジアの経済成長、とりわけ、中国・インド・ASEAN諸国の成長は目覚ましく、「世界の工場」となりGSC(グローバル・サプライ・チェーン)が急速に形成されていった。なかでも中国やインドネシアでは労働法改正を背景に、若いリーダーに率いられた労働運動が勃興した。経済成長の果実が労働者には分配されていないと感じた若者たちは、最低賃金の引き上げ、非正規雇用の正規社員化、社会保障の要求などをかかげた。中国では、2010年5月、広州南海ホンダの若い農民工が賃金と労働条件の改善をもとめ山猫ストライキを実行。このストライキが発端となり、大手自動車関連工場を中心に、労働争議は沿海部一帯から全国に広がり賃上げを認めさせていった。インドネシアでは、進歩的なナショナルセンターがよびかけ、2012年1月、日本など外資の自動車産業が集積しているブカシ県で、①最低賃金の引き上げ、②アウトソーシングの正規労働者化の要求を掲げて大規模デモが発生。労働運動の大きなうねりはブカシから全国の工業都市に波及し、大幅な賃上げ、一部企業においては正規労働者化を勝ち取っていった。
2014年6月末、パリのOECD本部で開かれた「OECD多国籍企業ガイドライン」の実施責任をもつ各国の窓口・NCP(ナショナルコンタクトポイント)とNGOの協議に参加。「国際労働規制」が前進しているのを目の当たりにした。グローバル化の負の側面を是正しなければという機運は、労働団体は無論のこと各国政府のみならず企業の間にも広がり、2011年7月、国連で「ビジネスと人権に関する指導原則」が承認され、「OECD多国籍企業ガイドライン」の改訂、企業のCSRの見直しが行われるなど、影響は大きく広がっていた。
協議のメインテーマはラナ・プラザビルの倒壊事件だった。2013年4月、バングラディシュの首都、ダッカの近郊で、5社の縫製工場のはいった8階建てのビル、ラナ・プラザが、ミシンや重機の重さに耐えかねて倒壊し、1133人の労働者が死亡し2500人以上が傷害を負った事件だ。この悲惨な事故はGSCの労働現場と現地サプライヤーに生産委託をしていたブランド企業の責任を浮かびあがらせた。国際労働組織、労働NGOは政府や企業に対して犠牲者や家族に対する補償とGSCにおける労働条件の改善をもとめるための運動をスタートさせた。現地サプライヤーには莫大な補償金を支払うだけの資金がないため、生産を委託していたブランド企業を中心に多国籍企業が不足分の補償金を提供するようにという基金がILOのバックアップもあり創設され、補償金が支払われた。また、GSCの生産現場における労働安全衛生のための協定「バングラディシュにおける火災と建造物の安全に関する協定」(アコード)が、多数のブランド企業と労働組合・労働NGOとの間で締結されていった。
・届けられた支援要請
アジアの活動家たちは、新しい労働運動の動きをSNSで国外へ発信し、横浜アクションリサーチにも最新情報が届けられていたが、私はこの動きに鈍感だった。3.11のあの衝撃。当時、多くの日本人と同様に私も脱原発への行動で心の中がいっぱいだった。脱原発の実現のためには政治を変えなければと神奈川の仲間と一緒に「かながわ勝手連」をつくり、2012年、2013年、2014年の国政選挙でみどりの候補者を応援したりもした。しかし、選挙結果は惨敗。脱原発のシングルイシューでは人の心は動かせない、自分は雇用と再分配、多国籍企業主導によるグローバル化問題に立ち返るべきではないかと思い悩んでいた時期に、ボゴールとパリの2つの会議でのエンパワーは貴重な体験だった。私の迷いを払拭するかのように、日本多国籍企業の子会社、サプライチェーンの労働争議から支援要請が次々と届くようになり、今回、数えてみたら2014年末から現在まで2年半で10数件にも達した。
要請は2つのルートから届いた。一つは自動車関連の争議で、フィリピントヨタ争議の支援を通して知り合ったアジアの活動家たちから、もう一つのルートは、ブランド企業の衣類・玩具・靴などの生産現場、いわゆるGSCでの争議を通じて知り合ったアジアやヨーロッパの労働NGOからの要請だった。自動車労働者の争議の支援要請はインドネシア、タイ、インドなどから届き、現在進行中のケースもあるが、公にできない等の諸事情があり、稿をあらためて報告したい。自動車関連の労働争議を概観してみると、従来は韓国、インドで断続的におきていて、インドでは今でもマルチ・スズキ、ホンダ・モーターサイクル・アンド・スクーターの大争議が継続中。今年の3月10日には、マルチ・スズキ工場内で2012年におきた暴力事件の判決が出され、組合役員13人が殺人罪を課せられたと地域の労働者が怒り、抗議行動をおこなっているというニュースがSNSで世界を駆け巡っている。横浜アクションリサーチに届いているインドネシア・タイ・フィリピンの自動車関係のケースも、マルチ・スズキと同じく組合承認などの組合活動、非正規雇用をめぐる諸問題をめぐる解雇事件だ。
・インドネシアにおけるGSCのケース
今回は現在進行中のインドネシアの2つのケースを中心に、中国の2つのケースにもふれながら、GSCの実態を明らかにしたい。インドネシアの2つのケース、ミズノのサプライチェーン、パルナブ・デゥカリャ社(PDK)争議とユニクロのサプライチェーン、ジャバ・ガーミンド社争議への支援は、いずれも国際労働NGOであるCCC(クリーン・クローズ・キャンペーン)からの要請である。オランダに本部、ヨーロッパ17カ国に支部があるCCCは、世界の衣料産業における労働条件を改善し労働者のエンパワメントを支援する活動を行っている団体で、ラナ・プラザビル倒壊事件をめぐっての労働者擁護の動きには、労働NGOの代表として多大な貢献をしている。横浜アクションリサーチは、CCCが2004年、2008年のオリンピックの際に行った「プレイ・フェア・キャンペーン」の日本側のNGO窓口として、横浜をベースに諸々のイベント、ブランド企業・JOCへの要請行動などをした経緯がある。
2016年10月、パルナブ・デゥカリャ社(PDK)の労働組合を支援する国際キャンペーンをミズノに向けておこなうので協力してほしいという呼びかけがあった。ミズノが取引をしているパルナブ社のグループ企業・PDK社は、ジャカルタから車で1時間の工業都市・タンゲラン市で2013年12月まで操業し、ミズノやアディダスの靴を製造していた。労働者のほとんどが女性で労働条件は過酷。ハイシーズンには納期にまにあわせるために5、6時間、時には9時間の残業を強いられたが、賃金は最低賃金を下回る低さだった。2012年2月、PDK労組を結成したが、PDK社は組合結成の翌日に女性委員長、ココムさんを解雇し、組合潰しを図った。最低賃金のアップと非正規雇用の正規化をもとめて労働運動が勢いをつけていた頃だ。この年の7月、PDK労組の2000人の組合員は、ココム委員長の解雇撤回と法定の最低賃金の要求など、労働条件の向上を求めてストライキに突入。会社は警察を導入し、催涙ガスを妊娠中の女性にも容赦なく浴びせ、7日間にわたるストライキを鎮圧。その後、労働者を脅迫し、組合を脱退するように強要したが、従わない1300人労働者を、違法ストライキをおこなったという理由で大量解雇した。解雇になった組合員たちはPDK社と同じような下請け企業に再就職をしながら、PDK労組に所属し闘争を継続している。彼女たちの要求は、2013年12月に会社が閉鎖になるまでの賃金、退職金、および不当解雇になったことにより生じた子どもの退学、住居の立ち退きの補償などである。女性たちは、工場閉鎖をしたPDK社の親会社・パルナブ社、生産委託をしていたミズノやアディダスの責任を追及し、インドネシアに事務所がないミズノに代わりジャカルタにある日本大使館への抗議行動を繰り返し行っている。
CCCは、ミズノのサプライチェーンであるこの争議への責任をとるように求めてミズノ本社と連絡をとり、ミズノは独自調査をおこなったが、大量解雇は違法ストライキによるという立場をとり、現在まで具体的な解決行動には結びついていない。横浜アクションリサーチは2013年からPDK労組と連絡をとっていたこともあり、他団体を誘い国際キャンペーンへの参加を決めた。ミズノのCSR部にもコンタクトして、インドネシアでの労使交渉に参加するように要請したが実現しなかったので、2016年10月12日にミズノの東京本社前で抗議行動を実施。続いて10月16日には、ミズノがスポンサーであるアムステルダム・マラソンのコース路上とインドネシアのタンゲラン市で抗議行動が繰り広げられた。
2017年2月、再度CCCからの国際キャンペーンの要請があった。2015年4月ジャバ・ガーミンド社が破産し、タンゲラン市などの2工場で働いていた4000人の労働者は、数ヵ月の給料、退職金未払いのまま解雇されたという。同社は工場閉鎖の数か月前までユニクロを含む世界的なブランドの製品の生産をしていた。2014年10月に大口のバイヤーであるユニクロが注文をストップしたために、2015年の初めから賃金不払いがはじまり、ついに倒産。会社の資産は管財人により競売にかけられ、労働者にも未払い金額の一部が支払われたが、要求総額の約1400億ルピア(約12億円)には程遠い金額だった。失職により住居を失ったり子どもの学校の費用が払えなかったりしている労働者たちは、不安を抱きながら同社敷地内で座り込みするなどの抗議を続けた。
CCCなどの欧米のNGO、労働組合は、倒産直後からユニクロなど生産委託していたブランド企業に対して、責任を追及し労働者への支払いをするようもとめた。2016年の末、ドイツのある中小ブランドが要請を受け入れ支払いをおこなったこともあり、大手バイヤーであるユニクロも同様の取り組みを行うよう求めて、2017年2月に複数のNGO が連名で要請文をユニクロに送付。ユニクロからはPDK社とは2014年10月に正当な手続きで委託契約を打ち切っているので責任はないとする返信があった。これに怒りを覚えたNGOは、3月8日に香港のユニクロ店、3月18日には日本の銀座ユニクロ店前で要請行動を実施。インドネシアでは3月23日、31日にジャカルタの日本大使館前にジャバ・ガーミンドの労働者がおしかけた。
・GSC問題は国境を越えて
GSC問題は中国でも深刻だ。横浜アクションリサーチでは、2014年末から2016年にかけ、香港の労働組合・労働NGOからの連絡を受け、ユニクロのサプライヤーであるアーティガス社(香港資本)とディズニーグッズのサプライヤーであるミズタニ(日本人経営の香港資本)に対する運動に取り組んだ。この2つのケースには共通する特徴がある。いずれも、「世界の工場」と言われる中国珠江デルタ地帯に位置する工場で、工場閉鎖に伴う争議だ。アーティガス争議は2014年12月、ミズタニ争議は2015年1月のストライキの直後に支援要請が届いた。中国では景気が減速しており、人手不足と賃金の高騰で、工場はさらなる低賃金をもとめ、東南アジア・南アジアへ、あるいは中国内陸部へと工場を移転していた頃だ。
2工場の労働者は、農民工として1990年代に珠江デルタに働き口をもとめて移住してきた女性たち。農民工の立場は弱く、ほとんどが社会保険、年金などの社会保障を受けることができない。各工場の移転による閉鎖の噂をきいた女性たちは、御用組合である総工会を信頼できず、香港の労働組合や労働NGOの助けをかり、自分たちで労働者代表を選び、社会保険・年金、未払いの手当などに関する交渉をスタートしたが、交渉は決裂しストライキに突入。アーティガス労働者は、2014年12月と2015年6月に1000人の労働者が、ミズタニ労働者は2015年1月と2月に400人の労働者がストライキをおこない、いずれも導入された警察から暴力を振るわれ、逮捕者がでた。アーティガス争議の中心人物だった呉偉花さんはいまだに収監されている。2015年6月には2工場とも閉鎖となったが、女性たちの結束は固く抗議行動を継続した。
アーティガス労働者、香港の労働組合・NGOは、関係企業に重ねて要請文を送り、ユニクロはストライキの度に労働者の権利を重視していると声明を発表するが、事態は進展しなかった。支援者は香港・日本のユニクロの店頭で抗議行動を数回に渡っておこなったが、今に至るまで朗報は届いていない。ミズタニ労働者は交渉により合意を取り付けたが、会社は合意を無視した卑怯な手段を使い、強引に工場閉鎖を断行したため、未払い賃金・解決補償金・社会保障費を支払うようにというキャンペーンが香港を中心に日本、米国で展開された。日本では東京ディズニーランドを経営している東京オリエンタルランド社(OLC)にコンタクトしたが埒があかないので、同社の第3番目の大株主、千葉県に千葉県民や団体と一緒に申入れをおこなった。この結果、千葉県からOLCへ、OLCからミズタニへと問い合わせがなされ、一旦は終結宣言が出された香港での話し合いが再開されることになり、労働者は不本意ながら妥協して解決金を受け取り和解した。
以上のように横浜アクションリサーチが関係したケースだけ見ても、GSC問題は国境を越えて共通点をあげることができる。GSCで働く労働者の大半は非正規雇用の女性たちであり、ブランド企業が要求する納期・金額・品質に合わせて低賃金・長時間労働を強いられていた。農村から都市にでてきた女性たちは、結婚をして子どもが生まれ、働きながら歳をかさねていたが、社会保険や年金はなく、老後の心配が目前にあった。そこに、さらなる低賃金をもとめての工場移転、製品不良という理由でブランド企業からの注文がなくなるなどで突然の工場閉鎖が襲う。職を失う危機にさらされた女性たちは権利をもとめて行動を起こすが、ストライキは弾圧され、賃金・解決補償金・社会保障費は未払いのままに放り出された。とりわけ、新たな職を見つけることが難しい中年の女性たちは、住居を失い、子どもの教育費を支払えず、貧困に打ちのめされている。
しかしながら、この4ケースを比較すると、組合が機能しているインドネシアと機能していない中国のケースでは、労働者の受けた弾圧に相違があることがわかる。また、これらのケースはいずれも労働NGOが支援をしていることもあり、他の多くの類似したケースよりわずかに状況がよいということもできる。情報開示がないので、労働者は自分たちがどのブランドの製品をどのくらい製造しているのかをブランドのタグでしかわからず、ブランド企業に対して抗議もできないというケースを、カンボジアから受け取ったこともある。GSCの頂点であるブランド企業のみが情報をもち、自分たちの都合で注文を出し、不必要となれば注文をストップする。低価格で高品質を求めるため、GSCの生産者たちは職場の安全や労働条件の改善にむける余裕がなくなる。ユニクロ、ミズノ、ディズニーといったブランド企業がGSCの生殺与奪を握っているのだ。
・解決への道は新たな段階に
ラナ・プラザ事件後に、GSC問題は新たな段階にはいっている。サプライチェーンに生産を委託し現地の下請け・孫請けの労働者に過酷な労働を強いている多国籍企業に対しても責任を負わせるべきだという国際的批判が高まっているのだ。2013年にILO理事会はサプライチェーンの問題を2016年のILO総会議題とすることを決定し、「グローバル・サプライ・チェーンにおけるディーセントワーク」が一般討議の第4議題となった。ILOでは、「サプライチェーンにおける国際労働基準」の検討をはじめているが、使用者側からの反対にあい難航している。日本は使用者側のみならず、政府そして連合傘下の一部の労働組合もILOの提案に反対の立場であると聞いている。
2015年6月、ドイツで開催されたG7ではGSC問題が議題になり、「G7エルマウ・サミット首脳宣言」の「責任あるサプライチェーン」の項目において、多国籍企業が劣悪な労働条件を是正する責任を子会社のみならずサプライチェーンにまで負っていることが明記された。12月、横浜アクションリサーチはNCP日本に「G7エルマウ・サミット首脳宣言におけるNCP機能強化の行動計画に関する要請」を提出し申入れをおこなった。
2016年の伊勢・志摩サミットでもGSCを議題として引き続きとりあげてほしいという提言、「G7伊勢志摩サミット:G7各国はビジネスと人権に対する取り組みの強化を」を、国内外の60のNGOが署名し日本政府に提出し、横浜アクションリサーチも署名した。しかしながら、日本政府が提言を受け入れることはなかった。
2020年の東京オリンピックを迎えるにあたり、日本の企業、政府は、なんとかこのGSC問題を穏便にすませたい様子だが、まず、現実を見てほしい。GSCで働く労働者の労働条件・環境、そして生存をかけた訴え、GSCの底辺から頂点のブランドを見上げることにより、自分たちが何をしなければいけないかを知ることができると、私は思う。
遠野はるひ(横浜アクションリサーチ)
(原文は季刊雑誌「ピープルズ・プラン 76号」(2017年4月 ピープルズ・プラン研究所に掲載したが、少し追加した。)